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ドイツ参謀本部 の商品レビュー

4.1

12件のお客様レビュー

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2024/05/04
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ドイツ参謀本部のはしりは、フリードリヒ大王の幕僚のアンハルトに始まる。当時の参謀部とは戦時のみの暫定組織であり、また参謀も無名の存在だった。 やがて、フランス革命をうけてその国民軍の脅威から、シャルンホルストはプロイセンの軍事改革を自薦して任される。その同僚のマッセンバッハによって、常備の参謀が設立される。シャルンホルストは戦病没するが、その後を襲ったグナイゼナウは、対ナポレオン戦争に対し、フランス軍を包囲し、ナポレオンには直接当たらず他の部隊を叩く持久戦・ゲリラ戦法で遂に勝利を収める。 ナポレオン戦争後のヨーロッパには、ジョミニの戦争概論とクラウゼヴィッツの戦争論の二つの著書が発行されたが、戦争論は他国に知れずプロイセン参謀内で知られるだけだった。しかし、モルトケはじめとするプロイセン参謀がその意を理解し動いたことで、プロイセンは普墺戦争・普仏戦争を勝ち抜く。モルトケとビスマルクは個人的仲は悪かったが、二正面作戦をしなくて済むことや、開戦そのものは首相に服すなど協力して勝利を得ていった。 モルトケ後の参謀本部は、無名性が失われ、組織は肥大化し、権限は拡大していった。第一次大戦では従来よりの教育施策により参謀たちスタッフは充実していたが、指揮官や指導陣らリーダーに人材を得ずドイツは敗北する。しかし次の大戦ではヒトラーは強力すぎるリーダーとして振る舞い、参謀本部と対立する。リーダーとスタッフの両立は誠に難しい。

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2023/09/04

最初に読んだ時は第一次大戦を経て強いリーダーを望む声がヒトラーを生み出してしまったという記載が印象に残っている。もう一度読んでみたい。

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2019/09/10

第二次大戦までのドイツ参謀本部の歩みをリーダー(政治家)とスタッフ(軍部)のせめぎ合いの視点から追いかけた本。シンクタンクのような近代の大組織の原型の一つはドイツの参謀本部に求めることができる。

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2018/09/26
  • ネタバレ

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メモ ①三十年戦争(1618〜1648年)後の絶対王権の時代 ドイツのカトリックvsプロテスタントの争いに端を発し、様々な利害関係から周辺諸国が参加し、泥沼化した、最後の「宗教戦争」 →30年間で戦場となったドイツは荒廃し、人口は30年間で1/3(1800万→600万)になったとも言われる。 →三十年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約以降、戦争は絶対君主の常備軍(せいぜい1万〜MAX10万人程度)による「制限戦争」で、庶民には関係のないこと。 →君主同士のゲームのようなもので、戦争は好むが、戦闘は恐れる(大切な常備軍を失うので) そんな中、1740年に即位したフリードリヒ大王は大国(オーストリア・ハプスブルク帝国、フランス、イギリス、ロシア)に囲まれて、1756〜1763の七年戦争を戦った。 忠誠心の極めて高いユンカー貴族による常備軍を動員し、戦闘を恐れず、早い進軍で敵の補給路を断つ戦略で大国と渡り合った。 その影には最初の参謀総長と呼ばれる、ハインリヒ・ヴィルヘルム・フォン・アルハルトの存在があったが、目立たない。参謀の無名性の代表。 ②フランス革命(1789〜1799)とナポレオンの時代 上記のような絶対君主の常備軍による制限戦争の流れを一変させたのがナポレオンである。 ナポレオンは「自由」「平等」「博愛」をスローガンに国民主義(愛国心)を高め、一般民衆を戦闘に駆り立てた。 → ナポレオンの強力なリーダーシップのもと、徴兵制の活用、野営による飛躍的な行軍速度の向上、師団制による高い機動力などにより、ヨーロッパを席巻。 これに対抗策を生み出したのが、プロイセン参謀本部の父と呼ばれるシャルンホルストである。 シャルンホルストはナポレオンが生んだ大きな変化に適応するため、プロイセンを絶対君主制かつユンカー貴族による常備軍から、臣民の市民化とそれに基づく国民皆兵制の導入、そして将来を担う将校の養成に取り組んだが、改革を進めようとする彼への風当たりは強く、穏健改革派にも関わらず「ジャコバン派」と呼ばれ、冷遇された。 しかし、人格的にも優れたシャルンホルストの元にはグナイゼナウやクラウゼウィッツなど優秀な部下が育ち、徐々に参謀本部が形作られていった。 シャルンホルストとグナイゼナウによる対ナポレオンの消耗戦戦略により1813年ライプツィヒの戦いで敗戦、復活後の1815年ワーテルローの戦いでも撤退からの側面攻撃戦術で撃破した。 ③ドイツ参謀本部の時代 ナポレオン後のヨーロッパは、1814〜15年のウィーン会議におけるオーストリアの外相メッテルニヒの主導により、反動保守的な体制となった。 1861年、ヴィルヘルム1世が64歳にして即位。その下で、首相ビスマルク、参謀総長モルトケの最強のコンビネーション(リーダー=政治、外交、スタッフ=戦術、戦闘)が生まれ、1866年の普墺戦争、1870年の普仏戦争という短期決戦でドイツ統一を成し遂げた。 その背景は、「ドイツは周辺を強国に囲まれながら自然の要害がなく、安全保障面から、ドイツ統一が必須である」というクラウゼウィッツの認識を2人が共有し、ビスマルクは卓越した外交で多正面戦線を避け、モルトケが卓越した戦術(鉄道を生かした分散進撃、決戦集中、包囲攻撃)により、各戦線で勝利したことがある。 そしてこの時代こそが偉大なリーダーとスタッフの共存による、ドイツ参謀本部の絶頂期であった。 ④その後 絶頂期はその後の下降への危険を内包している。 それは第一次世界大戦ではスタッフばかりが育ち、戦闘に勝ちながら苛烈なヴェルサイユ体制に追い込まれた政治的リーダーシップの不在として現れた。 スタッフ側には有名なシュリーフェンプランがあった。多正面作戦(フランスとロシアを共に相手にする)を前提に、6週間以内にフランスを殲滅させ、その間の犠牲は厭わない、肉を切らせて骨を断つ作戦であったが、リーダー不在のもと徹底されず、また戦闘での勝利を外交的勝利に導ける政治家がいなかった。 その反動で第二次世界大戦では強力すぎる政治的リーダー=ヒトラーのもと参謀スタッフが悉く否定され、敗戦を喫する結果となった。

