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光あるうちに光の中を歩め の商品レビュー

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2012/11/04

トルストイの短編作品。 原始キリスト教時代の物語。 キリスト教徒の村に住むパンフィリウスと、贅沢な暮しを続け、罪まで犯してしまったユリウスの物語。 ユリウスは、人生に行き詰まるたびに、パンフィリウスにキリスト教の素晴らしさを聞いたことを思い出し、キリスト教徒の村に行こう...

トルストイの短編作品。 原始キリスト教時代の物語。 キリスト教徒の村に住むパンフィリウスと、贅沢な暮しを続け、罪まで犯してしまったユリウスの物語。 ユリウスは、人生に行き詰まるたびに、パンフィリウスにキリスト教の素晴らしさを聞いたことを思い出し、キリスト教徒の村に行こうとするが、そのたびに、キリスト教に対して反駁する一人の中年の医師に出会い、止められてしまうのである。 その中年の医師の語るキリスト教に対する批判、また、ユリウスのパンフィリウスに対する言い分とは次のような点である。 ・キリスト教は人間のなかにある自然の力を否定している。 ・結婚の問題 ・権力の否定に関する問題 などなど・・・。 その後パンフィリウスと出会うユリウスは、その中年の男の話をもってきて、キリスト教に対する問答を続けることになる。 そのような問答が3度続いたのち、老年を迎えたユリウスは、例の医師が止めるのを振り切ってキリスト教徒の村に入ることになる。 ユリウスは、古くなったブドウのふさを見て、「私の人生も使い物にならないブドウと同じだ。もっと早くここに来ていれば」と嘆くが、 長老は、「神にとって仕事の量は問題ではない。神のもとでは大きいも小さいもない。神のもとで働く人ではなくて、神の息子となりなさい。」とさとし、 ユリウスは歓びのうちに働き、死を迎えるのである。 この物語から思ったことをあげたい。 おそらく、ユリウスや、中年の医師と同じことを思う人がほとんどであろうと思う。 「信仰」という問題は、単にいくら損得や理屈を挙げたところで、その人が根本的に「信仰」の次元に踏み入るには決定的な力とはなりえないし、 また、政治や金銭など、社会を動かす力の側からも決して還元しえない問題であるということ。 ユリウスは年をとり、自分の性質が腐ってどうしようもないことを自覚し、医師の言うことを振り切ってキリスト教徒の村に走った。 また、人間の価値とは、「どれだけ仕事をなしたか」によって測られるものではないということ。 本来の命の在り方をさししめしてくれる。

Posted byブクログ