マルコヴァルドさんの四季 の商品レビュー
カルヴィーノの作品は邦訳あるものは殆ど全部読んでたつもりだった。もしかしてカルヴィーノのファンと言っていいかもしれない。幾つかのものは再読すらしているから。「くもの巣の小道」は自分の楽しみのために、「冬の夜一人の旅人が」は若い友人に勧めるために。 しかしこれは未読だった。半世紀以...
カルヴィーノの作品は邦訳あるものは殆ど全部読んでたつもりだった。もしかしてカルヴィーノのファンと言っていいかもしれない。幾つかのものは再読すらしているから。「くもの巣の小道」は自分の楽しみのために、「冬の夜一人の旅人が」は若い友人に勧めるために。 しかしこれは未読だった。半世紀以上も馬齢を重ねていれば大概の小説とインド映画の筋は忘れてしまうのだが、児童向小説は比較的記憶から抜け落ちることがない。そしてこの「マルコヴァウドさんの四季」は児童向小説なのである。 子供のために書かれたからと言って、決して楽しい小説ではない。主人公のマルコヴァルドさんはトリーノを思わす工業都市に暮らす労働者だが、かれと4人の家族が惹き起こす騒動に語り手は決して同情的ではない。かれらの愚行に対する冷ややかな距離感が、全篇に独自のペーソスを行き渡らせている。 面白いのは、マルコヴァルド一家の愚行が、ほとんどの場合食べ物に対する欲望によって惹き起こされていることである。飢餓がかれらを愚行に走らせているのではない。かれらはそれなりには満ち足りているのだが、終始美味いものへの欲求があり、それが虚栄心を刺激してやまないのである。 この作品は20の短篇から成っており、5つごとに春夏秋冬に振り分けられているが、それらが厳密に時系列上に並んでいるわけではない。たぶんこの区分は上記のような「美食への渇望」を導入するために設けられたものであろう。 しかしこの小説では美食が事細かに描写されるわけではない。欲望の対象となる「美味いもの」は漠然とフンギのフリッターとかチェルヴェッラとか(チェルヴェッラというのは豚のセルヴェッソから作った腸詰めのこと)ウサギのローストとか書かれているだけである。マルコヴァルド一家がこれらにありつくことは決してないからである。 カルヴィーノには左翼的傾向があるからこの中に資本主義批判を読み取る者があっても無理ないことに違いない。しかし食いしん坊の間では消費への欲求は容易に美食への渇望へと置換される。カルヴィーノもまた自らの(胃の)中に同様の変換装置を共有していたのであろう。だからこそこれらの物語はかほども悲しいのである。同じ胃の持ち主である私にはそれがよく分かる。
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思っていたのと違って、すごく考えさせられる内容だった。 小さい頃読んでいたら、純粋に楽しい話で、裏の世界は見えなかったと思うけど、色々考えてしまうあたり、自分が大人になってしまったんだなーと思って、少し寂しくもあり・・・ でも、いい作家を知れてよかった!
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50年ほど前に書かれたイタリアの姿。でも現在にもいまだよくある光景がそこにある。時代差を感じる部分は、マルコヴァルドさんの貧しさくらいか。職を持っている人がなかなか食べていけないほど今の先進国は深刻ではないのではないかと思うくらいか。都市のなかで視点を変えて暮らすほのぼのとした一...
50年ほど前に書かれたイタリアの姿。でも現在にもいまだよくある光景がそこにある。時代差を感じる部分は、マルコヴァルドさんの貧しさくらいか。職を持っている人がなかなか食べていけないほど今の先進国は深刻ではないのではないかと思うくらいか。都市のなかで視点を変えて暮らすほのぼのとした一面があって良書であった。
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ファンタジー以外の児童書は滅多に読まないのだけれど、 児童文学作家の先生が描写がすごい本として挙げていて、読んでみた。 裏表紙の解説を読んで、抒情的なもっとウェットな内容を想像していたけれどとんでもない。 都会の中の自然や、季節のうつろいや音・色・香りなどに対する描写は確かに素晴...
ファンタジー以外の児童書は滅多に読まないのだけれど、 児童文学作家の先生が描写がすごい本として挙げていて、読んでみた。 裏表紙の解説を読んで、抒情的なもっとウェットな内容を想像していたけれどとんでもない。 都会の中の自然や、季節のうつろいや音・色・香りなどに対する描写は確かに素晴らしい。 でもそれ以上に現代社会への皮肉が壮絶にこめられていて、読んでいて始終にやにやしてしまう。 子供と大人で楽しみ方が全く変わる作品だと思う。 マルコヴァルドさんやその一家が結構悪いことをするので (それらもコミカルにユーモアたっぷりに描かれていて大変面白いが) なかなか日本では出せない作品だなあと感じる。 他の方も書かれていたけど、これを少年文庫にいれる岩波はすごいと思った。その内容の普遍性と言い、描写の美しさと言い、実はかなり文学性の高い作品だと思う。 表紙・挿絵もとても合っていて素敵な本。
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こないだ読んだ『マルコヴァルドさんの四季』は安藤美紀夫訳だった。ふと、訳者違いの版違いが出てるのを見つけて、図書館で借りてきて、またマルコヴァルドさんの話を読む。この新版は関口英子訳。 表紙カバーに使われている絵は違うが、イラストはかわらずセルジョ・トーファノ。 新版には、作...
