英語のバカヤロー! の商品レビュー
2つめの論文が 「ネイティブが書いたに違いない」 と言われた人とか、国際機関や大学で英語を使って活動している人たちが感じた「壁」とその克服方法を書いた本だから、そもそもレベルが違うんだけれども、最初外国に着いたときに現地の人の会話がまったく聴き取れずガクゼンとしたという体験は共通...
2つめの論文が 「ネイティブが書いたに違いない」 と言われた人とか、国際機関や大学で英語を使って活動している人たちが感じた「壁」とその克服方法を書いた本だから、そもそもレベルが違うんだけれども、最初外国に着いたときに現地の人の会話がまったく聴き取れずガクゼンとしたという体験は共通のようだ。 そして、詰まるところは話す中身が最も重要であるという点も。
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養老孟司、坂東眞理子、酒井啓子、竹中平蔵、浅野史郎、松沢哲郎、中村修二、明石康、古川聡、上野千鶴子、本川達雄、福島孝徳のグローバルで活躍されている著名人12名の英語に対する考え方、どうやって壁にぶつかり割り切り、乗り切ってきたかをつづってある。共通して言われている点は、それぞれ、...
養老孟司、坂東眞理子、酒井啓子、竹中平蔵、浅野史郎、松沢哲郎、中村修二、明石康、古川聡、上野千鶴子、本川達雄、福島孝徳のグローバルで活躍されている著名人12名の英語に対する考え方、どうやって壁にぶつかり割り切り、乗り切ってきたかをつづってある。共通して言われている点は、それぞれ、並々ならぬ努力をされているが、共通している点は、日本人がどんなに努力してもネイテイブにはなれないこと、また、英語は手段であり、自己表現の道具であり、大事な点は英語で表現するコンテンツであるという点ということで、英語のか壁にぶつかっても、コンテンツを大事、楽しみにしていることで、乗り切ってこられている点である。 目的と手段を間違えないようにすることが大事
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タイトルに惹かれてブックオフで購入。ブクログ評価は決して高くなかったけど当たり本。 養老孟司、竹中平蔵、浅野史郎など各界の著名人が英語の壁とどのように闘ってきたのかを各人がエッセイのような形で綴っている。 特に心に残ったポイントは以下の2点。 ・ネイティブじゃないからこそ英語を...
タイトルに惹かれてブックオフで購入。ブクログ評価は決して高くなかったけど当たり本。 養老孟司、竹中平蔵、浅野史郎など各界の著名人が英語の壁とどのように闘ってきたのかを各人がエッセイのような形で綴っている。 特に心に残ったポイントは以下の2点。 ・ネイティブじゃないからこそ英語を学ぶことで、世界が広がるし、日本人英語というオリジナリティが出る 確かにそうだなと実感。あまり考えなかった視点だから斬新だった。 ネイティブとして生まれてきたら、それはそれで便利だっただろう。 でも、日本人が英語を学ぶことで世界がどんどん広がっていくという感覚はないはず。そうすると留学の価値って日本人だからこそ、高まるのかな なんて考えたり。 ・言葉は伝えるための手段。伝えたいことを持っていることの方が大事 結構よく聞く説だけど、やはり間違いではないなと読んでいて感じた。 いくら流暢に話せても、発音がきれいでも、やっぱり伝えたいことがないとだめだし、聞きたいと思ってもらえるような言葉を発信できないとだめ。この本に載っている人たちはみんなその伝える何かを持っていた。 色々と考えさせられる一冊でした。
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この世の中を生きていく中で英語という要素が入って来た時、それとどう共存していくか、という問いに多くの著名人が答えている。英語についてだけでなく、英語ということばを取り巻く文化や社会や世界のしくみについても触れられていて、興味深かった。(すべてインタビュー形式のため、抜粋は文体を変...
