コーダの世界 の商品レビュー
自分はコーダではないけど コーダの逆の環境で育てられた。 聞こえる親の元に生まれ 聞こえない大人を見ることなく育ち 自分が自然に聞こえる人の文化を手に入れ… と思うので、コーダとはちょーぴり似てる。 そのせいか、体験談を読んで 「そうそう!」とか共感するところがあった。 なきそう...
自分はコーダではないけど コーダの逆の環境で育てられた。 聞こえる親の元に生まれ 聞こえない大人を見ることなく育ち 自分が自然に聞こえる人の文化を手に入れ… と思うので、コーダとはちょーぴり似てる。 そのせいか、体験談を読んで 「そうそう!」とか共感するところがあった。 なきそうになったところもある。 それに、自分が親になって子供が聞こえる子供だったら… どんな風に育てる…?手話で育てるか?とふと思ってしまう。
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本人は耳が聞こえるけど、耳の聞こえない親に育てられた――この本の主役「コーダ」とは、そんな「親にろう者を持つ聴者」のこと。聴者の言語文化(「健常者」の言語文化)と、手話を中心としたろう者の言語文化の二つの境界に位置づけられてしまう、そんな存在だ。 例えば、親の持つろう者の言語文...
本人は耳が聞こえるけど、耳の聞こえない親に育てられた――この本の主役「コーダ」とは、そんな「親にろう者を持つ聴者」のこと。聴者の言語文化(「健常者」の言語文化)と、手話を中心としたろう者の言語文化の二つの境界に位置づけられてしまう、そんな存在だ。 例えば、親の持つろう者の言語文化で育ったコーダは、成長につれて自分の行動が周囲と比べて変であることに気づいていく。その時に、コーダはどんな思いをかかえ、どんなふうにふるまいを変えていくだろうか。そして親にはなんと言うだろう。 本書『コーダの世界』では、多数のコーダへの聞き取り調査を軸にして、彼らが二つの言語文化の間でどのような経験をして成長していくのかを描いていく。そして、この二つの言語文化の持つ特徴や力関係もあぶりだしていく。また、こうした経験を(とりわけコーダ同士で)語ることで、コーダの自己物語がどのように変容していくのかという視点を導入している点も、興味深い。 障碍を扱っているので様々な問題提起を含んだ本ではあるし、実際ここには社会的に解決しなくてはいけない問題も出てくるのだけれど、まずはあまり深刻に考えず、コーダという境界人の視点を通して聴者(「健常者」)が自分たちの言語文化のふるまいについて見直す一冊と捉えてもいいと思う。 事例も豊富だし、文章もたいへん読み易い。とても面白いので、できれば新書などで、もっとたくさんの人に読まれてほしい本。
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両親が耳が聞こえないため、僕はまさしくコーダです。 生まれながらにバイリンガル。とはうまく言ったもんだと、ちょっと感心してしまいました。 これはコーダあるあるです。 そんなコーダにとったら当たり前なこととか、コーダならではの苦悩などが本になってしまうことに驚きです。 なんなら健...
両親が耳が聞こえないため、僕はまさしくコーダです。 生まれながらにバイリンガル。とはうまく言ったもんだと、ちょっと感心してしまいました。 これはコーダあるあるです。 そんなコーダにとったら当たり前なこととか、コーダならではの苦悩などが本になってしまうことに驚きです。 なんなら健聴者の両親を持つ人の話しを聞きたいぐらいです。 健聴者の世界にも、聴覚障害者の世界にも入れないんです。コーダって。 自分の周りの大切な人や両親に是非見てもらいたい本です。 少しでもコーダってこうだっていうのを知ってもらいたいな… あっ今の洒落じゃないからねっ!!
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聴覚障害の親を持つ子ども(コーダ)に対してインタビューや アンケートをした結果、得ることができた当事者の声を 読みものとして提示した本書。 内容はわかりやすく、驚きがあったり、ウルッとしたり。 障害を持つ親を持つ劣等感、義務感、葛藤から、聴文化とろう文化の 2つの文化を持つ生き...
聴覚障害の親を持つ子ども(コーダ)に対してインタビューや アンケートをした結果、得ることができた当事者の声を 読みものとして提示した本書。 内容はわかりやすく、驚きがあったり、ウルッとしたり。 障害を持つ親を持つ劣等感、義務感、葛藤から、聴文化とろう文化の 2つの文化を持つ生きている人として自分をとられる受容、喜び、 自信までコーダの生の声が分かり、等身大のコーダがどんな存在なのか具体的に捉えられる一冊となっている。
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後ろにあったシリーズ説明の中から、本書の紹介を転載します。 『生まれながらのバイリンガル?コーダとは聞こえない親を持つ聞こえる子供たち。「ろう文化」と「聴文化」のハイブリッドである彼らの日常生活は驚きに満ちている。親が振り向いてから泣く赤ちゃん。じっと見つめすぎて誤解される若い...
