もしも学校に行けたら の商品レビュー
米軍の誤爆で長男を亡くし失意の底にいる家族。でも少女マリアムは希望を持ち学び続ける。報道されない人々の姿や思い。見ようとしなければ見えないもの。私たちが忘れていることは何か、ということなのかもしれない。
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2001年からの取材をもとにした本。 平和が訪れたはずだったのに、いまも続く混乱。 作者は痛ましい死を遂げられたけど、こういうジャーナリスト魂を持った方が伝えることが何よりも浮かれた無関心な日本に必要なんじゃないかと思った。 平和ってなんだろう。我々の援助は本当に平和につながって...
2001年からの取材をもとにした本。 平和が訪れたはずだったのに、いまも続く混乱。 作者は痛ましい死を遂げられたけど、こういうジャーナリスト魂を持った方が伝えることが何よりも浮かれた無関心な日本に必要なんじゃないかと思った。 平和ってなんだろう。我々の援助は本当に平和につながっているのか考えなくてはいけない。
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手に取る機会があって読んだ。 ジャーナリストだった故人による、アフガニスタンの状況レポート(2001年)。 長かった戦争が終わり、国内には混乱と希望が漂っていた。 どれほど状況は変わったのだろう、とWEBで検索してみた。 大統領は代わり、外務省のHPの情報ではレベル4の退避勧告となっていて、内情がわかりづらい。 学校の話が出てくるのは全体の半分くらいから、それまでは、アフガニスタンに入国するまでの様子と国内の様子が語られている。 国外から戻ってきた元難民と、国内に止まっていた住民に、経済格差があるという。 自主避難などの行動を起こせるのは知識があったからなのかな……なんとも複雑。 「ここじゃ良くあることさ。ルールなんかない。まともな理由なんかないんだよ。……」 考えさせられる。 マリアムに学校に来るなと言った女教師を全否定できない私。 人は、力を持ったとき、追いつめられたときに、ルールや理由を曲げてしまうんじゃないかな。
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アフガニスタンのルポ。2001年11月、タリバン政権崩壊直後のアフガニスタン、もう14年も前なんだ・・・未だに落ち着いてもいない、この子たちはどうなったんだろう・・・
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子供のために買った本だが、どんなものだか少し読んでみようと読み始めたら止まらなくなり、一気に最後まで読んでしまった。 15年前のアメリカ同時多発テロの後、アメリカがアフガニスタンに侵攻してタリバンを制圧し、アフガニスタンが初めての民主的な大統領を選出した頃の市民の様子が描かれてい...
子供のために買った本だが、どんなものだか少し読んでみようと読み始めたら止まらなくなり、一気に最後まで読んでしまった。 15年前のアメリカ同時多発テロの後、アメリカがアフガニスタンに侵攻してタリバンを制圧し、アフガニスタンが初めての民主的な大統領を選出した頃の市民の様子が描かれている。 アメリカ軍の誤爆により長男を失った家族に寄り添い、9才の妹が初めて学校に行くことになり、本人や家族の喜び、戸惑い、誤解、それから学校側の混乱、そして本人の学びたいという強い意志が、家族との会話により描かれている。 6才になったら当然のように小学校に入学して、学校に通い始める日本で育った私には到底理解できない感情がそこにはある。後藤さんはこの家族に寄り添いながら、決して深入りせず遠くから見守る姿勢を貫いている。 自分の子供と同じ9才の少女のことを思うと涙が出て止まらなくなってしまった。
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紛争地域の抱える問題を、現場に入り、現地の人の目線に立ち、伝えるのが、後藤健二さんのジャーナリストとしてのスタンスだったのだと理解出来ます。 アフガンの少女たちは、学校に通えるようになり、その後、どうなっているのか?興味が湧きます。楽しく学び、成長していることを願ってやみません。
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後藤健二さんがどんな思いで活動していたのか触れてみたくて読んだけど、途中で挫折。同じような活動家さん、同じような本もあるので、さらさらっと流し読みしてしまった。海外のことって、やっぱり自分にとっては遠いことやねんなぁ。
