「兵士」になれなかった三島由紀夫 の商品レビュー
兵士に聞け シリーズ、で15年にわたり自衛隊を取材した杉山隆男による、三島由紀夫と自衛隊の物語。鍛え上げた上半身(腕力)を誇った三島だが、鍛えられていない下半身は脆弱なまま(脚力不足)で体験入隊時の持久走では、常に劣後していた等の指摘が興味深い。劣後しながらも真剣に付いてゆこうと...
兵士に聞け シリーズ、で15年にわたり自衛隊を取材した杉山隆男による、三島由紀夫と自衛隊の物語。鍛え上げた上半身(腕力)を誇った三島だが、鍛えられていない下半身は脆弱なまま(脚力不足)で体験入隊時の持久走では、常に劣後していた等の指摘が興味深い。劣後しながらも真剣に付いてゆこうという三島の鬼気迫る雰囲気が印象的だった、という当時の教官(隊員)たちの様々な三島の思い出が語られております。虚弱な体(小柄)だったが故に、太平洋戦争に行けず、兵士になることができなかった三島由紀夫が、敗戦後、作家になったころから体を鍛えはじめ(心を鍛えることも含め)それがどのように展開し、あの壮烈な最後を迎えたのかという内面の物語も少しうかがえる一冊であります。市ヶ谷台に乱入、割腹自殺をした1970年11月25日は、作者(杉山隆男)の18歳の誕生日(日比谷高校の3年生)、という繋がりも披露されております。★四つであります。
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三島由紀夫が自衛隊への体験入隊を繰り返していた当時の様子を追いかけたノンフィクション。 当時、三島と関わりの深かった教官、助教などへ取材している。 「諸官に與へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。」(『檄』) 本書の最終章にこの言葉が引用されている。 ...
三島由紀夫が自衛隊への体験入隊を繰り返していた当時の様子を追いかけたノンフィクション。 当時、三島と関わりの深かった教官、助教などへ取材している。 「諸官に與へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。」(『檄』) 本書の最終章にこの言葉が引用されている。 その前後の部分は、現在の自衛隊と日本の姿の本質を突いていると感じた。
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感受性が強くて、かなり打たれ弱い。 時々自分に酔ってるけどちょっとヘタレ。 そんなレンジャー平岡君のお話。
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三島由紀夫が市谷駐屯地で自決を遂げたのは、1970年11月25日。当時小学生だった私は、そのニュースを新聞やテレビで読んだり観たりしたと思うのだが、全くと言って良いほど記憶がない。その歳では、三島由紀夫の作品を読んだこともなかっただろうし、この事件の思想的な意味合い・背景に、興味...
三島由紀夫が市谷駐屯地で自決を遂げたのは、1970年11月25日。当時小学生だった私は、そのニュースを新聞やテレビで読んだり観たりしたと思うのだが、全くと言って良いほど記憶がない。その歳では、三島由紀夫の作品を読んだこともなかっただろうし、この事件の思想的な意味合い・背景に、興味を持ったり、あるいは、理解が出来る年齢ではなかったということである。ただ、それは自分の年齢だけが理由だったわけでもなさそうではある。この杉山隆男の本を読むにあたって、ウィキペディアで一応事件のことを調べてみたけれども、何だか全くよく分からない。ウィキペディアの簡単な説明だけで分かるはずがない、ということを置いておいても、何故、こういう事件を三島由紀夫が起こしたのか、という理由、というか、そこまで三島由紀夫が思いつめていた、その切迫感の正体が全く分からないのだ。このあたりは、その時代の空気とでもいうものが分からない限り、どうにも理解できないことなのだろうと思う。
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なんだかうまい言葉が出てこないのだけど、あたしが好きなのは、敬愛してやまないのは、三島由紀夫であって、平岡公威ではない、と、そうゆうすごく当たり前のことに気がついた。 けれども、自衛隊という組織に夢を抱いて、失望のはて自害したのは確かに「憂国」を、「豊饒の海」を書いた三島であって...
なんだかうまい言葉が出てこないのだけど、あたしが好きなのは、敬愛してやまないのは、三島由紀夫であって、平岡公威ではない、と、そうゆうすごく当たり前のことに気がついた。 けれども、自衛隊という組織に夢を抱いて、失望のはて自害したのは確かに「憂国」を、「豊饒の海」を書いた三島であって、でも実際に自衛隊に体験入隊までしたのは平岡という男であって、っていう混乱。 人間の男だった。長距離走で苦痛に顔を歪める人間だった。でも、そうゆうのはぜんぶ、あたしの中では平岡という男の体験としてしかとらえられない。三島由紀夫という天才の為した事だとは、うまく信じられないのだ。 でも、「自分は弱い」なんて漏らす三島をひどく愛しく思ったり。人間、得手不得手があるんだから完璧を目指すことなんてないのに、って、ばかなひとだな、なんてあまりに人間くさい劣等感を擁護してあげたくなったり。なんだろこの母性本能的な感情は。 でもあまりにも衝撃的な死があってこその三島文学なのであり、あの死へ至る道のりへの関心は人並以上あるから、三島と平岡をうまく結び付けられなくても、この手のノンフィクションはこれからも読みたい、と思う。やっぱり、好きなひとのことは、知りたいのだ。
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