落語の世界 の商品レビュー
「落語の世界」。1967年に出た本です。柳家つばめさんという落語家さん。 要は、落語家さんが、「落語家の世界ってこういうものですよ」と書いたものです。 ただ、それが、1967年の本で、書いた人が「大学卒で初の落語家」と言われた才人さん。 # 柳家つばめさんというのは、192...
「落語の世界」。1967年に出た本です。柳家つばめさんという落語家さん。 要は、落語家さんが、「落語家の世界ってこういうものですよ」と書いたものです。 ただ、それが、1967年の本で、書いた人が「大学卒で初の落語家」と言われた才人さん。 # 柳家つばめさんというのは、1928年生まれで、売れている最中の1974年に病没してしまったそうです。 40代半ば。師匠の5代目柳家小さんが、惜しんで号泣した、という逸話が残っています。 この人は、古典だけでなくて、創作落語、それも時事ネタを大いに取り入れて話題に。 当時の総理大臣の履歴を面白おかしく演じた「佐藤栄作の正体」などは、政府からテレビ局にクレームが入ってテレビ放送禁止になったそうです。 (ま、この手のことは最近も普通にありそうで怖いのですが) # この手の本は、大抵は結局「ファンブック=浅い」になるか「私の履歴書=自慢」になるか「私の人生観=自慢」になる、と相場が決まっています。 なんだけど、この本は一味違う。 1967年現在で、東京の落語界っていうのの経済的な基盤などを解説していたりして、随分と客観的で面白い。 ただ、何と言っても凄味があるのは、「売れない、あるいは一見売れている落語家たちが、けっこう自殺している」という件に踏み込んだ著述。 普通だったら絶対にそんなこと、業界外の人にわざわざ言わないだろうに。 ただ、それだけ、「たった一人の話芸」という芸と、その商売の、業の深さと言うものを思い知らされます。 期待せずに読んだら意外と面白かった一冊。さすが河出文庫?
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落語に興味を持ち出したので、入門編のように読んだ。 客のひとりとして見ているだけでは分からない (し、相手も悟られないように気を使っている) 諸々のことがわかってとても面白い。 前座、二つ目、真打ちそれぞれの喜びや苦悩、大名人の愉快な失敗談、新作落語やお金の話…… なにより作者...
落語に興味を持ち出したので、入門編のように読んだ。 客のひとりとして見ているだけでは分からない (し、相手も悟られないように気を使っている) 諸々のことがわかってとても面白い。 前座、二つ目、真打ちそれぞれの喜びや苦悩、大名人の愉快な失敗談、新作落語やお金の話…… なにより作者の柳家つばめさんが、心から落語を愛している人なんだなというのが端々から伝わってくる。寄席を愛し、お客さまを信頼し、師匠や弟子と関係を深めていけることが幸福でたまらないといった感じだ。そんな落語のために、自分ができることは何かと、意欲にも燃えている。 前書きの師匠の言葉もやわらかくてあたたかい。(師匠の言葉から始まり、師弟についての項で終わる構成は胸が熱い…) この人の高座を見たかったな
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五代目柳家つばめが落語の世界を書いた本。 とても面白く、いい本でした。 芸道の闇をまず示しつつ、それを含め落語が好きだというのが伝わってきていい。 後、現在名人といわれる小三治師や扇橋師の話が見られて面白い。
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ズバッとあけすけに書いているけれど、この方のお人柄か どこかやわらかなふんわり感が行間に漂います。 新作、ひいては落語をやる意味に深く共感しました。 序文として、先代小さん師匠が文を寄せているのですが、 つばめさんらしさをふんだんに盛り込んだ素朴で思いやりのある 文章で、こん...
ズバッとあけすけに書いているけれど、この方のお人柄か どこかやわらかなふんわり感が行間に漂います。 新作、ひいては落語をやる意味に深く共感しました。 序文として、先代小さん師匠が文を寄せているのですが、 つばめさんらしさをふんだんに盛り込んだ素朴で思いやりのある 文章で、こんなところでも小さん師匠のフアンになります。
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最初はちょっと読みづらかったけど、読み進めるうちに語り口に惹きこまれていった。終わりがとても素敵。 あぁーって、言いそうになった。
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ある人がいうには、昭和の落語の最後の黄金時代は昭和32年頃だという。それは吉原の灯は消えかけていたけれど、落語会ではまだまだ明治生まれの真打が現役で高座に上がっていて、高度成長期はまだ始まらず、まだ東京が江戸の雰囲気をかろうじて残していた時期だからだそうだ。 そして、このつばめ...
ある人がいうには、昭和の落語の最後の黄金時代は昭和32年頃だという。それは吉原の灯は消えかけていたけれど、落語会ではまだまだ明治生まれの真打が現役で高座に上がっていて、高度成長期はまだ始まらず、まだ東京が江戸の雰囲気をかろうじて残していた時期だからだそうだ。 そして、このつばめ師の著作第一作が書かれたのは、昭和42年。その最後の黄金時代から10年後。吉原は影も形もなくなり、オリンピックが終わり高度成長まっただ中。テレビの中の落語が寄席を浸食し始めてからしばらく経った頃。また、ちょうどさん喬師と雲助師が前座として、五代目小さん師と十代目馬生師にそれぞれ入門している。それを考えてこの本を読むと、第二章から第五章にかけて書かれている前座の仕事が、「ああちょうと2人の師匠もこんなことをやっていたのだなぁ」と想像に難くない。とくに師匠連へのお茶の出し方や下足の整理の仕方など、まさに涙ぐましいともいえる努力がわかる。話題になった NHKの「プロフェッショナル」での小三治師の巻で、前座の緑君さんが小三治師のいつものお茶を出し忘れて、大目玉を食らう場面があったが、こんなようなことはおそらく、若き日の小稲さんと駒七さんもしていたのかもしれない。 もうひとつ、貴重な言葉を引用したい。五代目古今亭今輔師が二つ目のときのつばめ師が、収録先のNHKのスタジオでしみじみ語った言葉。 「落語はね、自分で、きちんとやってれば、それでいいんですよ。よけいなことを考えちゃいけませんよ。自分は、外交が下手だからうまくいかない、もっと何かしなければ売れないんじゃないか、とか、よけいなことを考えないでね、ちゃんと自分でやっていれば、それでいいんです。」 同じ新作派の大先輩として、その時手探り状態の二つ目だったつばめ師に、協会は違うとはいえ(今輔師は芸協)かけた助言だった。 外野の雀が小うるさく、巧くなれ精進しろというかもしれないけれど、根本は自分がいいとおもったことを信じて二つ目の修業時代を過ごすことなのだろう。今輔師と同じような言葉は、今は売れないけれども、地域寄席や独自の独演会で頑張っている当代の二つ目さんの何人から聴いたことがある。時代は変わっても、藝の上で考えていること、悩んでいることは同じなんだ。
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