後ろにあったシリーズ説明の中から、本書の紹介を転載します。 『生まれながらのバイリンガル?コーダとは聞こえない親を持つ聞こえる子供たち。「ろう文化」と「聴文化」のハイブリッドである彼らの日常生活は驚きに満ちている。親が振り向いてから泣く赤ちゃん。じっと見つめすぎて誤解される若い女性。手話が「言語」であり「文化」であると心から納得できるコミュニケーション論。』 私は手話は全く出来ません。でも「言語」については興味があり、手話は独立した言語であることは理解しているつもりです。「コーダ」という言葉はつい最近知りました。「Children OF Deaf Adults」の頭文字をとって作られた造語です。 聞こえない親から生まれた子でも、その子が聞こえるならいろいろな手段で(日本で育つなら)日本語を習得します。 そしてあるとき「家は他の家庭とは違う」事に気がつくのです。 この本は子供の側と大人の側双方に、丹念に取材して書かれています。 私たちはつい「ろう者」と「聴者」を分けて考えてしまいますが、一つの家庭の中に両者がいることのほうが多いのだと、この本を読んで改めて知らされました。 その家庭の外の社会は圧倒的に聴者が多い世界なので、ろうの親を持つ聞こえる子供は他の家庭とは違う役割を小さな頃から負わされてしまうのです。それは子供にとって、劣等感になったり、過剰な期待にこたえようとして挫折感を味わったりして親子関係を複雑なものにすることもあります。 このレポートを読んでいてこれはコーダに限ったことではないな、と思うような事例もありました。思春期の親子関係の難しさは、大なり小なり聞こえる親子同士でもあるからです。コーダに関しては思春期の葛藤が、より複雑になるケースがあるのです。でも、コーダだからこそ親を理解しようとして、逆に親に寄り添う子供もいました。 日本のコーダだけでなく、アメリカのコーダについても触れてありました。ちょっと驚いたのは、同じような体験に対する評価がずいぶん違うことです。 でもそれは当たり前のことで、アメリカと日本の社会が違うからなのです。コーダはそれぞれの社会で生きているわけなので。同じ出来事に対し、プラス評価かマイナス評価かを見ると、日本とアメリカの価値観の違いがはっきりしてすごく興味深かったです。 今まで知らなかった「コーダの世界」をこの本で丁寧に教えてもらったことはとても良かったです。 ろう文化やコーダに関心の無い人でも、親子関係を考えるきっかけになる良書だと思いました。
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学院の授業で使ったテキスト。コーダを真正面から取り扱った本としては日本では初めて。画期的。コーダを扱う本が増えることを望む。
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医学書院の「シリーズ ケアをひらく」はどこまで入ってるかなと近所の図書館の蔵書検索をしたら、これも入っていたので借りてきた。 「コーダ」とは、CODA(=Children of Deaf Adults)、聞こえない親のもとに生まれた聞こえる子どものことをさす。聞こえない親に育て...
医学書院の「シリーズ ケアをひらく」はどこまで入ってるかなと近所の図書館の蔵書検索をしたら、これも入っていたので借りてきた。 「コーダ」とは、CODA(=Children of Deaf Adults)、聞こえない親のもとに生まれた聞こえる子どものことをさす。聞こえない親に育てられることによって、聞こえない人の文化「ろう文化 Deaf Culture」を受け継いでいる一方で、聞こえる文化「聴の文化」にも交わっているというバイカルチュラルな存在であることが多い(育てられ方の違いや個人差も大きいが)。 そんな「手話の文化と声の文化」に両の足をおくコーダから聞き取った語りをもとにしたのがこの本。おもしろくて、ぐいぐいと読んでしまった。手話をほそぼそと続け、ろう者とつきあってきた中で、手話を始めた頃には「えっ」と思っていたことや違和感があったことが、今の私はあまり気にならなくなっていたりする(たとえば指差し、見た目への言及)。 コーダの世界は、私がろう者とのつきあいの中で知るようになったことを見せてもくれる。聞こえない親と暮らすことでコーダが身につけてきた言動(ろう文化)が聴の文化とズレている例をいろいろ読んでいると、聴の世界でアタリマエのことはろうの世界では必ずしもアタリマエではないという文化の違いがわかるなあと思う。 親が聞こえないことで、子どもの頃から「通訳」を求められがちなコーダ。大人の話を子どもの語彙で伝えるのは無理もある。 聞こえない親の、その親の世代、コーダにとって祖父母の世代は、聞こえることが多い。聞こえない親から生まれる子の9割は聞こえる子だし、聞こえない子どもの親の9割は聞こえる。そのことで、あるコーダが語っていることが印象深い。 ▼私らコーダが声をあげなければいけないのは、ろう者を育てる聞こえる親に対して。ろう者が結婚して子ども生んだら、たいていはコーダになるから、聞こえる親にはそういうことも考えて子育てをしてもらいたいなって思う。今でこそ、ろう児を手話で育てようという聞こえる親も出てきているけど、やっぱり「聞こえない我が子を聞こえる人に近づけたい」というのも強い。 でも、そうやって口話で育ったろう者が大きくなって子どもを持つと、やっぱり親子のコミュニケーションができていなかったりする。聞こえない親とコーダでも、口話だけの会話やったら成り立たへん。親子関係がつぶれてしまう。だからこそ、ろう児は手話で育ってほしい。手話のやりとりのなかで、自分の気持ちをまとめたり整理したりして、伝える力を身につけてほしい。そして、そうやって育ったろう者には、コーダを手話で育ててほしいって、最近強く思う。(p.110) 大阪市立聾唖学校で、手話こそが聾唖者の母国語だと言い、心の問題まで完全に発表できるのが手話だと言った高橋潔の主張は、たとえろう者が発声によって自分の言いたいことを伝えたとしても、それに対する反応を充分に受けとめ、やりとりすることは音声言語によっては困難だというコーダたちの観察につながっている。 「コーダ」にとっての「ろうの声」のところも、そうなのか~という発見だった。親の声真似が流行ったという話や、父に絵本を声で読んでくれとせがんだ話… そういうコーダにとっての「ろうの声」の話を、著者はこう書いている。 ▼ろう教育でも、聞こえる人の世界のなかでも、ろうの声は、その発音の違いや明瞭かどうかだけを気にされすぎる。コーダにとっての親の声は、そういうものではない。Kさんの話からは、そうした親子のなかでの声の存在感が立ち上ってくる。(p.153) 文化と文化のちがい、異文化のはざまのことを書いた本としては、亀井伸孝さんの『手話の世界を訪ねよう』にも通じる好著。買おうかな~
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