食魔 の商品レビュー
情念であるが、何に対する情念であるかと言えば 食うもの食われるものにある溝、 かつはその食事の現場においてそれらが合一するという そのゆくえについての情念であるように思う。 これはエロティシズムの隠喩であるように思われるが そうではなくて、エロティシズムがこれの隠喩なのだ。 ...
情念であるが、何に対する情念であるかと言えば 食うもの食われるものにある溝、 かつはその食事の現場においてそれらが合一するという そのゆくえについての情念であるように思う。 これはエロティシズムの隠喩であるように思われるが そうではなくて、エロティシズムがこれの隠喩なのだ。 だから、後半のエッセイにある男へのまなざしは 愛おしさもありつつ、しっかりとした距離感が感じられる。 各地の料理も紹介され、満腹感はあるが 不思議と胸焼けはしない。懐石のような文章かもしれない。
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3/13 読了。 お腹すいたー。鍋から立ち上る湯気のような暖かさと、ほのかな湿り気と、柔らかい香りを伝えてくれる文章。フランス料理に関するエッセイは「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」と比較してみたい。
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主人公の苛立ちが、大根のちり鍋を食べていくうちに消えていく。そこから人生の回想へと続くくだりは、プルーストのマドレーヌをも凌ぐと個人的には思います。食を描かせたら岡本かの子は随一。この作品と『鮨』は、かの子の二大食の作品。
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岡本かの子の「食」観は官能的だ。 食べることが、生きることへと直結している。本能的なのに、節度が保たれている。 後半の食エッセイ(特にヨーロッパでの生活)はただ単においしそうと思うだけでなく、日常生活や文化への深い洞察が感じられる。
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