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2016/02/14

ドイツ参謀本部の歴史のみならず、ドイツを軸とした近代欧州戦史を概観する良書 最後の言葉が胸に刺さる 「"リーダー"と"スタッフ"のバランスにこそ」

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2013/11/28

もともと随分昔のものなんですが推薦してくれた人がいたので読んでみました。18世紀から第二次大戦前までのドイツ(プロイセン)の軍事史が概観できます。西洋史をほとんど知らない私にもよく分かりました。 参謀本部という大局を鳥瞰し全体の戦略を決定できる組織の形成がドイツの隆盛を可能にした...

もともと随分昔のものなんですが推薦してくれた人がいたので読んでみました。18世紀から第二次大戦前までのドイツ(プロイセン)の軍事史が概観できます。西洋史をほとんど知らない私にもよく分かりました。 参謀本部という大局を鳥瞰し全体の戦略を決定できる組織の形成がドイツの隆盛を可能にしたといいます。外交も見据えたリーダーと軍事的スタッフがともに天才的に優秀でバランスがとれていることが条件であるというのが本書の教訓です。 ただ「まえがき」と「おわりに」は蛇足のような気もしました。

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2013/09/26

前半は筆者が指摘するように、フリートリッヒ、プロイセンといった近代に至る歴史の記述に多くのページが割かれています。 カタカタだらけで世界史を知らないだけに、前半は?って感じでした。 モルトケという名前を聞いたことはあったが、どういう人だったかが知れたことは収穫でした。 終焉の説明...

前半は筆者が指摘するように、フリートリッヒ、プロイセンといった近代に至る歴史の記述に多くのページが割かれています。 カタカタだらけで世界史を知らないだけに、前半は?って感じでした。 モルトケという名前を聞いたことはあったが、どういう人だったかが知れたことは収穫でした。 終焉の説明が足らずかな。概略本ですな。

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2013/06/13

参謀本部の起源から第二次世界大戦までの歴史を俯瞰して見ることが出来る良書。それにしてもドイツ人は戦争を単なる殺し合いの方法論とみなさず、政治の延長線うえの活動であるとし、そのシスティマテックな軍隊の運用には、思わず、なぜこれほどの頭脳集団が見え見えの戦略的退却をしていたソ連に弄ば...

参謀本部の起源から第二次世界大戦までの歴史を俯瞰して見ることが出来る良書。それにしてもドイツ人は戦争を単なる殺し合いの方法論とみなさず、政治の延長線うえの活動であるとし、そのシスティマテックな軍隊の運用には、思わず、なぜこれほどの頭脳集団が見え見えの戦略的退却をしていたソ連に弄ばれるかのような敗戦を喫したのか?不思議な感覚と残念な感覚に囚われた。 クラウゼビッツやマハンを超えるような戦略家が登場しても、参謀本部以上に強力な用兵方法論はもう考案されることはないだろうとおもう。

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2011/11/20

両雄並び立たずの数少ない例外であるビスマルク・モルトケ。仲が悪かったと言われる両者だが、お互いの能力は認め合っており、ドイツ統一のため協力してそれぞれの任務を果たして行く。他人の足を引っ張ることしか考えていない現代日本の政治家とは格が違う。

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2011/05/13

ドイツの歴史から参謀本部の果たしてきた役割を探る。 シャルンホルスト、グナイゼナウ、クラウゼヴィッツやモルトケと言った耳にしたことがあるかもしれない参謀達がいかにして、頭脳組織の参謀本部をつくり、国家のために役目を果たしてきたかがわかる。 本書の内容を信じれば、組織には広い視...

ドイツの歴史から参謀本部の果たしてきた役割を探る。 シャルンホルスト、グナイゼナウ、クラウゼヴィッツやモルトケと言った耳にしたことがあるかもしれない参謀達がいかにして、頭脳組織の参謀本部をつくり、国家のために役目を果たしてきたかがわかる。 本書の内容を信じれば、組織には広い視野を持ったリーダーと、様々な情報から手段を検討する参謀が必要だ。 本書では、ほとんどが参謀の視点から書かれているため、なおさらリーダーの存在が強調されるように思う。 組織のあり方を考える上で非常に重要な一冊。

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