コーダの世界 の商品レビュー
分厚すぎて読みづらいかなと思ってたらさらっと読めた。何故なら自分にも思い当たることがあるからだ。ただ、自分に当てはまらないケースもあるので話半分に読んだ方が吉。全員が全員これに当てはまるわけではなく、こういうケースもあるぐらいにとどめた方が良い。 ただ、人生を追跡しているので、自...
分厚すぎて読みづらいかなと思ってたらさらっと読めた。何故なら自分にも思い当たることがあるからだ。ただ、自分に当てはまらないケースもあるので話半分に読んだ方が吉。全員が全員これに当てはまるわけではなく、こういうケースもあるぐらいにとどめた方が良い。 ただ、人生を追跡しているので、自分にとってかなり参考になった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』でコーダに関心を持ち、こちらの本も読んでみました。 手話は一つの言語だということ、それゆえ、ろう者と聴者の思考パターン、表現の仕方が違うということがわかり、非常に興味深かったです。 後半は、コーダの葛藤、苦悩について述べられています。その多くのことが聴者との関わりから生まれてくるのだとわかりました。 聴者に出来ることは、コーダに対する深い理解だと思いました。
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Children Of Deaf Adults…聞こえない親を持つ聞こえる子どもをコーダと呼ぶが、子どもが通訳者のように扱われたり、ろう文化の中で育ち、聞こえる文化とは違う経験をしてきていることが理解されにくく、常識がないと思われることもあるなど問題があるということが分かった。 ...
Children Of Deaf Adults…聞こえない親を持つ聞こえる子どもをコーダと呼ぶが、子どもが通訳者のように扱われたり、ろう文化の中で育ち、聞こえる文化とは違う経験をしてきていることが理解されにくく、常識がないと思われることもあるなど問題があるということが分かった。 ろう文化の豊かさがとても興味深い。手話は大切な言語で、ろう者は、子どもが聞こえたとしても、手話で育てて十分に気持ちを伝え合うことが大切だと思った。
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最近、映画で話題になっていたりするけれど、この本を知るまでCODAと言う言葉も知らなかったし、その存在を意識したこともなかった。 ろう者の出てくるマンガやドラマは見たことがあるはずなのに、知らないことばかりだった。ろう者と聴者は同じ国で育っても違う文化を持つこと。聴者として、日本...
最近、映画で話題になっていたりするけれど、この本を知るまでCODAと言う言葉も知らなかったし、その存在を意識したこともなかった。 ろう者の出てくるマンガやドラマは見たことがあるはずなのに、知らないことばかりだった。ろう者と聴者は同じ国で育っても違う文化を持つこと。聴者として、日本で生活してきた私はろう者の文化には違和感を抱く。違和感になってしまうのは、日本人のろう者なら同じマナーを共有していると思い込んでいるからなのだろう。「聞こえないこと」以上にに見えにくい「文化の違い」という壁の存在。そしてその壁の影に、聞こえる子どもがいることもある。
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同僚からおすすめされた本です。 コーダ(CODA Children of Deaf Adults)については、以前『デフ・ヴォイス』という小説を読んだことで知識として走っていました。 その「コーダ」がどのようにこの日本社会で生活し、何を感じ、何を考えているのかを、彼らの体験談(イ...
同僚からおすすめされた本です。 コーダ(CODA Children of Deaf Adults)については、以前『デフ・ヴォイス』という小説を読んだことで知識として走っていました。 その「コーダ」がどのようにこの日本社会で生活し、何を感じ、何を考えているのかを、彼らの体験談(インタビュー)をもとに明らかにしてゆきます。 コーダと「ろう」の親子の関係も、聴者の親子関係と変わらないこと、手話も一つの言語であり「ろう文化」という文化体系を持っていることなど、パッと見ると、「ろう」とコーダも聴者と同じ人間であり、言語や「張力」などの差はあれど、意思疎通を図り互いの理解を深めることで、よりよい社会を構成できる、という結論に走りがちです。 もちろん、これが理想なのですが、そううまくはいかないのが実際で、そこには「ろう文化」が日本社会において確固たる地位を保証されていないマイノリティ集団であることや、「聞こえない」人への一種の差別的な(劣っている(部分がある)と見る)扱いが残っていることが原因でもあります。 そして、コーダはその「厳しい社会の目」から親を守るために早く精神的に大人になろうとしますし、過剰な期待をかけられたり(親からは「聞こえるのだから」と、また周りの大人からは「親に通訳して」と難しい”大人の会話”を小学生のころから通訳させられたり)して、自らの環境を苦痛に感じたり、周囲から「大変だね」と気遣われることに応え立ちを感じたりするようになります。 しかし、こういったストレスを発散するための仲間(同じ環境で育ったコーダ)との交流を、すべてのコーダが持っているわけではありません。 この本を読んで、すぐに「コーダのことがわかった」ということはできませんし、彼らと(あるいは彼らの「ろう」の親と)同じ価値観を持ったり、互いを尊重した平等な社会を作り上げたりすることも難しいのが現実だと思います。 コーダかそうではないか、に関係なく、人はそれぞれに「背景」があり、その背景(環境)が積み重なって育ってきたこと=自分と違う行動や思考をするからといって必ずしも「劣っている」というわけではない、ということを読み取ってもらいたい、と思います。
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CODA=Children of Deaf Adults。聞こえない親をもつ健聴の子どもを指す。ろう文化と聴文化を行き来する存在。当事者たちの発言やインタビューが多く掲載され、ろう文化への愛情と誇りが感じられる内容だった。 メインはそれぞれの親子関係の物語だろう。だがそれと同時...
