探険と冒険の物語 の商品レビュー
同じ著者の松島駿二郎さんのタスマニアとアメリカ大陸原住民の本を読んでいたので、図書館から借りて読みました。 とても同じ著者が書いた内容の本だとは思えません。 松島駿二郎さんは、どうして変わってしまったのか。 以前の2冊ではイギリス人や白人たちのことを否定的に書いていたのに、こ...
同じ著者の松島駿二郎さんのタスマニアとアメリカ大陸原住民の本を読んでいたので、図書館から借りて読みました。 とても同じ著者が書いた内容の本だとは思えません。 松島駿二郎さんは、どうして変わってしまったのか。 以前の2冊ではイギリス人や白人たちのことを否定的に書いていたのに、この本ではむしろ肯定的に書いています。 探検家、冒険家と称賛していいのだろうか。 ポルトガル、スペイン、イギリスの植民地主義、侵略主義の尖兵となっていた連中共達。 しかもコロンブスにいたっては、最初はジパングを目指していた。 コロンブスよりもっと上の大きな悪巧みを持ったローマ教会とかヨーロッパ王室とかの使いパシリなのかもしれませんが、つまり日本を侵略、植民地にし、日本人を虐殺し、奴隷にする目的で航海をし始めたということ。 そんな連中共たちのことを肯定的に書かれていた内容の本だったのでとても残念です。
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わかりやすい! 博物学、大航海時代、極地探検の分野で、それぞれ著名な冒険家数人について比較しながら書かれてるんだけど、誰がどういう成功をし、どういう失敗をしたか。そしてそれがどういう原因からくるものだったかがよくわかるうー。
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博物学関連で見つけた本。博物学と大航海時代の1〜2章を読んだ。ジュニア新書だけに、広く浅い取り上げ方だが、そうした目的にはよかったし、読みごたえもあった。 クックは第1回航海(1768-71)で、ハレーが予測していた金星の日面通過を観測するためにタヒチ島をめざした。この航海には...
博物学関連で見つけた本。博物学と大航海時代の1〜2章を読んだ。ジュニア新書だけに、広く浅い取り上げ方だが、そうした目的にはよかったし、読みごたえもあった。 クックは第1回航海(1768-71)で、ハレーが予測していた金星の日面通過を観測するためにタヒチ島をめざした。この航海には博物学調査を目的としたバンクスが同乗した。タヒチから航海を共にしたトゥピアが、ニュージーランドのマオリと言葉を交わすことができたことを発見している。クックがこの航海でニューホランド(オーストラリア)を探検した後、イギリスから囚人が送り込まれ、植民地化された。第3回航海(1776-80)でも、ハワイ島にたどり着いて、住民がポリネシア語を話していることに驚いている。クックの航海は博物学の世界に大きな影響を与えた。 フンボルトは、若い博物学者エメ・ボンプランと出会った後、スペインが支配する新世界へのパスポートを得て、郵便船に便乗し、ベネズエラに入り、オリノコ川流域などを調査した(1799-)。その後、アンデスのチンボラソ山に登頂し、南米大陸断面地図を作製したり、中央アジアやシベリアにも行った。 ウォレスは、18歳の時に知り合った2歳年下のベーツとともに、25歳の時にアマゾンに探検に出かけた(1848-)。ベーツはそこで擬態を発見した。アマゾンでマラリアと黄熱病にかかったウォレスは、一度ロンドンにもどったのちマレー諸島に赴き(1854)、そこで分岐の法則に気づいて、論文「新種の導入を調節してきた法則について」を執筆し、ロンドンに送ったが、反響はなかった。ウォレスは35歳の時にモルッカ諸島に踏み入り(1858)、論文「変種がもとの型から限りなく遠ざかる傾向について」(テルナテ論文)を書き上げ、ダーウィンに送った。テルナテ論文に目を通したダーウィンは、急いで「種の起源」を執筆し出版した(1859)。その直後、ベーツが帰国して「アマゾン河の博物学者」を書き、ウォレスは「マレー諸島」を出版した。
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大航海時代、奴隷貿易、南極、北極探検等、よくその時代のそのテクノロジーで、と思わせることが多い。人は不衛生にも十二分に耐えられるんだなあ、だとか。陰にはすごい数の死体が転がっているんだとは思うんだけど。 ぱらぱらめくったらさっき読んだのにやっぱり内容を忘れてるところがもうあった。...
大航海時代、奴隷貿易、南極、北極探検等、よくその時代のそのテクノロジーで、と思わせることが多い。人は不衛生にも十二分に耐えられるんだなあ、だとか。陰にはすごい数の死体が転がっているんだとは思うんだけど。 ぱらぱらめくったらさっき読んだのにやっぱり内容を忘れてるところがもうあった。もう一回読みます。
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