定本 想像の共同体-ナショナリズムの起源 の商品レビュー
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1987年版を読んだ。40年もたっていないものであるが、ベトナム戦争のことは書いていない。南アジアのことはかかれている。日本についても明治維新から北一輝の思想まで書いてはいるが、明治の初めの書物といってもおかしくはない書き方である。 学生が歴史の書物として読むにはいいのかもしれ...
1987年版を読んだ。40年もたっていないものであるが、ベトナム戦争のことは書いていない。南アジアのことはかかれている。日本についても明治維新から北一輝の思想まで書いてはいるが、明治の初めの書物といってもおかしくはない書き方である。 学生が歴史の書物として読むにはいいのかもしれない。
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世論の形成には見知らぬ人と繋がっているという感覚が重要。新聞がこのつながりを作り出した。新聞は現実感と共感意識の幻想を生み出す。いま社会で起きていることを全国の人と共有しているという感覚が公衆を生む。ガブリエル・タルドTarde『世論と群衆』1901 ※公衆は群衆と異なりマスコミ...
世論の形成には見知らぬ人と繋がっているという感覚が重要。新聞がこのつながりを作り出した。新聞は現実感と共感意識の幻想を生み出す。いま社会で起きていることを全国の人と共有しているという感覚が公衆を生む。ガブリエル・タルドTarde『世論と群衆』1901 ※公衆は群衆と異なりマスコミを通じて成立、自然力に左右されない。cf. ル・ボンLe Bon『群衆心理』 現実は所与ではない。客観的にそこに存在するわけではない。「現実」は言語によって作られる。例えば、社会問題は「その状態が問題だ」と捉える人々の言語活動によって構築される。スペクター&キツセ『社会問題の構築』1977 数百・数千万の他の国民たち。遠くに住み、顔も知らない。しかし私たちは共同体のイメージを心の中に持っている。国民は空間的に区切られた場所に住んでいて、主権的なものだとイメージしている。深い同志愛をイメージしている。▼このイメージを可能にしたのは、新聞・小説などの出版物により記憶を共有するようになったから。新聞は1日だけのベストセラー。自分とほぼ同時に多数の人が同じ新聞を読んでいる。出版資本主義がネーションとしての意識を生む。ネーションは文化的に構築されたものだ。ベネディクト・アンダーソンAnderson『想像された共同体』1983 昔からあると思われている「伝統」。実は最近何らかの目的のために作り出されたものかも。支配者が都合のいいように「伝統」を持ち出し、他者・外部に対する自分たちのアイデンティティの源泉として利用している。伝統を源泉とするネーション観は近代になって文化的に構築されたものだ。▼スコットランド。タータン(格子柄の織物)は氏族ごとに異なる模様だとされたが、これは生地を売るために最近創られた”伝統”。エリック・ボブズボームHobsbawm『創られた伝統』1983 ※ユダヤ人。ロンドン大学バークベック・カレッジ。マルクス主義。 ネーションはあくまでも抽象的なもので、実際には存在しない。想像上の物語で結びついているだけだ。国家機能を維持しながら、ナショナリズムは捨て去ろう。市民による抽象的なステートに生まれ変わろう。ユートピア。ガヤトリ・スピヴァクSpivak『ナショナリズムと想像力』2010 ※インド東部ベンガル出身。女性。
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ナショナリズムの本質を歴史的・理論的に探究する論考として1983年ベネディクト・アンダーソンによって上梓された。1987年彼の教え子によって最初に日本語に翻訳され、2006年時点では30カ国27言語に訳され、ナショナリズム論の名著として社会科学系の研究者に広く読まれ、大学ゼミなど...
