アースシーの風 の商品レビュー
読む力が落ちてきていて、物語の情景をありありと描けなくなっているのを感じる。 ちょっと無理をしながら、時にこの人誰だっけと諦めながら読み進めた。 失うことは得ること。 裏と表の存在。世界は均衡。 愛おしい日常。そばにいる大切な人。 そんなメッセージを受け取った。読めてよかった。
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もとは一つだった、竜と人。それぞれが欲するものを得て、東と西に別れたのに、人間は、欲してはならないものを欲するようになり…それが諸悪の根源だったのでしょうか。欲望って本当に厄介ですね。そうして崩れかけた均衡を、お馴染みのテナー、レバンネン王、カルガド王女セセラク、実は竜だったテハ...
もとは一つだった、竜と人。それぞれが欲するものを得て、東と西に別れたのに、人間は、欲してはならないものを欲するようになり…それが諸悪の根源だったのでしょうか。欲望って本当に厄介ですね。そうして崩れかけた均衡を、お馴染みのテナー、レバンネン王、カルガド王女セセラク、実は竜だったテハヌー、カレシンの言葉を持って飛んで来てくれたアイリアン、ロークの長たち、石垣の向こうの夢に悩むハンノキ、みんなの力で修復できた、という理解でいいのかな。 セセラクはレバンネンの妃になってアースシーの国々を統治し、ゲドとテナーは今度こそ安らかに暮らすのでしょう。
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“長く、白い帆を白鳥の翼のように膨らませて、その船、天翔丸はよろい岩を抜け、静かな夏の湾を滑るように、ゴンド港目指してやってきた。” 清水真砂子さんによる美しい翻訳にいざなわれて、冒頭から懐かしいアースシーの世界に浸ることができる。 しかし、帰還 -ゲド戦記最後の書-」から10年...
“長く、白い帆を白鳥の翼のように膨らませて、その船、天翔丸はよろい岩を抜け、静かな夏の湾を滑るように、ゴンド港目指してやってきた。” 清水真砂子さんによる美しい翻訳にいざなわれて、冒頭から懐かしいアースシーの世界に浸ることができる。 しかし、帰還 -ゲド戦記最後の書-」から10年経って著された「ドラゴンフライ」と「アースシーの風」では、これまでの正義や秩序、そして世界のありように疑念の目が向けられていく。 真の魔法使いは世俗を断って学問を修め、世界の均衡を壊さないように必要なときにだけ魔法の力を用いる。では“魔法の力”とはなんなのか? 人は死ぬと黄泉の国に赴くのに、何故、鳥は山羊はそこにはいないのか? この問いを巡る思考がスリリングだ。 “死んだのに、あのヤギは向こうにいない。あれはあれのいるべきところに、土の中にいるのだ。土の中に。光の中に。風の中に。岩をかけくだる滝水の中に。太陽のオレンジ色の目の中に。ならば、なぜ?ならば、なぜ?” そして死生観についてと共に、自由と善悪の意味も問い直される。 “動物は善もなさなければ悪もなさない。なさなければならないようになす。それだけのこと。私たちは動物のすることを見て、有害だとか有益だとか言うが、良い悪いは、何をするか選ぶことを選んだ我々人間の側の問題なんじゃないだろうか。” “動物たちには命こそ見えていても死は見えていないのだから” ル=グウィンの思考は、自然や自由を礼賛して、欲に縛られて自由に生きれない人間を断罪したりするのではなく、その先へと向かう。 “竜は自由に生き、残された私たちは自らの選択を引き受けていく、それしかないのではないでしょうか。” 「ものをつくり形にしていく喜びも、所有していく欲の深さも」抱えて人は生きていく。自由に憧れながらも「善と悪に線を引くことを選び」自らをくびきにつなぐ決意も秘めて生きていく。 そして「死んだら、生かしてきてくれたすべてを、したかったのにしなかったこと、なりえたかもしれないのに実際にはなれなかったもの、選べるのに選ばなかったもの、なくしたり、使ってしまったり、無駄にしたものを、まだ生きている途中の生命にお返しする。それが、せめてものこの世界へのお礼なのではないか」と、まだ年端もいかない少女に語らせる。 生と死を分つ扉を閉めることで世界の均衡を守ったゲドをして、“わたしたちは世界を全きものにしようとして、こわしてしまったんだ”と言わしめる作者の覚悟と至った境地には感嘆しかない。 ゲド戦記(原題: Earthsea Cycle)は本巻で終わりではなく、未邦訳の“Firelight”がある。いつの日か訳されるのだろうか。読みたいなぁ。
