心理療法序説 の商品レビュー
「目次」 1.心理療法とは何か 2.心理療法と現実 3.心理療法の科学性 4.心理療法と教育 5.心理療法と宗教 6.心理療法における文化・社会的要因 7.心理療法における技法 8.心理療法の初期 9.心理療法の諸問題 10.心理療法の終結 11.心理療法家の訓練 河合隼雄先生...
「目次」 1.心理療法とは何か 2.心理療法と現実 3.心理療法の科学性 4.心理療法と教育 5.心理療法と宗教 6.心理療法における文化・社会的要因 7.心理療法における技法 8.心理療法の初期 9.心理療法の諸問題 10.心理療法の終結 11.心理療法家の訓練 河合隼雄先生が晩年に書かれた「心理療法序説」。読み終わってみて、ボケーとっしている。カウンセリング、心理療法では、目の前にいるクライエントとの、個別具体性,唯一性を大切にしながら、向き合っていく姿勢が大事だと述べる。心理療法は科学であるが、科学でない。知識として知っていることは前提とする上で、クライエントと対等な目線で、無意識の領域から共に物語を創造していくこと、その可能性にかけることが大事。上下関係ではない。その生き方は、凄く大変そうだなと漠然と感じる。自分は、最近学校のカウンセリングに通っており、河合さんの本を数冊読んで、そもそも病院の精神科の心理療法と、大学の相談室のカウンセリングを一緒にしたらダメだと感じ、最近興味が湧いていて、自分の将来の職業選択肢のひとつとしてキャリア形成を考えていた部分もあったので、まだ知らなさすぎるなと、否定的にネガティブに思う。カウンセリングの先生と話しながら、その時だけは嘘を付かないように、正直に裸のままで対話を重ねて、それをやってみて、やりたいことなんて何も無かった自分が、仕事として、密室空間でゆっくり人の話を聞いて対話を重ねて、それがその人の明日以降、長い目では死ぬまでの人格形成や、価値観,考え方に強く影響を及ぼす仕事って部分で、それを鏡に自分とも絶えず向き合っていくことが仕事として要求される仕事ってとこで、初めて心の底から興味を持っている仕事なのだが、まぁ、いい面だけしか見れてないのかな?とか考えてしまう。日本では臨床心理士?、知らんけど、カウンセリングを仕事としていくためには、心理系学部の大学院修士課程卒業資格が必要で、もし修士課程に通うために、大学4年間も心理系で学ばないかんのなら、少なくとも6年かかるってことだし、それをするためのお金が莫大にかかるから、それを貯めるための働く期間も必要だし、と、モヤモヤと現実を見た言い訳を続けている。でも、それらをひっくり返してでも、それで生きていけることの価値が、今はいい面ばっかりが見えていて、体をそっち側に放り投げたくなっている。すみません、本から自分の話ばかりになってしまっているのですが、最近本の感想を書く時に、読んだ本の内容なんて、その本がほとんど完璧に書ききっているから、自分なんかが何かその本の内容を分かりやすく整理して意味づけしたりするのが、凄く浅はかでみっともなく思われ、とても難しいと感じるのです。なので、すみません、あまり感想にはなってないかもしれません。でも、凄く読んでて興味深く、面白い本でした。
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1992年2月20日発売の方を読みました。 https://booklog.jp/item/1/4000026909 ほぼ、内容は原書と同じようです。
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河合隼雄の心療医療に対するスタンス、テーマ、大事にしていることがよく分かった。 興味深かったのは序盤の、雨が降らなくて人々が困り果てていた村に、ある男がやってきて、村の中のある小屋に引き篭っていたら、何日か後に雪が降ってきた、という事例である。後で村人が『どうやって振らせたので...
