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物語論で読む村上春樹と宮崎駿 の商品レビュー

2.9

14件のお客様レビュー

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2022/06/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

村上春樹作品は少し読みましたし、宮崎駿作品はほぼ観ているけれど、どちらも「自己実現するのは女の子」という共通点があるのにはびっくり。確かにジブリ作品は女の子が主人公の作品多いなとおもってたけど言われてみれば。。 宮崎駿作品の中で個人的に1番意味がわかってない『崖の上のポニョ』、もう一度観てみようかなと思いました。 村上春樹作品は、小説じゃないインタビュー集の「アンダーグラウンド」が面白かったんだけれど、「誰か他の人の物語を自分のものとして受け入れてないか?」はゾッとしました。人によってそれが毒になるか薬になるかわからないしどちらにも出来るだろうけど、気付かないうちに麻原の物語みたいなのを受け入れてないかは気を付けよう。村上春樹さんが「オウムの在り方は自分の合わせ鏡的な像」と見えたかどうか…これは怖いです。 スター・ウォーズは観ていないので当てはまるかどうかがピンとこないのですが、昨今人気のMARVEL系もそんな印象です。アメコミヒーローものはそうだと思っている。

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2019/02/08

何だか、村上、宮崎、中上、十ぱ一からげにぼろくそに言ってるように見えるけれども、そうだろうか。結構いいところをついているし、逆の期待感の表明みたいな万尾が、ナイーブに感じられて、ぼくは面白かった。偶然、三人が三人とも、ぼくの好きな人たちなんだけど。大塚君はここから、ポストモダンの...

何だか、村上、宮崎、中上、十ぱ一からげにぼろくそに言ってるように見えるけれども、そうだろうか。結構いいところをついているし、逆の期待感の表明みたいな万尾が、ナイーブに感じられて、ぼくは面白かった。偶然、三人が三人とも、ぼくの好きな人たちなんだけど。大塚君はここから、ポストモダンの反対、近代の見直しに向かうようで、それもいいと思った。

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2017/10/23

村上春樹が構造しか持たない小説を書いているという側面は無意識に認識していても改めてそうであると思い当たるまでにはかなりの熟読を要すると思う。というのは物語を受け取る私たちの想像力がいささか影響を及ぼし過ぎていることにあるだろう。例えば『海辺のカフカ』の少年カフカの物語は突然の家出...

村上春樹が構造しか持たない小説を書いているという側面は無意識に認識していても改めてそうであると思い当たるまでにはかなりの熟読を要すると思う。というのは物語を受け取る私たちの想像力がいささか影響を及ぼし過ぎていることにあるだろう。例えば『海辺のカフカ』の少年カフカの物語は突然の家出に始まるやいなや大島さんや佐伯さんなどのキーパーソンに唐突に出会い、半ば振り回されるように進み続ける。そこには主人公の父母という存在への追求はあっても自己実現は存在しない。私たちがカフカ少年に感情移入をするとなれば自然に想像力を動員することが必要となる。骨組みに肉付けを行わないと空疎になるのと同じように、私たちの想像力がなければ村上の小説が無感情で空疎になるという見方もあり得るのだ。もっとも、想像力がなければ小説全般を楽しむことができないのは当たり前のことであるが、ここで言うそれはそういう意味でのものではない。問題は村上春の小説の場合、構造が安定し過ぎているせいで私たちがどのような想像をしてもなんの齟齬もなく物語が進んでいくことにある。物語より想像力が先行するといよいよ物語は小説の領域を超越してしまうから、構造どうこうの話は置き去りにされてしまうのである。村上は物語を神話で構成するから、構造が安定する。大塚は村上が物語メーカーである所以はここにあると主張している。宮崎アニメも同様に神話を取り入れているから一定のメッセージを付与することができている。構造は構造でしかない。それは救いであり欠点であるが、小説や映画の場合はそれだけではいけない。だから独自にメタファーを多重化したり、歴史を物語化したり、抑圧からの脱出を試みたりする。例えば大塚によれば村上の『ねじまき鳥クロニクル』はノモンハン事件をもとに作られた物語を一つの要素として取り入れているがそれが当時流行していた歴史修正主義と似た構造を持っているせいで危険を伴っているという。これは小説の世界としての村上春樹とは反対に現実世界での麻原彰晃がクロニクルを作ったことによってもたらされた新しい虚構によって大衆が扇動されてしまったことが物語っている。それ以降村上が歴史修正主義を匂わせるレベルでの歴史物語は作らなくなったことや、村上が現実世界で自分の鏡面を見て思わず目を反らせたことから村上のそれはリスクを含んでいることが分かる。これは歴史修正主義が問題だということではなく、そのような誤解や思わせぶりを生んでしまう極端な物語の構造化にあるのだろう。私は村上春樹の大ファンだしそれをやめるつもりもないけれど、この書籍ではある観点ではそういう見方ができるのだという程度に受け止めようと思う。最後に逃げるような記述をするのはちょっと嫌だけど事実は事実。結局小説は小説、現実は現実としか言いようのない事実に回帰する他ないのだと思う。

