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東京大空襲 -昭和20年3月10日の記録- の商品レビュー

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2023/03/19

なによりも強く訴える事実の大きさ。想像を遥かに超える空襲の凄まじさに圧倒されました。こういう表現は似つかわしくないかもしれませんが、読み始めたら止まりません。大切にしたい一冊です。

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2020/09/15

約10万人の犠牲者が出た東京大空襲。 8人の体験をもとに、昭和20年3月10日の夜、本当にあった悲劇と惨状が書かれています。作家の早乙女勝元氏は<東京大空襲・戦災資料センター>(江東区)の名誉館長です。

Posted byブクログ

2017/01/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

1971年刊。◆45年3月10日の東京空襲。従前より実行される各地の空襲は、この後激しさを増し、大阪、名古屋他様々な都市に波及し、東京と同様の被害をもたらした。スペイン・ゲルニカ爆撃、重慶爆撃から始まった都市戦略爆撃が、この東京空襲で、ある種の頂点に達したと見れる一方、サイパン陥落で予想出来た帰結がこの空襲ともいえる。本書はその空襲被害の体験者の証言をもとに構成。圧倒的な情景描写が心を打つ。◆本書の読後感につき、戦争反対・非戦非武装を目標へとなる人もいれば、確固とした自衛力が必要だとなる人もいるだろう。 その議論のための前提の事実の把握が本書のような書である。戦後四半世紀だからこそ収集できた情報ともいえる。◆ただ、個人的には、本書からアメリカ憎しというだけの短絡的な帰結だけは避けたいなあと。都市戦略爆撃の端緒を開いたうちの一は日本軍でもあるし、また、そもそもどうしてこのような事態を招く戦争を政府が決断したのか。そこに、民衆の捨て駒視、軽視する目線がなかったと言えるか。等つらつら思い起こさせる書である。

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2010/03/08

(2008.03.09読了) 昭和20(1945)年3月9日から10日に変わった頃、東京下町はアメリカのB29による焼夷弾の絨毯爆撃により大火災となり、8万人から10万人といわれる死者を出した。 この本は、3月10日の東京大空襲の記録です。東京大空襲を経験し、生き延びた方々を訪ね...

(2008.03.09読了) 昭和20(1945)年3月9日から10日に変わった頃、東京下町はアメリカのB29による焼夷弾の絨毯爆撃により大火災となり、8万人から10万人といわれる死者を出した。 この本は、3月10日の東京大空襲の記録です。東京大空襲を経験し、生き延びた方々を訪ね、話を聞かせてくれた方々8名の証言をつづったものです。著者も12歳で東京大空襲を経験していますので、体験をつづっています。 戦争における非戦闘員の殺害は、国際条約で禁じられています。 ●家内工業も軍事施設?(179頁) 3月10日「カーチス・ルメイ将軍は、新しい、最も恐ろしい爆撃方法を採用した。これは夜間、低空で、目視爆撃をする方法で、無数の焼夷弾が使用された。この戦術の変化は、厳密な意味での軍事施設だけでなく、地域群への攻撃が加えられた。日本の軍事生産の多くが、家内工業に頼っているのがその理由であった。」 ルメイ将軍は、ハンブルク大空襲の指揮官として、ドイツに対する戦略爆撃で知られた男である。 ●日本政府はルメイ将軍に勲章を授与(211頁) 「昭和39(1964)年末に、日本本土を灰燼とした責任者であるカーチス・ルメイ将軍が、日本政府から勲一等旭日大綬章を受けた。受賞の理由は「日本の航空自衛隊の育成に努力した」というのである。」 ●東京大空襲の被害(14頁) 3月10日零時15分空襲警報発令、それから2時37分までの正味142分間に、死者8万8793名、傷者4万918名、罹災者100万8005名、焼失した家屋は26万7171軒、半焼した家屋971軒、全壊が12軒、半壊が204軒、計26万8358軒。 被害は主として江東ゼロメートル地帯に集中し、浅草区、深川区、本所区、城東区の四区は、ほとんど全滅に近い決定的ともいえる大被害を受けた。 ●火のすごさ(58頁) 「おっそろしい火力だね。空気に火がつくんじゃないかえ」と、母が走りながら、私のほうへ顔をねじって言う。 (防火壕にいても、隅田川に架かる橋の上にいても、川に浮かべた筏や船にいても火から逃れることはできなかった。) ●ガソリンもまいた(62頁) この夜、B29が莫大な量の焼夷弾を投下したほかに、空中からガソリンを散布して、燃える火をさらにあおった、と訴える人が少なくない。また一説には、そのガソリンはゼリー状だったと主張する人もいる。 ●白熱状態(88頁) 驚異的な焼夷弾の雨が降り、火災が起こり、それがある範囲に広がったとき、地上は、焼夷弾そのものや、火災によって生じる温度を飛び越して、白熱状態になる。鉄柱が、あめのように、ぐにゃぐにゃに曲がる。その状態では、火は、燃え移るのではなく、今まで燃えていなかったものが、空気の温度によって突然発火するのであった。運河に飛び込んだ人も、ながく頭を水上に出していると、髪の毛が、突然燃えはじめるから、時々水の中にもぐらなければならなかった。 ☆関連図書 「写真版 東京大空襲の記録」早乙女勝元著、新潮文庫、1987.07.25 「天皇裕仁と東京大空襲」松浦総三著、大月書店、1994.03.01 「神を信ぜず」岩川隆著、中公文庫、1978.10.10 「アメリカひじき・火垂るの墓」野坂昭如著、新潮文庫、1972.01.30  神戸大空襲 「ながい旅」大岡昇平著、新潮文庫、1986.07.25  名古屋大空襲 著者 早乙女勝元 1932年 東京生まれ 12歳で東京大空襲を経験 1970年 「東京空襲を記録する会」を結成 『東京大空襲・戦災誌』で菊池寛賞を受賞 2002年 江東区北砂に「東京大空襲・戦災資料センター」をオープン、館長就任 (2008年3月10日・記)

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