入門 哲学としての仏教 の商品レビュー
入門でしたが、なかなか難しい禅問答のような話が続く。また、深淵な教義も述べられており、その用語に圧倒される。しかし、自己とは何か、識とは何か、無とは何か、を繰り返し語られることで少しずつ理解が進む。各章で視点を変えながらも、自分と世界は一つであり、無為という意識下のものがあるから...
入門でしたが、なかなか難しい禅問答のような話が続く。また、深淵な教義も述べられており、その用語に圧倒される。しかし、自己とは何か、識とは何か、無とは何か、を繰り返し語られることで少しずつ理解が進む。各章で視点を変えながらも、自分と世界は一つであり、無為という意識下のものがあるからこそ意識があるのだという考えにハッとさせられた。
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いまどき「小乗仏教」なんて言葉使っていることからわかるように、ろくに根拠もなく断定しまくる酷い本。人をバカにするのもいい加減にしてほしい。
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仏教とは哲学である。 同じことを、ぼく自身もしばらく前から感じていた。 だから、本書を見たときに、即座に手に取った。 内容としては、仏教の「哲学的側面」を取り上げ、それを西洋哲学と対比する形で語られるシーンが多い。 確かに効率的だとは思うのだけど、ちょっと読み辛さも見受けられた...
仏教とは哲学である。 同じことを、ぼく自身もしばらく前から感じていた。 だから、本書を見たときに、即座に手に取った。 内容としては、仏教の「哲学的側面」を取り上げ、それを西洋哲学と対比する形で語られるシーンが多い。 確かに効率的だとは思うのだけど、ちょっと読み辛さも見受けられた。 文章構成の統一感が薄く、散らばったような読感もちょっと残念。 話を広げすぎたのが要因ではないかと思う。 もっと焦点を絞って、深く掘り下げた方が良かった。 書かれていた内容には、なるほどと頷ける事柄が多かった。 特に、龍樹の『中論』には強く興味を惹かれた。 これは近いうちに読もうと思う。 仏教はやはり哲学なんだな、と改めて思った。 同時に、宗教と哲学の違いってどこにあるんだろう、とも思った。 「言葉」という魔法を捉え直すための手段として、より適切なものは宗教と哲学のハイブリッドなのかもしれない。
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●仏教の思想というのは、宗教という側面から見るより哲学という側面から見る方が面白く感じる。言い方は悪いが、自己啓発本の原点を見ているよう。
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自分の能力を遥かに超えた内容だった。著者の深遠な叡智に近づくこともできなかった。さすがは東洋大の学長です。やや学問のための哲学、観念論的仏教という趣きが強いと感じたが、それ以上に自分の勉強不足を痛感した。阿頼耶識や龍樹の中論や道元の永遠の今という概念は興味深い。
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仏教の思想を信仰の立場からではなく、世界と人間のあり方について考察する「哲学」としてとらえるという、少しユニークな視点からの仏教入門書です。 縁起の思想を関係論的コスモロジーとして解釈したり、唯識をユング心理学のようなものとして理解する試みはけっして珍しくないのですが、わたくし...
仏教の思想を信仰の立場からではなく、世界と人間のあり方について考察する「哲学」としてとらえるという、少しユニークな視点からの仏教入門書です。 縁起の思想を関係論的コスモロジーとして解釈したり、唯識をユング心理学のようなものとして理解する試みはけっして珍しくないのですが、わたくし自身は信仰によるコミットメント抜きで哲学的にその思想を理解することには抵抗を感じます。著者はこのことも十分に留意していて、「私はただ仏教は哲学であるということだけを主張しようとしているわけではない」と語っていますが、仏教の中に現代のアクチュアルな問題を解決するための「知」を求める立場から、仏教を哲学としてとらえることが有効だと考えているようです。 また、キリスト教など宗教間対話の必要性を訴える声が高まっていることも、必ずしも信仰を条件としない仏教思想の解釈を促す要因になっているように思います。この点に関して著者は、仏教はキリスト教など一神教との対比において非人格的な宗教とされることが多いのですが、著者は大乗仏教の立場はむしろ、人格的でありつつ同時に非人格的である宗教的世界観に貫かれているという興味深い見方を示しています。
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ひとつの哲学として仏教を解説するのではなく、仏教の中 にもこれほど素晴らしい哲学が含まれているのだよと 様々な論や経をただ紹介しているだけに思え、少々残念な 読後感。そういう意味では入門書なのかもしれないが、 初心者が理解するにはかなり難しい内容だと思う。
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序 仏教はとても斬新な哲学である 第一章 存在についてー本体亡き現象の生成 第二章 言語についてーその解体と創造 第三章 心についてー深層心理の奥にあるもの 第四章 自然についてー自己と環境の哲学 第五章 絶対者についてー絶対無の宗教哲学 第六章 関係についてーその無限構造の論理...
