アウシュヴィッツ以後の神 の商品レビュー
第1次大戦はユダヤ人にとってドイツ社会の大きな曲がり角だった。中流階級のユダヤ人の志願率は高かった。ドイツのユダヤ人は10万人が動員され、12,000人が戦死した。10万人は当時のユダヤ人口の2割にあたり、その出生率はドイツ人一般より高かった。順応した、あるいは順応できたユダヤ人...
第1次大戦はユダヤ人にとってドイツ社会の大きな曲がり角だった。中流階級のユダヤ人の志願率は高かった。ドイツのユダヤ人は10万人が動員され、12,000人が戦死した。10万人は当時のユダヤ人口の2割にあたり、その出生率はドイツ人一般より高かった。順応した、あるいは順応できたユダヤ人にとって、ドイツは愛する祖国であり、その愛国心は自分たちの他者性を自覚しているがゆえにいっそう熱烈になった。だがドイツのユダ人が愛国心をもてたのはこの時期までだった。
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ホロコーストと信仰の関係について気になり手に取った本。 アウシュヴィッツを経て、ユダヤ人は神に見捨てられ不信仰になったという話しをあまり耳にしたことがなく、あの惨事の中、そしてその後、迫害された人々は神とどう接したのか知りたい気持ちがありました。VEフランクル、Eレヴィナス、そしてHヨーナスを読んで、共通して感じたのは、信仰は揺るぎないということでした。 この本の中身は宗教ではなく哲学の内容でしたので、信仰とは異なりますけども、アウシュヴィッツ以降の神を、次のように表してました。"神は沈黙しました。神はそれを欲したからではなくて、そうできなかったから、介入しなかったのだ。”、"神が力を断念したのは、人間の自由をゆるすためです。” 全能で普遍的なものに対し、長い時の流れの中でとらえ方も変遷するのかなという感じです。自分としては、そうかも知れないし、正直よくわからないというところですが、人が選択する自由を与えられているというとこに共感します。良い行い、悪い行いのどちらも、人が選ぶんだと。同じ一神教ながらユダヤ教との違いに気付かされたことと、自分の信仰にアドバイスを与えてくれた感じがしております。 ナチスによる迫害は、人の意思により実行された結果であり、人はホロコーストの惨劇が再び繰り返されることのないよう、人の手で努力するものなのかと思います。しかしながら、世界のいろいろなところで(スプレニッツア、ルワンダなど)惨劇は起こり、現実には、繰り返さないことへの困難がつきまっとっています。 ケネディ大統領の演説の一節にある、崇高で希望ある言葉を信じていきたいものです。 "Our problems are manmade--therefore, they can be solved by man"
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いま、「神について語ること(テオロギア)」は果たして可能か。ユダヤ人哲学者H・ヨナスの重厚な思索の軌跡 本書には、『責任という原理』で名高いユダヤ人哲学者ハンス・ヨーナスが「神」をめぐる思索の軌跡(講演と論考)が三編ほど収録されている。日本の思想業界では……現代思想の文脈においては……なじみの薄い哲学者の一人だが、グノーシス研究の泰斗であり、生命倫理学、責任原理に関するその深い考察は、現代世界をいきる者が傾聴せざるを得ない迫力をもっている。 ハイデガーに影響を受け、戦中は対独戦(イギリス軍のユダヤ旅団)に参加し、戦後はアメリカに渡ったヨナス。経緯を見るとアーレントを想起してしまうが、学生時代から終生、彼女の親しい友人の一人であったという。 そのヨーナスが晩年に注視したのが「神」についての思索である。その出自のとおり、ヨーナスもアウシュヴィッツの悲劇と無関係ではない。母を絶滅収容所で失った彼にとって「アウシュヴィッツ以後の神」を問うことは必然でもあろう。 なぜ神はアウシュヴィッツのような惨劇を防ぐことができなかったのか。 「アウシュヴィッツの霊たちが黙せる神にむかってあげた長くこだまする叫びにたいしてなにがしかの答えのようなものを試みる、そのことを断念しないことこそ、その人びとにたいする責務である」。 ヨーナスは、神の実在を証明しようなどとは気負わない。それが不可能であることは承知しつつも、哲学者にとっての「神概念」として扱おうともまたしないのである。 冒頭で神の沈黙を端的に次のように指摘する。 「神はそれを欲したからではなく、そうできなかったから、介入しなかったのだ」。 ここから、アウシュヴィッツの悲劇を前に、神を「苦しむ神」「生成する神」「気づかう神」「全能ではない神」として捉え直す。この世界の悲劇に救い奇跡を介入することのできない神として向き合うのだ。そして眼差しを人間へと深く向けていく。ヨーナスにとって「介入できない」ことは問題ではない。それ以上に課題となるの、人間自身の手によって「神的なるもの」が毀損されつつある世界において、人間自身が、それを守り助けなくてはならないと考えるのである。 これは弁神論でもなければ、理神論でもないし、伝統的な神概念と異なるものでもあろう。しかし、ヨーナスの論考は、アウシュヴィッツの悲劇だけの問題に留まらない。宗教や文化、そして民族を超え、「悪なるものの」を不可避に内在させる人間という普遍的な問題であるからだ。 「アウシュヴィッツは私にとって神学的なできごとでもあった」。 思い起こせば、同じ年に生まれたアドルノが「アウシュヴィッツ以降詩を書くことは野蛮である」という言葉を残しているが、その意義ははるかに重いものがある。 なお本編のほか、訳者の品川哲彦氏による長文の論考「ハンス・ヨーナスの生涯」と丁寧な「解題」も収録されており、ヨーナスの生涯とその思想を確認する上でも非常に有益である。 〔目次〕 凡例 第一章 アウシュヴィッツ以後の神概念――ユダヤの声 第二章 過去と真理――いわゆる神の証明にたいする遅ればせの補遺 第三章 物質、精神、創造――宇宙論的所見と宇宙生成論的推測 訳 註 ハンス・ヨーナスの生涯 解題 引用文献 初出一覧 訳者あとがき
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[ 内容 ] 絶滅収容所という絶対悪が現実に生起した世界にあって、「神」とは何を意味するのか。 20世紀西欧思想の核をなすユダヤ的問題のアポリアを生き抜いた哲学者が、歴史の暴力の神学的意味を問い、破局の後にもなお生き延びる「神」の概念、および人間的倫理のかたちを探った論考三篇を収...
[ 内容 ] 絶滅収容所という絶対悪が現実に生起した世界にあって、「神」とは何を意味するのか。 20世紀西欧思想の核をなすユダヤ的問題のアポリアを生き抜いた哲学者が、歴史の暴力の神学的意味を問い、破局の後にもなお生き延びる「神」の概念、および人間的倫理のかたちを探った論考三篇を収録。 訳者による詳細な註・解題、著者小伝も付した決定版邦訳。 [ 目次 ] 第1章 アウシュヴィッツ以後の神概念―ユダヤの声 第2章 過去と真理―いわゆる神の証明にたいする遅ればせの補遺 第3章 物質、精神、創造―宇宙論的所見と宇宙生成論的推測 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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