Posted byブクログ

2025/07/07

著者はこれまでも、日本のサブカルチャー作品が世界に届くのは、それらが「構造しかないからだ」という柄谷行人の指摘に言及していますが、本書もそれにこたえるかたちで村上春樹と宮崎駿の作品について考察を展開しています。 本書の中心をなすのは、『羊をめぐる冒険』以降の村上春樹の作品が、『...

著者はこれまでも、日本のサブカルチャー作品が世界に届くのは、それらが「構造しかないからだ」という柄谷行人の指摘に言及していますが、本書もそれにこたえるかたちで村上春樹と宮崎駿の作品について考察を展開しています。 本書の中心をなすのは、『羊をめぐる冒険』以降の村上春樹の作品が、『スター・ウォーズ』のようなハリウッド映画と同じ物語の構造をもっていることを、ジョセフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』にもとづいて検証している箇所といってよいでしょう。また著者は、村上がサブカルチャー的なジャンクをベタな物語につくりあげたオウム真理教にみずからの「鏡像」を見たのではないかと指摘し、それこそが『アンダーグラウンド』というノンフィクションを村上が手がけた理由ではなかったかと論じています。 宮崎駿とスタジオ・ジブリの作品にかんしては、少女の成長の物語が同時に男性の成熟拒否を内包していたのではないかという問いを投げかけ、『崖の上のポニョ』において母胎回帰という結末に達したことを批判的に論じています。 村上の作品が物語の普遍的な構造に則っていることを示そうと著者は努めていますが、著者の検証が正しいとして、なぜそのことが批判されなければならないのかという点に、もうすこしこだわって考察するべきだったのではないかと感じます。物語に「私」をゆだねてしまうことで個としての成熟を回避するべきではないという著者の主張が、河合隼雄的な「母性」の理解に乗っかってしまっていることにも注意を向けるべきでしょう。ここには、批判する側が、批判対象と同じ前提に乗ってしまっているという、ありがちな問題が顔を見せているのではないでしょうか。もっとも、『うる星やつら』から『新世紀エヴァンゲリオン』まで、日本のサブカルチャー作品に母胎回帰というモティーフがくり返し現われるというのも事実なので、著者の「母性」ないし「近代的個人」の理解が陳腐というよりも、それらの作品が陳腐だ、ということなのかもしれません。

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2012/06/24

本書にある、 村上作品には構造しかない、という表現は正しくなく、 器の中に注ぎ込んだ詩情を無視することはできない。 今後もビッグ・ネームにもっと挑んでくれると 面白い。

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2012/01/21
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