序 仏教はとても斬新な哲学である 第一章 存在についてー本体亡き現象の生成 第二章 言語についてーその解体と創造 第三章 心についてー深層心理の奥にあるもの 第四章 自然についてー自己と環境の哲学 第五章 絶対者についてー絶対無の宗教哲学 第六章 関係についてーその無限構造の論理 第七章 時間についてー絶対現在の時間論 結 「哲学としての仏教」への一視点
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著者の先生の「仏教思想」の授業は1年間取っていたが、概してリーゼンフーバーの形而上学や大橋先生の認識論より難解だった。 「主体と世界」の二元論でなんとなく割り切れたものが、 仏教では「自己」を否定して、壮大な宇宙・森羅万象の因果についての哲学が語られるのだから、ひたすら「何...
著者の先生の「仏教思想」の授業は1年間取っていたが、概してリーゼンフーバーの形而上学や大橋先生の認識論より難解だった。 「主体と世界」の二元論でなんとなく割り切れたものが、 仏教では「自己」を否定して、壮大な宇宙・森羅万象の因果についての哲学が語られるのだから、ひたすら「何これ?」でしかない。 たとえば、笑えるほど面白いのが 「有名な阿字観の阿字(あ)は、その一文字(一音)のみで、たとえば一切諸仏本不生のほか、さらに菩提心・菩提行・証菩提・般涅槃・具足法便智、開・示・悟・入・方便善巧智円満、などを意味するという。(『秘蔵宝やく』「秘密荘厳心」)」 「あ」と言っただけで、宇宙のすべてを表現するんだぜ(笑 どんな世界だよwww そのなかで、興味深かったのが、「唯識」の思想。 人間は五感と第六識(意識)までは自覚しているが、そのほかに第七識、第八識があるというのである、 第七識が末那識(まなしき)、第八識が阿頼耶識(あらやしき)という。 ・・・これは・・・ 聖闘士星矢だぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!! 燃え上がれ俺の小宇宙!!! で、末那識は、意識にないのだけれども、常に自我に執着し続けるというのである。 しかも、意識で「善いことをしよう」と思っていても、意識下では自我に執着し続けているそうだ。 幸福になりたいけれども、不幸に墜ちざるをえない「運命」というのも、ここらへんの末那識の働きがあるのでしょうかね。 どうしても離れることのできない「エゴイズム」の問題もここにあるのかもしれない。 でも、意識の意識的な選択が末那識も変えるように働くそうなので、濁った水がたまったコップにきれいな水を一滴ずつ垂らしていくみたいに「綺麗な言葉」を心掛けていきたいものですね。 ああ、人間捨てたものではないですね。 じゃあ、第七識、セブンセンシズ=小宇宙、の正体はつまり四六時中自我に執着する末那識だったってことか さらに末那識が「自我」とみなすのは、阿頼耶識の主体の方面。 この阿頼耶識の主体の方面を「常住の我」と対象化・固定化して錯覚し、縛られてしまう。 しかもそれは意識の背後において常に行われている。 ちなみに阿頼耶識というのは、過去一切(前世も含め)の経験の情報がしまわれているそうだ。 ほかに、「神」は空性であって、西田が神の自己否定を説いていたのが印象的だった。 なにはともあれ、時代の先端をすでに何千年も前に先取りしていた大乗仏教の思想。 まだまだ深めたい点が多くある。
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自己とは関係的存在であり、全時空の他者そのものが自己であるという仏教の視点を哲学的に説く。部分は全体を含む(一即全、全即一)の思想について家の構造を用いた説明は初めて聞くものにも非常にわかりやすい。また、仏教は日本では思想として捉えられていないが、非常に哲学的であり、ユングやフロ...
自己とは関係的存在であり、全時空の他者そのものが自己であるという仏教の視点を哲学的に説く。部分は全体を含む(一即全、全即一)の思想について家の構造を用いた説明は初めて聞くものにも非常にわかりやすい。また、仏教は日本では思想として捉えられていないが、非常に哲学的であり、ユングやフロイトの「深層意識」やハイデガーの「存在と時間」に先駆けて深い洞察が古くから日本に存在していたことを指摘し、仏教思想と哲学への橋渡しを随所で試みていることに著者独自の視点がみられる。 哲学として読み進めるも非常におもしろく、また、心理学的な自分探しや自己他者関係の模索などの問題においても新たな見通しへの一石を投じることができる内容と感じられら。初心者向きにまとめられた良書。 (参考)著者の研究分野:あとがきより 1.唯識思想研究 2.大乗起信論および華厳思想研究 3.禅思想、日本仏教思想 4.西田幾太郎、鈴木大拙の宗教哲学研究
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