ナショナリズムの本質を歴史的・理論的に探究する論考として1983年ベネディクト・アンダーソンによって上梓された。1987年彼の教え子によって最初に日本語に翻訳され、2006年時点では30カ国27言語に訳され、ナショナリズム論の名著として社会科学系の研究者に広く読まれ、大学ゼミなどの課題書としても使われている。表題の書は1997年に一部加筆修正されて出版されたもの。 著者は第二次大戦後東南アジアの社会主義国間の紛争に直面し、マルクス主義理論にとっても「やっかいな変則であり続け、無視されることのほうが多かった」ナショナリズムの問題にフォーカスし、人類学・社会学・歴史学・政治学等々幅広い学識を駆使して分析・思考し独特の立論を試みたものである。著者はイングランドで生まれイートン校、ケンブリッジ大を経て渡米、コーネル大学でインドネシアなど東南アジア研究を長く続けた、その分野の権威である。生涯を学問研究にかけた筆者の文章は経験・知識や発想の豊さに満ちて読み手に緊張を強いる。生い立ちやキャリアがなせるイギリスの引喩や凝った文体で専門語や脚注も多く、読者向きの文章に慣れた身にはついていくのが大変であった。繰り返しなぞりながらも終章になると朧げに浮かび上がってくるナショナリズム像に何とも言えない達成感に満たされる。今まで無意識に使っていた「ナショナリズム」という言葉が恐ろしく新鮮な概念として再現され、従来の表面的な理解が次元の違う新しいものに変わっていく快感である。 読解不足と雑駁な浅慮を省みず、あえて纏めてみると以下のようか。 想像の共同体 Imaged community とは 近代の印刷技術、言語、教育によって形成される。 地図・人口調査・博物館・歌謡などで範囲が策定され、新聞などで同時性を確認し共同性が意識される。聖書の絶対性(宗教)・王権の絶対性(政治)・時間的宿命性(哲学)の旧社会が印刷・出版技術や資本主義の発達によって、人間は従来の制約(限界)を超えて「考える」ようになり、想像の共同性=ナショナリズムが発現する。
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※このレビューにはネタバレを含みます
翻訳書にありがちな意味不明な持って回った言い回しが多くて結局何が言いたいのか分からない。まあ要は、言語・印刷出版・王族の保身・行政官僚の意識等極めて具体的なものにより”想像の共同体”は形成されていったとそういうことなんでしょう。言われてみればそりゃそんなところでしょうという現実に目を見開かせてくれる点ではさすが新古典と言われるだけのことはあるか
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本書の目的は、ナショナリズムの実態と理論との乖離に対して、ナショナリズムの理論(どのような意味なのか?どのような歴史的背景があるか?)を提供することである。その背景には、中国とベトナム、カンボジアという社会主義体制の国同士の戦争がある。 本書では、国民という存在が人々の間でイメー...
本書の目的は、ナショナリズムの実態と理論との乖離に対して、ナショナリズムの理論(どのような意味なのか?どのような歴史的背景があるか?)を提供することである。その背景には、中国とベトナム、カンボジアという社会主義体制の国同士の戦争がある。 本書では、国民という存在が人々の間でイメージされ、心に想像された共同体であるという。僕らは、大勢の日本人と会うことも聞くこともないが、心の中に日本人を想像することができる。
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とりあえず読了。知識不足過ぎて、情報量が多く感じてしまった。各章で言っていることはどれも同じようなことなんだろうけど…。「記憶と忘却」の話は面白かったと思う。
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「ナショナリティとナショナリズムが文化的人造物であること」、そして「この文化的人造物が、これほどにも深い愛着を人々に引き起こしてきたのはなぜか」を探求する著書。約370ページ。注釈が豊富で、全体の2割程度の紙数は原注と訳注に費やされる。全11章のうち、第10・11章は増補版で追加...
「ナショナリティとナショナリズムが文化的人造物であること」、そして「この文化的人造物が、これほどにも深い愛着を人々に引き起こしてきたのはなぜか」を探求する著書。約370ページ。注釈が豊富で、全体の2割程度の紙数は原注と訳注に費やされる。全11章のうち、第10・11章は増補版で追加されたようだ。1983年の初版から四半世紀近く経って綴られたという巻末の「旅と交通」は、出版の経緯や各国での翻訳にまつわるエピソード、本書の立ち位置を確認するもので、内容についてはあまり触れられていない。 本書を通して著者が一貫して主張していると感じるのは、国家を可能にした思考法が、第10章で指摘される「すべてをトータルに捉え分類する格子(グリッド)」「数量化そのものの理論」にあるということだ。そのための具体的な「権力の三つの制度」として、第10章では人口調査、地図、博物館が挙げられる。さらに、それ以前の本書の前半ではナショナリズムを後押しした重要な要素として、出版資本主義による影響として新聞、植民地支配下において敷き詰められた官僚や学校制度による均質化の推進がナショナリズムを成立させる前提となったことが繰り返し説明される。 