最新・新宗教事情 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
・麻原も、このティローパとナローパの話についてくり返し語っている。そして、グルに対する絶対的な帰依を強調し、“グルのクローン化”を勧めるまでにいたる。麻原は、1988年10月2日の富士山総本部道場での説法で、次のように説いている。 金剛乗の教えというものは、もともとグルというものを絶対的な、立場において、そのグルに帰依をすると。そして、自己を空っぽにする努力をすると。その空っぽになった器に、グルの経験、あるいはグルのエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせると。つまりグルのクローン化をすると。あるいは守護者のクローン化をすると。これがヴァジラヤーナだ。 ・昔は家を存続させることが重要で、そのために争いごとが起こり、そのストレスから病が起こった。現代のサラリーマン社会では、家を存続させるという観念は希薄だし、その必要性は乏しい。むしろ、家の重みがなくなったことが問題で、未婚率が上昇し、少子化が進むことで、家族の規模はより小さなものになっている。家を持つことで生まれる苦しみよりも、家を持つことのできない苦しみの方が問題化している。
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「おひとりさま宗教の場合には、個人の精神的な救済、つまりは「癒やし」が中心的な課題で、運動は社会性をもっていない。癒やしに対する需要は、経済状況がどうなろうと変化することはないであろう」 ー 263ページ この「おひとりさま宗教」が島薗進の「新霊性運動/文化」と果たしてどの程...
「おひとりさま宗教の場合には、個人の精神的な救済、つまりは「癒やし」が中心的な課題で、運動は社会性をもっていない。癒やしに対する需要は、経済状況がどうなろうと変化することはないであろう」 ー 263ページ この「おひとりさま宗教」が島薗進の「新霊性運動/文化」と果たしてどの程度違う射程を想定しているのかに興味はあるが、やはり僕自身の関心である「遊び」を主体とした宗教とアートの中間領域とは想定範囲が異なるように思う。 この相違を単に時代性に回収するのか、あるいは能動/受動のように別軸で捉えるかはこれから考えるところだけど、とりあえず今はあまりにも宗教の機能を「救い」とか「癒やし」に回収しすぎているのは間違いないので、別軸を提案してみたい。
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