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読み終えて、テナーとゲドがこれから歩いていく森のことを思った。テハヌー、レバンネン、セセラク、アイリアン、ハンノキ、皆のことを思い、ほっと溜め息と涙がこぼれた。『ゲド戦記』この物語には、この世で最悪の悪(レイプなど)との闘い、この世でこの自分で成せる最善を成そうとする人々、強く"fierce" に生きる人々、その交流が描かれる。この6巻の物語に人生で出会えて良かった。生に限りはあれど、物語は逃げていかない。ゆっくり読みたい物語だ。巻末、訳者清水真砂子さんとアーシュラ・ル・グヴィンの交流も、この物語の一部だった。作者と訳者に感謝。
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ゲド戦記は他のファンタジーとは違い、テンポが軽くなく読むのは少し大変だが、その分「性別」や「正義」、「生と死」という深く、実際の生活や社会の通じる内容もありとても面白かった。 最終的に全員がいい形で終わったことによんでいる自分まで満足したような気持ちになった。
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第5巻の『外伝』を除いて、これが最終巻とのことだが、やはり蛇足のような印象は否めない。第3巻までで物語を閉じたほうが自然であったろう。
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テハヌーがハンノキの猫のことを話す様子が、女の子の役割語でないのが良い。少年のような話し方と思ってしまうがかわいいのだ。
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面白かった〜!最後にふさわしい感じだった。ゲド戦記シリーズなんだけど、ゲドはもうクモを倒すのに力を使い果たしたからただのおじいさんで、今回こそ本当になんの活躍もないどころかほぼ話にも出てこなくてそれが悲しい。でも良い感じに完結してくれて満足感。テハヌーはようやく竜になり、レバンネンは最高の伴侶を見つけ、アイリアンも出てきたし、割と大集合な感じ。人と竜は昔ひとつであったが、それぞれ求めるものが異なり、やがて分かれていった。魔法使いという人と竜の中間的な力を持つ者が現れ、死から逃れたいと願い、石垣を作ってしまった。そこでは亡くなった人の魂は浄化されず、永遠に感情もなく彷徨い続けてしまう。 石垣は壊され、竜は西へ飛び、人と永遠に決別した。魔法はきっと、まだ生きてるのかな? やがてまた、邪な考えを持つ人間、魔法使いが現れて繰り返すのでは?と思ったりもするし、次の大賢人は誰がなる?そもそも大賢人やロークの制度は続くのか?など疑問は残るけど、ひとまずゲドの冒険とゲドの周りの人たちのストーリーはめでたく完結、ということですね。 全体を通して、人の欲、男女間の性差やお互いに分かり合えない部分、愛、友情、魂の高潔さ、結構普遍的なテーマを感じられて考えさせられつつ、ストーリーに魅了された。大人向けファンタジーであることは間違いない。
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子どもの頃から読み続けて 遂に大団円。感慨深い。 読む度に発見があり、 最終感はローク的な価値観も相対化されている。 著者が常に現代を意識しながら 書き続けてきたからか? 著者も、鬼籍に入り もう本当に続きが書かれないのが残念
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大円団! テハヌーとの別れはうるっときた。 テナーが愛おしすぎて、、。 ゲドは山で待っている。 テナーはテハヌーのためにロークへむかう。 テハヌーは自分自身のために。 王は国のために。 ハンノキは愛する人のために。 世界の中心はロークの山だった。 壊していたのは誰か。 壊され...
大円団! テハヌーとの別れはうるっときた。 テナーが愛おしすぎて、、。 ゲドは山で待っている。 テナーはテハヌーのためにロークへむかう。 テハヌーは自分自身のために。 王は国のために。 ハンノキは愛する人のために。 世界の中心はロークの山だった。 壊していたのは誰か。 壊されたものをなおすのは誰か。 竜がかっこよかったなあ、最後まで。 最後まで通してよんだけど やっぱり小学生にはすすめにくい話だよなあ、 これは児童書じゃないよなあ、とおもいます。
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