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新左翼とロスジェネ の商品レビュー

2.9

13件のお客様レビュー

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2010/07/01

新左翼各派の主張を時代を追ってわかりやすくまとめている。著者は京都大学の全学自治同学会副委員長だったらしい。

Posted byブクログ

2014/10/26

[ 内容 ] 二〇〇八年、未曾有の『蟹工船』ブームが巻き起こった。 この現象は、若年貧困層らが抱く不満や、連帯への渇望を表しているのだろうか? また、巷に蔓延する閉塞感と八〇年前のプロレタリア文学の世界をつなぐバトンの在り処とは? 本書は、一九七五年生まれ“ロスト・ジェネレーショ...

[ 内容 ] 二〇〇八年、未曾有の『蟹工船』ブームが巻き起こった。 この現象は、若年貧困層らが抱く不満や、連帯への渇望を表しているのだろうか? また、巷に蔓延する閉塞感と八〇年前のプロレタリア文学の世界をつなぐバトンの在り処とは? 本書は、一九七五年生まれ“ロスト・ジェネレーション”(失われた世代)のジャーナリストが、戦後の新左翼運動とその周辺を描いた文学を紹介しつつ現代の連帯を模索した、注目作である。 キーワードは-「自分探し」。 [ 目次 ] 第1章 『蟹工船』、希望は戦争 第2章 新左翼前史 戦前~五〇年代 第3章 黎明期から六〇年安保へ 五八~六五年 第4章 頂点叛逆する全共闘 六一~六九年 第5章 自己否定解体する全共闘 六八~六九年 第6章 極北内ゲバとその果てへ 六九~七三年 第7章 自己否定から少数者の運動へ 七四年~現在 第8章 「消滅」した新左翼 七八年~現在 終章 ある意味では、新左翼の復権? [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

Posted byブクログ

2010/05/06

まずもって、ロスジェネについては殆ど触れられていません。 新左翼の系譜を辿る「ガイドブック」としては非常によくできていて 興味深く読み進められましたが、 終盤のロスジェネは新左翼化しうる(してほしい)という論旨は イマイチ不明瞭で、賛同するには至りませんでした。 本書...

まずもって、ロスジェネについては殆ど触れられていません。 新左翼の系譜を辿る「ガイドブック」としては非常によくできていて 興味深く読み進められましたが、 終盤のロスジェネは新左翼化しうる(してほしい)という論旨は イマイチ不明瞭で、賛同するには至りませんでした。 本書は、新左翼に傾倒した学生たちの心理に「自分探し」があり、 これと貧困(他者との関係性への渇望)が加わると、 『連帯』(=新左翼運動的な、反体制的な集団行動)に至る、と 論じている。 自分は偶然ながら作者とほぼ同年齢のいわゆる「ロスジェネ」世代で、 かつ、作者と同じ大学に籍を置いていたわけだが、 確かに学生時代は「自分探し」に終始したといっても過言ではない。 しかし、新左翼的な運動には全く関与しなかったし、 したいとも思わなかった。 「自分探し」の根源は、社会への違和感であろう。 何のためのこの生であるか、何のために生きるのかという問いは、 人生の目標が「この社会での成功」ではないのではないかという 疑問を持つところから発生すると思うからである。 そして、どの時代にも社会との違和感を持つ若者は沢山いると思うが、 彼らが新左翼的に「国家の横暴を阻止する」べく立ち上るかと言えば、 必ずしもそうはいえないだろうと思えるのである。 というのも、現代における社会(或いは国家、或いは「大人」)は、 若者にとって自分自身とある連続性を持って存在するものであるから、 本書で新左翼運動のひとつの特徴として描かれている「自己否定」 (だめな社会、だめな大人たちを否定するからには、そこから生まれた 自分をも否定し、自らを犠牲にして社会を変革したいと言う考え) には至らないのではないか。 もっと単調に言えば、「あの戦争」、大人たちが戦いに敗れ、 そして手のひらを返して転向したあの「忌まわしい歴史的出来事」の 記憶が確かだった時代でなければ、 あのような強烈な批判は生まれないのではないだろうか。 さらに言えば、現代の日本は社会構造の変化スピードが非常に緩く、 社会や国家がどう振舞おうと、自らの利益に与える影響は軽微である。 政治や社会や国家に目を光らせていなくとも、 日本が戦争に加担する(=自分が戦争にかり出される)こともないし、 隣人との経済格差が一気に広がるということもない。 最後に、筆者は貧困にあえぐ層(例えば派遣労働者たち)が 現状打破のために『連帯』し行動を起こす点を論じているが、 そもそも過去の歴史の中で革命を起こしたり目指したりしたのは いわゆるプロレタリアート層だったのだろうか。 少なくとも私の知る限りでは、彼らは常に「利用される」立場にあり、 革命を企図したのは寧ろ、いわゆる「エリート」たちではなかったか。 今の日本の同質化し多面化する社会の中で、 若者がそういう「気概」のようなものを失っている。 皆、自分の利益、すなわち、この構造が変化しない成熟した社会の中で、 (主に経済的な)自らのポジジョンをより上位に、より安定的にすること ばかりを考えている。 その点が変化しない限り、新左翼運動が再興することはないだろう。

Posted byブクログ