世界に通用した!と喜ばれがちな村上春樹や宮崎駿は、それがそもそも無国籍の(構造しかない)ものなのだから当然だし、しかもその構造は基本的にはスターウォーズやディズニー作品から輸入してきたものである、という。 そのうえで両者には「戦いから降りた男たち」「母体回帰」といったような共通の構造があるとする。 『動物化するポストモダン』も自身の論は結局同じなのでは(「データベース」も「構造」と同じでは?)という指摘と、 ポストモダンというのは結局モダニズムにすぎなかったという指摘に、いろいろと再読する必要性を感じた。 最も重要なのは春樹とオウムの構造的類似の指摘。 両者ともジャンクなクロニクルである、という。 春樹は自分の物語構造のコピーを、『ねじまき鳥』2巻を書き終えたあと、地下鉄サリン事件に見てしまった、という(宮崎駿は『ゲド戦記』に自分の構造のコピーを見た)。 けれども結局『1Q84』で春樹はまた構造の復興をしているという。 でも、引用部で結論づけたような、「それが小説でしかない」という救いを、春樹は書くべきだろうか。 あるいはそれは、もう書かれているのかもしれないし、物語は小説でしかないという救いは、それが救う対象であるところのわたしたちの「私」を、たしかに少し変えたような気もしているのだ。

Posted byブクログ

2011/07/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ストーリーメーカーに続いてこちらも読了。 けど、けっこう流しちゃったな。 村上春樹の小説と宮崎駿のアニメを、著者の物語に精通した知見から捉えた一冊。 批評的ではありつつ、それぞれの作品の説明が新鮮だった。 個人的にジブリアニメの部分がヒット。 ってかジブリはそんな細かいところまで色々と伏線をはっているんだ!って驚いた。 キャラクターは当然凝っているんだろうけど、場所とか、設定とか、想像以上に暗黙的なテーマの上で成立しているのかと思うと、神は細部に宿るという言葉が頭をよぎていく。 村上春樹とオウム真理教との話とかもけっこー面白かったな。 人はそれぞれ物語る生き物。 小説や文章を書くときだけではなく、生活している中で私達は自分固有の「ストーリーメーカー」を、正しいか誤っているかは別として、無意識に使っているんだろうな。

Posted byブクログ

2011/06/21

村上春樹もジブリも読まない人には楽しくないだろうなと思いつつ、かといって春樹ファンにはオススメできないw 昔から語られている"構造"というものの存在を紹介しつつ、世界に広がる作品であるためにはその「構造」が必要であるけども、宮崎駿は女性にそれを当てはめる事が多...

村上春樹もジブリも読まない人には楽しくないだろうなと思いつつ、かといって春樹ファンにはオススメできないw 昔から語られている"構造"というものの存在を紹介しつつ、世界に広がる作品であるためにはその「構造」が必要であるけども、宮崎駿は女性にそれを当てはめる事が多く、村上春樹はその構造を主人公ではなく脇役(ヒロイン)に適用する事が多い、って紹介をひたすらにしている。  視点は面白いんですが、文章の書き方にクセがあるのでものすごく読みづらいです。

Posted byブクログ

2011/06/05

正直、あまり理解ができなかった。と、いうのは村上春樹を読まないし、宮崎駿の作品もほとんど観ていないからだ…。その状態で、この本を読んでも理解がすすまないのは当然のことだろう…。 要再チャレンジ。

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2011/03/23

 物語はあくまでも、消費財でしかないと著者は主張する。現実世界に物語のコンテクストを拡張してもろくなことにはならないからである。そんな中にあって、今世界を席巻しつつあるかのように多くのひとが錯覚している日本のサブカルチャー文化について、村上春樹・宮崎駿といった日本代表といっても過...

 物語はあくまでも、消費財でしかないと著者は主張する。現実世界に物語のコンテクストを拡張してもろくなことにはならないからである。そんな中にあって、今世界を席巻しつつあるかのように多くのひとが錯覚している日本のサブカルチャー文化について、村上春樹・宮崎駿といった日本代表といっても過言ではない人の作品を考察していく。彼らは大江健三郎にみられるようないわゆる日本の文化とか伝統といった、ナショナリスティックなものとは対照的に、構造的ないわば、普遍的な物語の形式・構造をとっているためにグローバル形式へと意図せずして近づいていったのである。著者は、キャンベルの『千の顔をもつ英雄』を引き合いに出し、彼らの物語が、本書で言及されてる神話的な構造そのものであることを検証していくことで、その事実を検証していく。奇しくも柄谷行人が「構造しかない物語」といった通りであったわけだ。リオタール的な大きな物語の終焉が、個別のモナド的たらんとしていた、形式を変動させたのは間違いないだろう。

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