こないだ読んだ『マルコヴァルドさんの四季』は安藤美紀夫訳だった。ふと、訳者違いの版違いが出てるのを見つけて、図書館で借りてきて、またマルコヴァルドさんの話を読む。この新版は関口英子訳。 表紙カバーに使われている絵は違うが、イラストはかわらずセルジョ・トーファノ。 新版には、作者のカルヴィーノ自身による解説もおさめられていて、それを読んで、マルコヴァルドさんのお話は最初に書かれたものが1952年(60年前!)で、最後のは1963年に書かれたということも知る。もう半世紀前のイタリアで書かれた話が、どこか今の日本社会を思わせる。 ▼マルコヴァルドさんは、数多くの失敗を経験しながらも、けっして悲観的になることはありません。彼に敵意をいだいているようにも見える世界のなかで、自分らしさを感じることのできる世界につながるぬけ道を見つけようという心を忘れないのです。なにがあってもあきらめず、ふたたび挑戦する心の準備が、いつだってできています。 …(中略)… 世の中のできごとや状況にたいしては、ものすごく批判的なまなざしをむけながら、人情にあふれた人びとや、あらゆる生命のきざしにたいしては好意にみちたまなざしをむける…そんな、身のまわりの世界をながめるときのマルコヴァルドさんのまなざしにこそ、この本の教訓があるといえるのかもしれません。(pp.271-272、作者による解説) おもしろいところはいろいろあるが、もう一度読んでもおもしろかったのは「がんこなネコたちの住む庭」の秋の話。昼休みのあとの時間つぶしに、ネコのあとをつけて歩くマルコヴァルドさん。ネコの目を通していろいろな場所を観察すると、「見なれたはずの会社のまわりの風景に、いつもとちがったライトがあたっているように」感じられる。おまけにマルコヴァルドさんは、ネコの背丈になって、つまりはよつんばいになって、ネコのあとをついて歩いたりするのだ。 イタリアの大都会の真ん中に住んでるというマルコヴァルドさんは、ぎんぎんに都会的なものには目もくれず(まったく目に入らないらしい)、しかし、木の枝で黄色くなった葉っぱや、屋根瓦にひっかかっている鳥の羽根、馬の背にまとわりつくアブ、テーブルにあいた木くい虫のANA、歩道にはりついているイチジクの皮…などは見逃さない。 都会の野蛮人のようなマルコヴァルドさんの話を読んでると、マルコヴァルドさんとはちょっと違うけれど、『隅田川のエジソン』とか、『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』なんかを、むらむらとまた読みたくなるのだった。 (7/8了)
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かなり昔に読んで、児童書にしては暗い本だと思っていたが、今再び読み返すと、その暗い部分の意味がよく分かるだけになおさらやりきれない気持ちになる。文学的にはもっと高い評価をしてもいいと思うが、一筋の希望も見えない話は、やはり面白いとは言い難いので星は3つにしておく。もう少しユーモア...
かなり昔に読んで、児童書にしては暗い本だと思っていたが、今再び読み返すと、その暗い部分の意味がよく分かるだけになおさらやりきれない気持ちになる。文学的にはもっと高い評価をしてもいいと思うが、一筋の希望も見えない話は、やはり面白いとは言い難いので星は3つにしておく。もう少しユーモアのある風刺なら救われるのに…。しかし、カルヴィーノは大好き。
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子だくさんで、半地階に住み、会社と家との往復で生活に疲れきっているようなマルコヴァルドさん。そんなくたびれた中年男にも自然の四季折々はいくばくかの潤いをもたらしてくれる。真面目な気持ちで読んでいると、ずっこけてしまう。それはないだろうというオチが待っている。しかし・・・これって子...
子だくさんで、半地階に住み、会社と家との往復で生活に疲れきっているようなマルコヴァルドさん。そんなくたびれた中年男にも自然の四季折々はいくばくかの潤いをもたらしてくれる。真面目な気持ちで読んでいると、ずっこけてしまう。それはないだろうというオチが待っている。しかし・・・これって子どもの読む本かなぁ、首を傾げたくなる。大人の私にはそこそこ楽しめるけれど。
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馴染んでいたせいか、前に出されたときの訳者によるものの再版でなくて、少しがっかりしましたが、マルコヴァルドさんを通して見る少し不思議な世界……おすすめです。
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