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マリー・キュリーの挑戦 の商品レビュー

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4件のお客様レビュー

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2013/06/27

子供の頃に、マリー・キュリーの伝記を読んだことがある人は、特に一読して欲しい本です。マリーの家族、友人、関係のあった科学者などの、様々な視点からマリーについて語られ、当時の歴史、状況、常識なども踏まえつつ1人の人間として複雑に書かれています。 『素晴らしい人』『お手本にしたい人』...

子供の頃に、マリー・キュリーの伝記を読んだことがある人は、特に一読して欲しい本です。マリーの家族、友人、関係のあった科学者などの、様々な視点からマリーについて語られ、当時の歴史、状況、常識なども踏まえつつ1人の人間として複雑に書かれています。 『素晴らしい人』『お手本にしたい人』としての、単純明快な伝記ではありません。今も昔も変わらず連綿と存在する見えにくい問題を、マリー・キュリーを通して“あぶり出し”のように描き出している作品です。 あとがきも素敵だと思います。

Posted byブクログ

2013/03/23

ノーベル賞を取った情報科学者、という目線で、ジェンダーに関した話題が多かった。マリーの周辺の科学者の話も。マリー・キュリーの伝記として読んだらあまり適切じゃないかも。なんとなーくマリーを知っている状態で、なんとなくその辺りについて知りたいなーという感じで読んだら面白かったです。夫...

ノーベル賞を取った情報科学者、という目線で、ジェンダーに関した話題が多かった。マリーの周辺の科学者の話も。マリー・キュリーの伝記として読んだらあまり適切じゃないかも。なんとなーくマリーを知っている状態で、なんとなくその辺りについて知りたいなーという感じで読んだら面白かったです。夫のピエール・キュリーがなんだか不器用で可愛かったよ。笑

Posted byブクログ

2011/05/27

原発のことを調べていて、放射線の研究でノーベル賞を 受賞したキュリー夫人のことが気になって読んでみる。 当時まだわからないことが多かったからでもあるが、 放射能を害とみなしておらず、ポケットに放射線物質を 入れて持ち歩いていたという事実に興味を持って。 小学生の頃伝...

原発のことを調べていて、放射線の研究でノーベル賞を 受賞したキュリー夫人のことが気になって読んでみる。 当時まだわからないことが多かったからでもあるが、 放射能を害とみなしておらず、ポケットに放射線物質を 入れて持ち歩いていたという事実に興味を持って。 小学生の頃伝記で読んだことはあったけれど、 これほどに興味深い女性だったということに驚かされた。 キュリー夫人の恋愛、娘二人の確執、アインシュタインとの交流 放射線研究に携わった日本人、キュリー夫人の栄光のために 忘れ去られた同時期の女性科学者のリーゼマイトナーのこと ノーベル賞受賞の経緯、娘たちのその後など わかりやすく、そして興味深く書かれている。 また、ノーベル賞の意義、ノーベル賞の矛盾点なども わかりやすく書いてあり、たとえば研究に時間がかかるため 年をとらないともらえずノーベル賞の賞金が研究のために 役立てられないということや、良いものとの認識で ノーベル賞を受賞したDDTが環境破壊の原因物質であったとか 今まで何も考えずノーベル賞はすごいなぁって思っていた 意識が革新された。これからは受賞内容にもう少し興味を持とう。 それから男女の社会的な性別役割であるジェンダーを超えて 女性が科学の世界で活躍することの大変さも書かれていた。 スケールが大きすぎて自分には関係ないのだけど、 ただすごい人と思っていたキュリー夫人の努力と葛藤が よくわかって読んで良かった。 ただ当時は、ラジウムはがんに効く薬とうたわれて、放射性入浴剤や 放射性歯磨き粉、チョコレート、クリームなどが健康に良いと 売られ続け、一般人が摂取し無意識に被爆していたという事実は 前回読んだ内部被曝の脅威と関連して、恐ろしい事実だと思った。 知らないことは罪ではないけれど、知る努力はした方が いいのかもしれないと、最近全く興味のない分野の本を読み 驚愕の事実を目の当たりにして考えている。

Posted byブクログ

2012/05/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

否定できない出自や環境を縛りではなく希望へ転換した「理系女子」の闘いの軌跡 「偉大な科学者」にして「良妻賢母」。 彼女に冠される形容詞を全否定することはできない。妻・母・科学者として完璧であったことは事実であるからだ。 しかしなるべくしてなったわけでもない。本書は、彼女の伝記的伝説を木っ端みじんに破壊する。 「リケジョ」という新語があるそうだ。いわゆる「理系女子」を指す言葉。理系に進学する女子は現在でもなお、少数派に留まる。ましてマリー・キュリーの時代に、どれほどの困難があったことか。 本書は、時代の波にもまれつつ、精一杯生き抜いた、一人の生身の女性の足跡に注目する。 「彼女がその生涯で、男性に対して一歩も引かなかったのは、自分が女である以前にポーランド陣であるという事情が抜きがたく存在していた」と著者はいう。 当時の先進国に生まれた女性であれば、「怒り」や「競争心」といった感情をもつこと自体が「女らしさ」に反することとして否定されたという。これに対して、ロシア帝国治下のポーランドでは、ロシアに対する怒りや競争心は、むしろ歓迎されたという。 人間が自身の生き方を選ぶ際、足枷になるのが、後天的には否定できない出自や環境であろう。しかし、本書を読むと、その縛りとしての環境を希望へ転換して自身の歩みを残していくことも可能であるという先人の苦闘の輝きを仰ぎ見ることができる。 認識を新たにするとともに、読んでいてすがすがしい一冊である。

Posted byブクログ