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天皇はなぜ生き残ったか の商品レビュー

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15件のお客様レビュー

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2024/06/09

武家政権時代には、天皇に権力はないが権威があったと言われる説を否定し、権力も権威もなく、祭祀の王でさえなくなっていたと著者はいう。 バサラ者たちは上皇にからかって弓矢を打つ始末。 ではなぜ天皇は生き残ったのか? 天皇の核心は「文化と情報」であり、武士たちが持たない伝統や教養を持...

武家政権時代には、天皇に権力はないが権威があったと言われる説を否定し、権力も権威もなく、祭祀の王でさえなくなっていたと著者はいう。 バサラ者たちは上皇にからかって弓矢を打つ始末。 ではなぜ天皇は生き残ったのか? 天皇の核心は「文化と情報」であり、武士たちが持たない伝統や教養を持つ存在が天皇だった。 戦国大名は朝廷も幕府も全く恐れず、自国のことだけを考えて統治していたが、元号は改元の情報を正確に掴み従っている事がこれを表す。 ただ信長は自ら文化を生み出す創造力を持ち、世界規模の最先端の情報を手にしていたので、天皇への畏敬の念はなかったと思われる。 目的のためには比叡山を焼き討ちできる人物。もし信長の政権がもう少し存続していれば天皇家は滅びた可能性がある。 秀吉は短期間に家康を打ち滅ぼす余裕がなかったために、政権作りに天皇と朝廷の仕組みを利用した。関白、大納言と差をつけて主従関係を設定した。 家康は朝鮮出兵の後始末やキリスト教対策、海外からの圧力、武士の統治などやるべき事が多く、新政権を作るために京都から離れた。 天皇は脅威にならないので禁中並公家諸法度で天皇は学問だけをするものとした。つまり文化と情報の王として江戸時代を生き抜くことになった。 では権力も権威もないそんな状況で、なぜ、江戸末期に尊王論が生まれたのか。 儒学者によって新たに見出されたと筆者は言う。儒学者は現実より理想を重視する。形式にも意味を考える彼らは武家の頂点にいる将軍職を授けている天皇の意味を考えた。 眼前の権力は嫌悪されるが、反対に、彼岸に位置する存在には淡く甘い期待が寄せられる。ましてそれが古い伝統を持ち雅やかな存在であったのでなおさらである。 天皇制賛美の論拠も天皇否定論の論拠も初めから結論ありきで、他者の論点を取り入れて新しい知見を得ることを目指していないが、このようにある種冷めた目で見た天皇論は新鮮であった。

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2021/02/09

大嘗会もできない 最後に残った仕事は改元 将軍の代替わりには改元したが 天皇の代替わりに改元できないことがあったと 麒麟がくる、太平記を見ていたので正親町天皇や三条西実隆が出てきてもイメージができて面白かった

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2018/07/21

自分の考えをもって歴史を語りたいですね 天皇家へのそんけいの念が薄いのか、身もふたもない事を書いていますが、武士の世界が成立、揺り戻しなどの政治的な激動を、ターニングポイントを明確に説明しているのでわかりやすい!

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2017/12/18

天皇の役割がずっと一定だったわけではない。そのことを少し学んでみたくて読んでみた。主に戦国時代までの変遷が描かれていた。役割がどう変わっていったか書かれていて面白かった。ただ、今に至るところまで描かれてないのでそこは、限定的な満足。とはいえ、描かれている範囲では丁寧に描かれてよか...

天皇の役割がずっと一定だったわけではない。そのことを少し学んでみたくて読んでみた。主に戦国時代までの変遷が描かれていた。役割がどう変わっていったか書かれていて面白かった。ただ、今に至るところまで描かれてないのでそこは、限定的な満足。とはいえ、描かれている範囲では丁寧に描かれてよかった。徳治と法治の社会観の話なんかが面白かった。

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2017/01/16
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2009年刊。中世史専門の著者が、主として中世の朝幕関係から天皇・朝廷の役割を解明するもの(書名は誤導ぎみ)。少々物足りないのが正直なところ。ただし、その理由は、もっと書けたはずだからで、著者への期待の裏返しである。まず、政治の説明にあたり、税の徴収過程の実例が少ない。訴訟の実態とは別の政治の実例を詳しく書いて欲しかった。また、権門体制論批判であれば、他の権門(特に寺社)との関係の記述がもっと欲しい。しかも、本書の主張は権門体制論の亜流とも読めなくない。同論の否定には、天皇家の断絶が必要ともいえるからだ。 もっとも、本書は、権門体制論が実は何らの内実を備えていなかったことを気づかせる。つまり、元々モザイク状に権限を分属させていた権門の変容過程を、各時代毎に細かく検討しないと、もはや天皇制の意味は捉えられないのだろう。その意味で、本書の提示した結論や、そこに至る検証過程は極めて興味深い。網野史観とも一味違う中世の天皇・朝廷論が本書には詰まっている。なお、本筋ではないが、天皇制を考える上で、文献の引用のない主張、中世の天皇を考慮しない主張には説得力のないことが、本書からよくわかる。 備忘録。①当事者が自ら、訴状送達。②鎌倉幕府も武家優先派と公平政治派とで対立。霜月騒動で武家優先派が台頭。そのため各地の御家人、非御家人の離反を招き、北条氏滅亡に帰着。③後鳥羽は、実朝を利用して幕府のコントロールを図ろうとしたが、鎌倉武士の反発を買い、実朝暗殺に向わせた。首謀者は北条氏か三浦氏?④後醍醐天皇は朝廷内で浮いていた。余りに旗色鮮明な倒幕姿勢と、中堅実務貴族層の信を得られなかったため。⑤権門体制とは、天皇・朝廷・武士・寺社が天皇を中心として対立競合・相互補完しつつ各々の権力を行使する体制。

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2016/12/18
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

天皇制は武力が無くても権威があったから生き残ったと思っていたが、権力の空白や偶然も作用していたとは驚きだ。そういえば、古代の天皇制の歴史は習ったが、戦国時代や江戸時代の天皇制の歴史は学校で教わらなかったし、本も少ない。何かを隠しているのだろうか。

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2016/06/29

天皇制がなぜ続いたかを、天皇制をいわゆる皇国史観に囚われずに分析しようと試みた一冊。 大きな転換点は承久の乱、南北朝の騒乱にあったと分析。 特に承久の乱は、朝廷にとっては鎌倉幕府設立より余程インパクトがあっただろうというのが目から鱗。 南北朝の騒乱は、南北朝並立というとあたかも...