河合隼雄の心療医療に対するスタンス、テーマ、大事にしていることがよく分かった。 興味深かったのは序盤の、雨が降らなくて人々が困り果てていた村に、ある男がやってきて、村の中のある小屋に引き篭っていたら、何日か後に雪が降ってきた、という事例である。後で村人が『どうやって振らせたのですか?』と問うても、『私は何もしていない、ただ、私自身が「道」になっただけだ。』と答えたという。 詳しくは読んで欲しいのだが、心理療法もそれと似たところがあり、治療者がクライエントを治すのではなく、クライエントが自然に良くなるように「寄りそう」のが仕事だそうだ。 面白かった。
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統合失調症の際は「机」ではなく「机そのもの」が見えるために圧倒する。 表層意識と深層意識が混在してしまう状態が「精神病」。深層意識は、表層からすると無秩序だが、深層ではハッキリ意味を持っている。
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心理療法とは一体?というテーマで考察されている。まずは、心理療法のモデルから始まり、意識・無意識のとらえ方、技法とは?、さらに実際の心理療法にまで著者は言及している。とはいえ、「心理療法」を定義すること自体がおそらくは不可能なのであろう。なぜなら、そのひとごとの心理療法が存在する...
心理療法とは一体?というテーマで考察されている。まずは、心理療法のモデルから始まり、意識・無意識のとらえ方、技法とは?、さらに実際の心理療法にまで著者は言及している。とはいえ、「心理療法」を定義すること自体がおそらくは不可能なのであろう。なぜなら、そのひとごとの心理療法が存在するからであり、あるべき姿も、クライエントと治療者の組み合わせごとによって変わりゆくからである。とはいえ、そのように、「答えはない」と言ってぼかしてしまうと、「なんでもあり」となる危険性がある。だから、絶対的にこうあるべきとは言えないが、「こうあればいいだろう」、という形を本著では提示されている、わけである。 それは、簡明に言えば、「治療者とクライエントは対等にある。それは文字通りの意味であり、だから、治してやっている、という意識は持ってはいけないし、基本姿勢としては、非支持的であるのがよい。とはいえ、それに縛られて硬直化してはいけない、よって、臨機応変にあるべし。だが、臨機応変に対応できるためには、相応の訓練が必要である」といった具合である。 河合はだから、「多神教的であるべきだ」と述べている。それは、日本人の得意分野ではないか?と思われる方もいるだろうが、そこで慢心してはいけない。確かに、日本人は多神教を取り入れる素地は持っている。だが、それは、河合曰く、我々が文化的、社会的に、「中空構造」という特質を持っているから、である、としている。真ん中が空だから、あれこれを取り入れられる、そして、それらを混在させられうる。しかし、ここでの問題点としては、その中空部分=中心となりがちだということである。これは、自我と、自己にも対応する。西洋には、絶対神がいる。それが確たる存在として、中央にいるから、「中心統合型」と言える、そして、それが自我の絶対化にも対応してくる。逆に、我々は自己という広い包含性を持ちうるが、その包含性が中心的に統合しようと働き始めれば、我々の視野が狭まるのは言うまでもない。 さて、つまるところ、心理療法とは何であるか?それは定義できないとも述べたが、しかし、自分なりの心理療法に迫ることはできるだろう。そこには、ロジャースの自己実現や、ユングの個性化、というものが挙げられるだろう。 人の中には、「自分を自分足らしめる」ことができなければ、うまく生きれない人がいる。そういう人たちが互いに出会うことによって、互いに自分を自分足らしめようとする出会いの場のようなものであろうか?だから、心理療法家も、クライエントも、両方とも、「生きることが不器用な人間」なのである。両者がお互いに影響を及ぼしあって、自らの個性を実現させていく過程というのが心理療法の場なのであり、だからそれは治療とは少し異なってくる。だが、治療という側面をなくしてしまっては、心理臨床が暇つぶしとして扱われてしまうし、実際に、治療的効果を得る人も多くいるわけなので、実践的見地から、治療という側面を消せない、といった形だろうか。ただ、河合はあれこれいさめすぎてる気がする。あれはいけない、これはいけない、を繰り返しすぎている、というところが問題点だろうか?
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