この世の中を生きていく中で英語という要素が入って来た時、それとどう共存していくか、という問いに多くの著名人が答えている。英語についてだけでなく、英語ということばを取り巻く文化や社会や世界のしくみについても触れられていて、興味深かった。(すべてインタビュー形式のため、抜粋は文体を変えてあります。) -(社会科学や人文科学の場合、発表は)言語的なパフォーマンスによるセリバリー能力の差によるところが大きい(上野千鶴子) →同意。後半で明石康さんや本川先生など理系の先生たちが言っていること(内容があれば、言葉は形にすぎない)と矛盾しているが、私の経験上社会科学の学会発表では言語的パフォーマンスはものすごく大事で、それで内容の面白さに差がつく。 - 相手を正面切って批判しない。できるだけ婉曲に、ニュアンスや皮肉などを上手くつかい、もし相手が怒り心頭に発したら、相手が過剰反応して一人相撲をとっているように見せることで、相手の上に立つようにする(明石康) →ツイッターにおける闘争でも同じ(謎微笑) - いつも文系の人たちが学校英語を教えているから問題。理系の英語の方が分かりやすい(本川達雄) →開眼。これは考えたことがなかった。実際英語の歌や詩などを教科書で読んだりしていたけれど、今思えばなぜそんな一番難しいものをはじめにやっていたんだろうと思う。 -英語で論文を書く以上、西洋の論理に従う素振りを見せなければならない。しかし実際には多様な有象無象のものがあり、違った世界観がある。一番創造的なことは、自分で土俵をつくること(本川達雄) - 英語だけで育った人の視野や価値観の多様性には限界がある(松沢哲郎) - 私は英語をうまくしゃべりたいと思った事がない。とにかく「通じたい」(福島孝徳) - 英語は「モノと言葉」の連動、日本語は「心と言葉」の連動が強い(養老孟司) - スピークアウトする、丁寧に線を追って説明し尽くす、向かっていく精神。(竹中平蔵) インタビューの中で、一番多くの人が触れていて印象に残ったのは、「何かをするための英語」、つまり手段としての英語が大事だということ。 - こどもたちがそれぞれ興味のある世界があり、将来こうなりたいという夢がある中で、英語教育はそこから出発してそこから英語の必要性を導いていく必要がある(浅野史郎) - なまりのない英語には魅力がない。勝負は内容でやるのだから、表現は自分なりの英語でやる。(明石康) - 英語を学習する動機も、何か情熱的に知りたいこと、語りたいことが自分の中にあり、同じようなことを世界の人から学びとるために外国語を学べばいい。ただ楽しく「英会話」ができればいいとか 英語力をつけることだけを目標として英語をする人たちはそれだけではさびしいと思う(明石康) - 「仕事ができる英語」が大事で、極端なことを言えば日常会話などできなくてもよい(坂東眞理子) この人たちを始め、おそらく物心ついて大分たってから、後天的に英語を学びはじめ、英語を使って仕事をしたりこの世界で戦う人が直面している問題・・・「英語の壁」は、どこかの時点で乗り越えるポイントがくる。私個人の経験を照らし合わせてみても、一番納得したのは、最後のあとがきにあった。 英語の壁を越える事は、「多少耳がなれた」というのと、「英語で自分の気持ちを100%伝えるのは一生無理だということをどこかの時点で悟った」、ということ。 これはきっと、ある程度もがいて努力したから言えることばではあるけれど、壁はいつも自分が設定しているものだから、いつかはそう言って納得できるときがきたなら、そのとき英語は自分のものになってるんだろうと思う。 これだけ有名人がでているのに、アマゾンでバーゲンブックとして売られている。今600円です。
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英語に対する向き合いかた。 夏目漱石は留学行って、英語のできなさで混乱して帰国したらしい。 全体的にいえることは、英語が話すことは目的ではないということ。
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著者はインドのムンバイにある「英文校正サービス」会社に勤務しているらしい。 日本の研究者やビジネスマン顧客に、英文の添削をする会社のようだ。 英語を話す、聞くのトレーニングを受けたことがなく、 受験英語だけであった著者が感じたムンバイでの「英語の壁」。 「頭のいい研究者でも、英語...