天皇制がなぜ続いたかを、天皇制をいわゆる皇国史観に囚われずに分析しようと試みた一冊。 大きな転換点は承久の乱、南北朝の騒乱にあったと分析。 特に承久の乱は、朝廷にとっては鎌倉幕府設立より余程インパクトがあっただろうというのが目から鱗。 南北朝の騒乱は、南北朝並立というとあたかも互角の勢力を保ってたように感じるけど、それは最初だけで、実際には武家勢力(つまり足利幕府≒北朝方)が少数勢力の南朝を利用してただけ(実際に足利尊氏や直義は一時的に和睦した)みたい。 基本的に鎌倉時代以降は、武家勢力が勝手に天皇を立てたり廃嫡したり配流したりやりたい放題とい感じ。 分析自体も江戸時代初期の家康まで。

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2015/03/23

本書の主張の概要は、以下のとおり。 ---- 朝廷(天皇・上皇)は、平清盛以後、徐々に実権を武士に奪われた。 承久の乱の後は、皇位継承にすら干渉を許すようになった。 そこで、朝廷は、「道理」に拠る裁判によって積極的に統治者としての地位を示すよう努力し、それは後嵯峨上皇・九条道家...

本書の主張の概要は、以下のとおり。 ---- 朝廷(天皇・上皇)は、平清盛以後、徐々に実権を武士に奪われた。 承久の乱の後は、皇位継承にすら干渉を許すようになった。 そこで、朝廷は、「道理」に拠る裁判によって積極的に統治者としての地位を示すよう努力し、それは後嵯峨上皇・九条道家によって達成された。 また、伝統的宗教勢力の頂点「祭祀の王」としては、依然として君臨していた。 そして、武士に対しても、従前の統治のノウハウを教示する立場、「情報の王」として対峙し得た。 その後、霜月騒動において、統治を重視する一派が、武士の利益を優先する一派によって鎌倉幕府内から駆逐された。 これによって、恩恵を受けられない下級武士や武士以外の勢力の不満が爆発。鎌倉幕府は自壊した。 南北朝を経て、皇室は相対化(絶対的な存在でない事を露呈させることによる弱体化)を余儀なくされ、影響力を著しく失った。 「祭祀の王」としての立場も、足利義満によって奪われた。 その結果、天皇は、「情報の王」「文化の王」として存続することになった。 室町幕府が、旧来の朝廷と同様、「職」の体系(都の上位者に奉仕することで自領の安堵を目論む方法)を採用したため、そのノウハウを持つ天皇(朝廷)は、なおも武士に教示する立場を維持し得た。 ---- 中盤までは、中世における朝廷のシステムについての解説が続く。 それは極めて興味深い。 けれども、結論である「情報の王」「文化の王」の内実にほとんど触れられていない。 戦国時代において朝廷が存続した理由についても紙幅の制限を理由としてほとんど記載がない。 なお、織田信長が本能寺の変に斃れなければ、天皇は廃されていたかも知れない、と主張する(が、詳細な理由は示されていない。)。 黒田俊雄の権門体制論を中世世界全般に適用することに対して批判的。 石井進を引用し、中世には「国家」なるものは存在したとは言い切れず、国家権力が統治対象である人民を強く拘束できなかった当時の状況に鑑みれば「体制」という文言も不適切であるとする。 ただし、個別の事象に同論を援用することは有用である年、特に、同論は院政期にこそよく適合するもので、藤原信西が目指した当為(政権構想)をよく説明出来る、とする。 また、平清盛御落胤説に極めて否定的(91頁)。 今谷明にも、批判的。

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2014/07/13

逗子図書館で読む。非常に興味深い本でした。正直、期待していませんでした。いい意味で、期待はずれでした。文章も読みやすいです。キーワードは、ザイン、ゾルレンです。懐かしい言葉です。あるべき姿と現実です。それを区別すべきだと指摘しています。その通りだと思います。

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2011/08/28

日本の長い歴史の中で、平安時代に権力を失い、室町時代には権威も失った天皇家が、なぜ現代まで生き残ることができたのかを論ずる本。ただし、本書の範囲は室町時代までであり、戦国時代以降については「もう一冊分の叙述が必要となる」で済ましている点はかなり不満である。それでも、政治の中心が天...

日本の長い歴史の中で、平安時代に権力を失い、室町時代には権威も失った天皇家が、なぜ現代まで生き残ることができたのかを論ずる本。ただし、本書の範囲は室町時代までであり、戦国時代以降については「もう一冊分の叙述が必要となる」で済ましている点はかなり不満である。それでも、政治の中心が天皇→貴族→武士と移っていく中で、天皇が「政治の王」から「文化の王」へと巧みに変転を遂げ、影響力を何とか保持し続けたことを、時代順に丹念に追っていく記述には迫力が感じられた。天皇家といえども、現代まで生き残ることができた過程には、多分に運とか偶然の要素もあった、という当たり前の事実を確認できて良かった。

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