原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章 の商品レビュー
1509 アルボムッレ・スマナサーラ スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老 1945年スリランカ生まれ。 13 歳で出家する。スリランカの国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教...
1509 アルボムッレ・スマナサーラ スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老 1945年スリランカ生まれ。 13 歳で出家する。スリランカの国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。メディア出演や全国での講演活動で大きな反響を呼ぶ。著書は『怒らないこと』(サンガ新書)をはじめとしてベストセラーが多数ある。 ブッダは、恐ろしい蛇の毒に譬えられる「怒り」について、こう教えています。 「怒りが生まれたら、生まれた瞬間に消せ」と。 人間は欲が悪いことだとは思わないのです。欲が悪いと思う人間はいません。 例えば、「勉強したいなあ」と思うことも欲です。「それの何が悪いのですか?」ということになるでしょう。「やはり死ぬまで安定して生活して、生きていくために一財産作りたい」という意見に対して、「あんた欲張りですねえ」と言ったらバカにされるだけです。それらは世の中で普通、悪いとは思わないのです。「欲」は、普通の世界では美徳なのです。 上野に 不忍池 があります。季節になると蓮の花が咲き誇ってきれいなのですが、池の水面は蓮に埋め尽くされてしまいます。放っておくと、あちこちから蓮の葉っぱが出てきて、水がなくなってしまう。水の中には、いっぱい栄養があります。だから結局、雑草のように続々と生えてきて、池を埋め尽くすところまでいって、蓮の花は自滅するのです。 私たちは、欲の楽しい側面しか見ていないのです。でも、どの辺までが楽しいのか、どこから苦しいのかと、しっかり観察はしていないのです。客観的に見ると、蓮の花だけではなくて、花の下には泥があることがわかります。泥の中にはヒルもいるし、人間に害を与える他の生き物もいる。また、蓮の花を取っても、芯には棘があるから、気を付けなくてはいけないのです。 一つ、もっとたちの悪いとらわれがあります。それは、知識に対するとらわれです。自分の知識、考え、主義などに、厳しくとらわれて、盲目的になることです。極論主義者、原理主義者になって、世間のことが見えなくなるのです。知識や主義などに納得することも、厳しいとらわれです。 例えば、きれいなものを見たいなあ、と思う人に限って、きれいでないものを見ると怒ったりします。「なんでこんなものを見なくちゃいけないんですか」と。 ですから、怒りと欲はセットなのです。 怒りが少なければその分、欲も少ないし、欲が少ない人にとっては怒りも少ない。ですから怒りだけをなくしたいと頑張っていても、それは無理な話です。 法則を知らないから、欲も怒りも生まれるのです。 しょっちゅう怒っている人から「怒るのは嫌です。なんとかならないんですか」と聞かれますが、欲だけ残して怒りだけ取ることはできません。 普通の世の中で考えるように、「怒りは都合が悪いけれど、欲のように気持ちがいいものは 好いから残しておこう」というふうな甘い話ではないのです。
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小部の『スッタ・ニパータ』は最古層の経典として知られる。中でも第4章が最古と目され、ブッダの直説(じきせつ)と見なされている(PDF「最古層の経典の変遷 スッタニパータからサムユッタニカーヤへ」石手寺 加藤俊生)。 https://sessendo.blogspot.jp/201...
小部の『スッタ・ニパータ』は最古層の経典として知られる。中でも第4章が最古と目され、ブッダの直説(じきせつ)と見なされている(PDF「最古層の経典の変遷 スッタニパータからサムユッタニカーヤへ」石手寺 加藤俊生)。 https://sessendo.blogspot.jp/2016/06/blog-post_7.html
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原語から解釈していくのが独特。経典のオリジナルに拠らずに教えの意味だけ覚えると、自分の主観に沿って思考がずれて確実に間違うという。
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釈迦が生存中から知られていたという経典「スッタ・ニパータ」 章立:怒りという猛毒を瞬時に消す、蓮のごとき「欲」を根こそぎにする、考えも感情もすべて涸らし尽くす、判断・比較・評価する心を破壊する、生きる意味を探しても得られない、「ああではないか、こうではないか」と思う気持ちをなく...
釈迦が生存中から知られていたという経典「スッタ・ニパータ」 章立:怒りという猛毒を瞬時に消す、蓮のごとき「欲」を根こそぎにする、考えも感情もすべて涸らし尽くす、判断・比較・評価する心を破壊する、生きる意味を探しても得られない、「ああではないか、こうではないか」と思う気持ちをなくす、すべての言葉も考えも焼き尽くす、感受して作り上げた主観を乗り越える、すべては流れて変化しているだけ、行き過ぎることもなく止まることもなく、カチンとくる心・気になる心を殲滅する、「もう一度やり直したい」という心残りをなくす、世俗の義務感・責任感という「傷」をなくす、欲を捨て概念や推測する気持ちも捨てる、
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