駅路/最後の自画像 の商品レビュー
松本清張の「駅路」が こんなドラマになるとは! と、読みながら、驚き、感心してしまった。 原作にはなかった、女性の気持ち。 折々に挟まれるゴーギャンと絵画、 そこに含まれる登場人物たちの心。 この感情の揺れは、清張さんには描けないのではないだろうか。 残酷ラストシーンも、絵...
松本清張の「駅路」が こんなドラマになるとは! と、読みながら、驚き、感心してしまった。 原作にはなかった、女性の気持ち。 折々に挟まれるゴーギャンと絵画、 そこに含まれる登場人物たちの心。 この感情の揺れは、清張さんには描けないのではないだろうか。 残酷ラストシーンも、絵画とともに 胸に残像として残った。 他の清張作品も向田邦子脚色で、もっともっと 観たかった。とても残念。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
松本清張(1909~1992)と向田邦子(1929~1981)、この2人が出会い、たった1本だけ手を携えた作品「駅路/最後の自画像」。昭和32「点と線」、昭和33「ゼロの焦点」、昭和35「砂の器」「駅路」。短編「駅路」の向田邦子さんの脚色によるテレビドラマ化「最後の自画像」(昭和52)。脚色を嫌った脚本家、向田邦子が大胆に脚色した作品の背景がここに記されています。なお、松本清張が直木賞の選考委員を辞した次の回に、向田邦子は直木賞を受賞しています。 昭和35年、サンデー毎日に掲載された松本清張の「駅路」。当時は停年が55歳でした。その「駅路」を昭和52年に向田邦子が脚色した脚本「最後の自画像」。原作も脚本も共に味わい深いです。私は脚本の方が好みですw。
Posted by
松本清張原作の駅路では、男性側の価値観のみで、女は何の感情もない、男側の動機としてだけの役割で添え物。であるのを、向田邦子がドラマとしてシナリオ化する時に、女サイドの感情のうねりを付け足して、女性側に命を吹きかけた。というのが、並べてあるのでよく分かります。 あと新米刑事も、原作...
松本清張原作の駅路では、男性側の価値観のみで、女は何の感情もない、男側の動機としてだけの役割で添え物。であるのを、向田邦子がドラマとしてシナリオ化する時に、女サイドの感情のうねりを付け足して、女性側に命を吹きかけた。というのが、並べてあるのでよく分かります。 あと新米刑事も、原作ではベテラン刑事のベテランたるやり手ぷりを際立たせる役割でしかないのを、ドラマではもうちょっとあっけらかんとしていて、妻とか子供とか、まだ誰に対しても責任のない若さを際立たせている。 今この話をドラマにするなら、男と女の立場が入れ替わってそーだ(≧∇≦)
Posted by
何より、原作とシナリオの併載という企画自体が斬新かつおもしろい。 で、おそらく松本清張氏の小説は初めて読んだ。 「駅路」は短編小説だったからなおさらなのかもしれないが、「非常によくできたプロット」のような小説だと感じた。 地の文で状況解説する部分と場面として展開する部分の塩梅が...
何より、原作とシナリオの併載という企画自体が斬新かつおもしろい。 で、おそらく松本清張氏の小説は初めて読んだ。 「駅路」は短編小説だったからなおさらなのかもしれないが、「非常によくできたプロット」のような小説だと感じた。 地の文で状況解説する部分と場面として展開する部分の塩梅が絶妙。 脚本家が腕を活かしたくなる、いい意味での余白に溢れている。 ひところは、氏の小説が続々と映像化された理由が、わかった気がする。 向田邦子氏の脚本は、原作を基本的に踏襲しながらも向田節炸裂。 「男の事件」を「女のドラマ」として生まれ変わらせている。 原作では単なる捜査でしかない場面も、それぞれの人物像が膨らんで輝いている。 ゴーギャンの画集、化粧品、アルバムなど、原作にあるものないものひっくるめて、小道具の使い方も巧い。 現時点ではまだNHKオンデマンドで映像作品を見られるらしい。 近々のうちにそちらも見てみたい。 数は限られると思うが、「原作+シナリオ」という書籍企画が、少しでも増えると嬉しい。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
松本清張の「駅路」(1960年発表)を向田邦子が脚本し「最後の自画像」(1977年ドラマ化)を製作した。その原作とリメイクが集録されていてNHKプロデューサーや編集者か解説する。そのドラマは当時、人気絶頂期の二人が携わり、しかもNHK土曜ドラマは硬派で社会性をもつということで当時注目を浴びた。 松本清張という人は自分の作品が映像化されることにこだわりがないようでむしろそれを喜んでいる様子、そして自身がなにかの役で出演を希望するという茶目っ気を持ち合わせている。 向田邦子は自作で脚本製作を手がけてきた人であり、他の人の作品を脚本化したのは後にも先にもこれ一本であるらしい。「駅路」を「最後の自画像」とタイトルを変更し原作の中味まで変える。でもそれが松本清張本人やドラマ製作側に受け入れられたのは物語の主題「男の心にある一人の人間としての生きる願望と、あくまでも責任ある立場を守る生き方の狭間の苦悩」という根本はくずされていなかったから。 松本清張と向田邦子は、それぞれの持ち味はまったく違うもののように感じられるが、人の心の中に潜在する人間の深い意識にさりげなく触れ、どこかじんわり心に残るものがある。 2009年に「最後の自画像」が松本清張生誕100年、向田邦子生誕80年で「駅路」と原作にもどしてリメイクされ放映されたらしい。 冒頭のナレーションで「人は人と出会う瞬間にそれぞれの人生が交差し、輝きを放つようです。~~略~~ 松本清張はいつも時代に翻弄される人間の、生きるかなしさを描いた~~ 向田邦子作品は日常生活の中にこそきらりと光る珠玉の人生がある、という哲学がこめられたいた。~~略~~」 人を惹きつけてやまない二人の魅力をみごとに描き、接点を持たせたことが素晴らしい。
Posted by
- 1