著者はインドのムンバイにある「英文校正サービス」会社に勤務しているらしい。 日本の研究者やビジネスマン顧客に、英文の添削をする会社のようだ。 英語を話す、聞くのトレーニングを受けたことがなく、 受験英語だけであった著者が感じたムンバイでの「英語の壁」。 「頭のいい研究者でも、英語に泣いたことがないのかな?」という疑問から、 著名な研究者にインタビューをしたのがこの本である。 (ということがまえがきに書いてあるのだが、 この著者はその英語レベルでムンバイに就職したのは、 いったいどういう経緯だったのかがまず気になった・・・) このインタビューのスクリーニングの条件は、 「二十歳を過ぎて、英語圏に1年以上滞在した経験のある研究者」。 とゆるい条件の割に、養老孟司先生をはじめ、 竹中平蔵先生、中村修二先生、上野千鶴子先生など、 本当に著名な研究者の名前が並ぶ。 それぞれに英語との格闘が語られているが、 留学当初、タクシーやファーストフード店での本当に簡単な会話が 聴き取れなかったと言っている人が多いことに驚く。 1年くらいかかって日常会話ができるようになったようなエピソードを読むと、 ノンネイティブが英語を話せるようになるのは並大抵ではないと、改めて感じさせる。 それから研究者だけに、英語論文を書く必要があるわけだが、 これについて共通しているのは、いろいろな文献を読み、 その表現を自分のものにして英文を書いてきたということ。 たくさん読んで、マネをすることから始まるということだろう。 脳神経外科医の福島孝徳先生も登場するが、 (たまにテレビでスーパー外科医として取り上げられている) たどたどしいジャパニーズ・イングリッシュで問題ないとしている。 ただ、これは本人も本書で認めているけれど、 それだけの腕があるからそう言えるのだ。 と、では、自分はどうしたいのか? 受験英語のスキルだけを磨き、今となっては英語に触れる機会は日常にはない。 そうしているうちに30代になってしまった・・・。 けれど・・・、英語を話してみたい、その思いはある。 だって、まずカッコイイもん そして、街で外国人を見つけるとそそっと隠れるようにしてしまう自分がイヤだ。 海外旅行で、YESとしか言えない自分もイヤだ。 この本を読んで確認したのは、 自分が何のために英語を話せるようになりたいのか、 その目的意識が大事だということ。 そして話したいことがなければ、英語を使う意味もないということ。 ただ漫然と英語が話したいと勉強してみても時間の無駄だろう。 仕事で使いたいのか、旅行で使いたいでもいいかもしれない、 どういう目的かをはっきりさせる必要がある。 そうしたら、何を言いたいのか、誰と話したいのかは明確になる。 それが英語でなくていいのなら、英語なんていらない。 とはいえ、僕はやはり英語が使えるようになりたい。 世界のスタンダードは英語であり、 ビジネスも世界を視点に置くことが当たり前の時代である。 世界を相手に仕事がしたい。 だからやっぱり英語を勉強しよう。 ネイティブと同じになる必要はないのだ。 自分が伝えたいことをつたなくとも伝えられるように、 ちょっとずつでも前に進もう。 この本は、英語に対するときの、ほんの少しの勇気をくれる。
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人それぞれ、立場にもよる、ということ。聞きたい内容があれば、頑張って聞いてくれる、というのは共通か。
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回送先:府中市立武蔵台図書館 自分ができなかったことを他者に責任転嫁することで(そもそも「英語の壁」なるものは存在しない。もし、あるのだとしたらそれは外国語というチリ屑程度の意識でしかない!)、自分のメンツを保っているといえる。ただそれだけ。他に言う言葉が見つからない。 という...
回送先:府中市立武蔵台図書館 自分ができなかったことを他者に責任転嫁することで(そもそも「英語の壁」なるものは存在しない。もし、あるのだとしたらそれは外国語というチリ屑程度の意識でしかない!)、自分のメンツを保っているといえる。ただそれだけ。他に言う言葉が見つからない。 というのも、ここでインタビューに応じている人々には「肩書」をもち、それなりの権威を有することで「外に出ている人間である」ということを前提条件で読んでみる必要があるからだ(唯一の例外は酒井啓子だが、それでも自分が経験している権威については口をつぐんでいるし、引きこもり経験ありということは結局元の黙阿弥である)。彼らが言っていることの中に無自覚なオリエンタリズムと「自文化」バンザイ主義が蔓延しており、読み手に嫌みを言っているようにしか聞こえないのだ。 いい比較対象として、環境省キャリアを「辞めて」何もない状態で日本語を学んだテッサ・モーリス・スズキと、賭博打ちで生き延びた森巣博のカップルがある。彼らは「(一つではない世界で)生き延びる」必要があったから言語を習得しなくてはいけなかった。評者もまた「生き延びるための言語」と「いざとなったら何もかも失ってもいい」という開き直りを求められる立場に追い込まれる確率が全くない(=帰国すれば、必ずしも仕事はあるというわけではない)だけに、彼らのようなあさましい人間とは付き合いたくない。 結局、言語を得るということは「ケースバイケース」でしかなく、それ以外に方法論は見当たらない。均一のメゾットを履修・見習うのではなく、「やりたいことだけをする。やりたくないことはしない」という意識のほうがまだ気分は楽だと一読して思うのだが。
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明石さんも竹中さんもみんな英語で苦労していた。 向かっていく精神を持つ。 日本語訛りの英語でも良い。訛りのない英語には魅力がない。語学よりも人間としての総合力を目指せ。 わからないのにわかったふりをすることだけはやっていはいけない。
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