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後藤さん「平和になったと思うかい?」 ハシュマッド君「ええ、今は平和だよ。他リッ版がいた時にはあまりよくわからなかったけれど、たしかに今は平和だということが分かります。でも、ぼくたちの生活は苦しいままだ。何も変わっちゃいない。それどころか、ぼくは仕事をしなければならないから学校に行くことはもうできない。平和っていったい何なんですか?平和になって得したと感じることはないです」(pp.70-71) 鈴なりに重なった子どもたちがもみくちゃになった入学式からおよそ半年。国連や政府の教育省は、学校で問題がおこっているかどうかをきちんと調査する責任があると思いました。(pp.103-104) 取材を重ねるたびに、感じてきたことは、日本を含めた国際社会が、「いったいだれのために援助しているのか」という率直な疑問です。(p.127) 戦争ですべてを失った人たちとその国が、もとの生活を取りもどして、どのような国をつくっていこうとしているのか―取材を続けてきたわたしたちには、いまだに、どうしても見えてこないのです。(p.129) 「対テロ戦争」「テロとの戦い」とわたしたちがまるで記号のように使う言葉の裏側で、こんなにたくさんの人たちの生活がズタズタに破壊されていることを、知らないでいたのです、あるいは知らせずにいたのです。自分は、いかに盲目的だったかと激しく自分を責めました。(p.132)
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戦争による空爆で 「市民がまた巻き添えとなり、多くの死者が出ました。」 とのニュースを耳にして心が痛んでも、 <亡くなった多くの市民>は 私にとって <多くの市民>でしか無く、 もしかすると、誰かを悼む気持よりも、 テロリスト達への憎しみ、戦争の無意味さへの憤りの方が強かった、か...
戦争による空爆で 「市民がまた巻き添えとなり、多くの死者が出ました。」 とのニュースを耳にして心が痛んでも、 <亡くなった多くの市民>は 私にとって <多くの市民>でしか無く、 もしかすると、誰かを悼む気持よりも、 テロリスト達への憎しみ、戦争の無意味さへの憤りの方が強かった、かもしれない。 だって、ニュースを聞いても何の行動もしなかったから。 これがもし、死んだのが家族だったら?愛する人だったら? どうだっただろう。 著者の後藤さんにとって、 戦争で被害を受けた人は皆、家族であり、 血を分けた肉親であった。 だから、 テロリストが未だジャーナリスト達を狙っている危険な地帯を通り抜けなければなかったとしても、 それを承知の上で (一刻も早く現地へ向かい 戦争によって働き手を失い、生活も困窮している人達の現状を世界に発信し、救助を求めなければならない!) と、現地へ向かった。 それをジャーナリストとしての仕事なんだからしょうがない、と言われればそうなのかもしれないけれど、 本を読んで感じたのは、 後藤さんの使命感は 仕事の範疇を遥かに越していた、様に思う。 実際、取材先の家族に対する接し方は まるで(お父さん)の様だった。 お父さんなら、 家族が哀しみに打ちひしがれている時、 こんな風に慰めるだろう、 こんな風に励ますだろう、 そして、 幼い子供たちがしっかりと生きていけるように 助言をしてくれるだろう。 一家を支えていた長男を失い、 途方に暮れていた家族に、一人のジャーナリストが与えてくれたものは本当に大きかった様に思う。 ただ、 お母さんが言った 「家族思いの息子が、何故死ななければならなかったのか?私にはいくら考えてもわからないんです。」 の一言が胸に突き刺さる。 その問いに答えがあるとするなら、 世界はこんな馬鹿げた戦争なんてしちゃいないだろう。 後藤さんのご冥福を心からお祈りいたします。
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学校に行くことが当たり前の国、時代に生まれた私。こんなにも学校に行くことを欲する気持ちを持った子供達が世界にはたくさんいる。ということに、胸が苦しくなった。 そして、その事を伝えてくれた後藤さんがこの世にいないことに涙が出た。本当の平和とは。それを、世界に伝えるには。 戦況のニュ...
学校に行くことが当たり前の国、時代に生まれた私。こんなにも学校に行くことを欲する気持ちを持った子供達が世界にはたくさんいる。ということに、胸が苦しくなった。 そして、その事を伝えてくれた後藤さんがこの世にいないことに涙が出た。本当の平和とは。それを、世界に伝えるには。 戦況のニュースは流れても、その下で被害を受けている市民の状況は伝わらない。 自分に出来ることは何だろう。平和について考える。子供達に自分で考える力を伝える。・・・
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