国際社会への日本教育の新次元 の商品レビュー
中央教育審議会の元会長などそうそうたるメンバー(ほとんどが1930年代生まれ)による共著。第一章世界と日本の教育改革(鳥居泰彦先生)より違和感沸沸。 たとえば教化と教育に関する導入部分で、一般的に言われている森有礼と福沢諭吉の論争はなかった、という根拠として、1、提案した時期が...
中央教育審議会の元会長などそうそうたるメンバー(ほとんどが1930年代生まれ)による共著。第一章世界と日本の教育改革(鳥居泰彦先生)より違和感沸沸。 たとえば教化と教育に関する導入部分で、一般的に言われている森有礼と福沢諭吉の論争はなかった、という根拠として、1、提案した時期がずれている、2、福沢諭吉は森有礼の仲人だったを挙げ、「そのことからみても二人が喧嘩、論争するわけはなかったといえる。」(p.11)と書いているがなんのこっちゃ、である。 また、彼が「見事な前例」として挙げているのが、サッチャーとレーガンの行った教育改革だ。今から20年以上の前の改革。そして彼は自分が「世界を」しるためにテレビ番組をみる、として、そこで挙げられている国はすべて西洋諸国だ。この人に染み付いた欧米崇拝が透けてみる。 最後に一番違和感、というかむしろ嫌悪感まで出てきたのは、「こともたちにとっぴな格好、珍妙きてれつな格好がなぜ珍妙きてれつなのかということを教えなければならない」(p.27)と主張する部分である。そして子供たちに今まで人類がこの世界でどのようにいきてきたかを広く教えることによって、「彼らの中に正常とは何であるか、何が異常であるかというものの感覚」が初めて生まれてくる、と述べている。 この先生の主張で一番腑に落ちなかったのは、この最後の点にあらわれているような古い感覚の押しつけであると思う。存在するものをちゃんと理解することなしに、異常だ、奇妙だ、といいきってしまうその想像力のなさ。 自分が学校の生徒だったら、こういう教育者には「道徳」なんぞ教わりたくないと思った
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