CODA=Children of Deaf Adults。聞こえない親をもつ健聴の子どもを指す。ろう文化と聴文化を行き来する存在。当事者たちの発言やインタビューが多く掲載され、ろう文化への愛情と誇りが感じられる内容だった。 メインはそれぞれの親子関係の物語だろう。だがそれと同時に、ろうの手話話者という言語的少数派へ経済的な不利益が複層的に課される社会的構造の問題にも触れてある。 「ろうの声」に関する愛着とスティグマの記述が興味深かった。 それから、聴者がもつ「コーダなら通訳できるだろう、理解できるだろう」という甘え。これは反省しなければと思った。こうした甘えはモノリンガル文化で特に根強いのではないだろうか。私は仕事で英語の翻訳通訳をすることがある。どの言語間であれ、翻訳通訳はかなりストレスのかかる作業だ。これを子供の頃から日常生活で行うことを期待されていたら、誇りに繋がることもあるかもしれないが、境遇や周囲の反応によっては、手話と口話の両言語を操れることに嫌気がさしたり、自分の能力に自信を失ったりしても全くおかしくないのではと思う。 全体に興味を惹かれる内容で、読んで良かったと思うが、ひとつだけ気になる(半信半疑の)点がある。最終章のコーダ同士は互いの悩みを理解できるという点だ。「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」というのは有名なアンナカレーニナの冒頭に出てくる言葉。私は両親ともに人格的な障害のある家庭で育ったが、兄弟以外で苦労を半分も理解してくれる人にいまだ会ったことがない。 コーダである故に遭遇しがちなエピソードや、実際的な不都合は共有できるだろうが、コーダならその悩みが理解できるというのは、あまりに単純化した言い切りではないか。もちろん、著者も聴こえない人のいる家庭の多様性を繰り返し強調しているから、著者がここで言わんとすることを私が読み違えているのかもしれない。 ただ自戒を込めて、「ろうだから」「コーダだから」「健聴者だから」という何らかの期待をもって接することは、ある程度利点のあることだが、相手の個人性を軽んじることになりかねないことに留意したいと思った。
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この本の著者はろう者でもコーダでもない聴者です。決して知ったかぶりをしたり、踏み込み過ぎたりせず、聴者としての立場から冷静に「コーダの世界」を描写しているので、手話勉強中の聴者(私のような)にも読みやすい内容です。 p19 「猿が進化して人間になるまで」をやって見せてくれたろ...
この本の著者はろう者でもコーダでもない聴者です。決して知ったかぶりをしたり、踏み込み過ぎたりせず、聴者としての立場から冷静に「コーダの世界」を描写しているので、手話勉強中の聴者(私のような)にも読みやすい内容です。 p19 「猿が進化して人間になるまで」をやって見せてくれたろう者って、もしかして……? p47 「動いているものが軌跡のように残って見える」って、そうなのか! あー、空書の文字がすんなり読めるのは、そういうわけで……。その力、とてもとてもうらやましい。 p91 「中心的な通訳となりやすいのは、年上のコーダ、または、長女にあたるコーダである」というのは、『手で笑おう―手話通訳士になりたい』に出てきた状況とも同じ。なるほど、「女の子」「男の子」で立場が分かれるのではなく、長子かどうかでも違うんですね。 手話やろう者に関する本を読むと、毎度自分の理解不足を思い知らされ落ち込んでいた私ですが、最近はだいぶ割り切れてきました。まず100%理解しようなんて高望みしても無理。一つ一つ知って、なるほどと思って、覚えておく。とにかくその積み重ねですよね。知識も手話の技術もまだまだまだまだで、やっぱり落ち込んでしまいますけど。
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ろうの親をもった子どもをコーダと呼ぶらしい。コーダのコミュニケーションの仕方が、それ以外の子どもたちとどのように違うかというなかなか面白い研究書。
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Children of deaf adults、 略してCode。 耳の聞こえない親を持つ子どものことです。 聴者の世界で当たり前のことが、 ろう者の世界では当たり前ではない。 その逆もまたしかり。 二つの文化の架け橋となる人々の苦悩や発見が、 聴者の世界しか知らない私にと...
Children of deaf adults、 略してCode。 耳の聞こえない親を持つ子どものことです。 聴者の世界で当たり前のことが、 ろう者の世界では当たり前ではない。 その逆もまたしかり。 二つの文化の架け橋となる人々の苦悩や発見が、 聴者の世界しか知らない私にとっての新たな気付きにつながっていきます。
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ろうであること、とコーダとして育つことを文化と規定するのは理解できるし、意義もある。が、結局のところ、「文化なんです」で終わってしまっているのが、なんともお粗末。なんで、このシリーズに加わったのか疑問。
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