つまり、新聞や地図、時計といったツールが一般的になり、整備された官僚的な世界が受け入れられることによって、世界の時間と空間が均質で並列的なものとして認識されることが、「想像の共同体=国民」の意識を成立させる前提として必要だったことがわかる。そしてこれらを推進した植民地主義と資本主義についても、重要な題材として本書中で何度となく取り上げられる。 国家のアイデンティティとして連想しやすい各国の「俗語」の重要性は、ナショナリズムを成立させる必須の要素ではないとして否定している点も興味深い。事実、アメリカ大陸諸国の言語は宗主国から受け継いだ言語がそのまま使われており、ヨーロッパ内であっても自前の言語を持たず複数の言語が用いられるスイスの例も挙げられていることからも了解できる。官僚的に線引きされた世界こそが国家にとってまず必須なのであり、その裏返しに言語や歴史といったオリジナルで自明と思われがちな要素がむしろ後付けだとする分析が面白い。 もうひとつ、国家の成立のなかで注目すべき事実として、「(アメリカの)十三植民地の独立運動の指導者の多くが大奴隷農園主であったこと」、「世界史的観点からすれば、ブルジョワジーは、本質的に想像を基礎として連帯を達成した最初の階級」であった点がある。アメリカを端緒とした独立・開国の方法を「モデュール」として取り入れて自国を独立へと導いたのもやはり各地のブルジョワジーたちだったことを鑑みると、国家が元来誰のために立ち上げられた共同体なのかについても改めて思わせられる。 現在、世界の多くの地域はいずれかの国家の領土として分類されているが、境界線を含めてその成り立ちのほとんどが支配と被支配を問わず植民地時代に大きく影響されていることを考えれば、それぞれの国家の歴史的な正統性も結局は便宜上の認識に過ぎないのだろう。にもかかわらずそのような危うい正統性を、生まれもっての誇るべきものとして人々に生命を差し出させるだけの力をもつナショナリズムは、均質化された世界における一種の宗教として意識されないうちに機能しているのかもしれない。同時に、国家といってもここ二世紀程度でひねり出された共同体ならば、長期的な未来に、人類全体が国家を必要としない社会に移行したとしても不思議ではない。
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ベネディクトアンダーソン 「想像の共同体 」 ナショナリズムの系譜を論じた名著 著者のメッセージは、暴力的な死の中に、ナショナリズムの病理性を見出すのでなく、共同体がどのような想像を経験してきたかを見るべきということだと思う ナショナリズムを、多様な政治パターンと合体可能な...
ベネディクトアンダーソン 「想像の共同体 」 ナショナリズムの系譜を論じた名著 著者のメッセージは、暴力的な死の中に、ナショナリズムの病理性を見出すのでなく、共同体がどのような想像を経験してきたかを見るべきということだと思う ナショナリズムを、多様な政治パターンと合体可能な文化的人造物と捉え、言語的多様性、資本主義、印刷技術からナショナリズムを体系化し、同時性の時間概念から、国民が「想像の共同体」である点を論証している 同胞愛や祖国愛についての論考は、想像の共同体の中で悲劇的結末を遂げる国民を描いていて、文学的な印象を受ける 「国民はイメージとして心の中に想像されたものである〜同胞愛の故に、みずから死んでいった」 「祖国への愛には、たわいのない想像力がはたらいている。恋する者の目にあたるのが、愛国者にとっての言語である〜その言語を通して過去が蘇り同胞愛が想像され未来が夢みられる」 「忘却の中から物語が生まれる〜これらの物語は、均質で空虚な時間の中に設定される〜模範的な自殺、感動的な殉国死など暴力的な死は〜 われわれのものとして記憶/忘却されなければならない」 著者と訳者はアジア研究者のようで、アジアの事例が多く、丸山眞男や平家物語を引用しているので、身近さを感じる 帝政ロシアや戦時日本で見られた公定ナショナリズムについては論考が広くて深い 公定ナショナリズム *国民と王朝帝国の意図的合同〜ナショナリズムがモジュールとなり、帝国が国民として装う *公定ナショナリズムは、主として王朝、貴族〜本来、民衆の想像の共同体から排除される権力集団 *帝政ロシアなど多言語領土において、帰化と王朝権力の維持を組み合わせる方策 *日本は公定ナショナリズムの発揚のため天皇を利用 *公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるに従って、排除される脅威に直面した支配集団が予防措置として採用する *公定ナショナリズムは、国民と王朝の矛盾を隠蔽 *公定ナショナリズムは、革命家が国家の掌握に成功し、彼らの夢を実現するために国家権力を行使しうる地位についたとき妥当なモデル *資本主義は、印刷出版の普及によって、ヨーロッパの民衆的ナショナリズムの創造を助け、公定ナショナリズムをヨーロッパ外の植民地にもたらした
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新聞や小説といった複製技術がナショナリズムを育てたという観点が面白かった。世界史好きなら読みやすいし面白いと思う。
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