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ヨーロッパに架ける橋(上) の商品レビュー

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2011/09/18

冷戦といえば、だいたいにおいて米ソの対立が想起されるが、その象徴的な土地と言えばそのどちらでもなく、多くの欧米人はドイツを思い出す。その時代においてドイツは、分断され翻弄され続けた、奇妙な言い方をするならば冷戦の寵児とも言えるような存在であった。 では彼らは常に従属的な存在であっ...

冷戦といえば、だいたいにおいて米ソの対立が想起されるが、その象徴的な土地と言えばそのどちらでもなく、多くの欧米人はドイツを思い出す。その時代においてドイツは、分断され翻弄され続けた、奇妙な言い方をするならば冷戦の寵児とも言えるような存在であった。 では彼らは常に従属的な存在であったか。その一つの答えが本書にある。 西ドイツはいかに統一を推し進めるため尽力をしてきたのか。彼らは、ドイツ問題をヨーロッパ全体の問題として捉えた。そして東ドイツに対して、ソ連に対して、また西ヨーロッパに対しても彼らは配慮をし、様々な対応を取ってきた。そしてガートン・アッシュは実際に、その対応が冷戦終結全体に影響を及ぼしたとまで主張する。その意味においてドイツ外交とは、主体的な影響の持ち主であった。 本書はそうしたドイツ外交に関する文献としてはきっとピカ一に面白いだろう。大量のレトリックを駆使した、あまりに流麗な筆致に、読み手はうならされる。また資料も、一般的に使われる史料のみならず、統一に関わる大量の当事者によるインタビューまで駆使しているから、何よりも一つのドラマとして読み進められる。昨今の外交史の文献としてはその照射は恐らく広すぎて、アカデミックな評価は必ずしも高いとは言えないかもしれないが、しかしダイナミックさにおいては抜群である。 しかしながら努力と結論が結び付くかどうかは解らない。それは本書についても言えるし、西ドイツ外交にも言えることだろう。つまり、本書においては冷戦終結まで駆け抜けているが、ヨーロッパにおける終結とは、東欧における革命から始まった。それは人々の動きであった。であるからその原因を調べるためには彼らの認識がどのようにもたらされたか言わなければならないのだが、これを分析することはあまりにも難しい。多くの西ドイツ指導者の試みとそれが結び付けられないと、彼らの外交の評価は出来なくなる。しかしながら本書の下巻の後半部はあまりに駆け足すぎて、何も言いえまい。今後の研究次第となるか、仮説の応酬になるか、それは知らない。

Posted byブクログ

2009/12/23

今年の冬休みはこの作品をよむはず。 去年の冬休みはトニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』を読むはずだった。

Posted byブクログ