どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? の商品レビュー

3.8

20件のお客様レビュー

  1. 5つ

    5

  2. 4つ

    5

  3. 3つ

    5

  4. 2つ

    2

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2023/07/31

評するのに適していないと捉える人もいるのだろうが、私にはとてもおもしろい本だった。解説内に、「毒」や「薬」の表現があったが、私には「薬」だった。色々もやもやと思っていること、それが世間に歓迎されないだろうことがすごく楽になった。 この本は、よくあるような「命は尊いからどんな理由が...

評するのに適していないと捉える人もいるのだろうが、私にはとてもおもしろい本だった。解説内に、「毒」や「薬」の表現があったが、私には「薬」だった。色々もやもやと思っていること、それが世間に歓迎されないだろうことがすごく楽になった。 この本は、よくあるような「命は尊いからどんな理由があっても無駄にしてはいけない」というようなことを説くものでは決してない。節々に、それは筆者がこれまでに金銭的に困ったことにならないから考えられることではないか....と現実を考えると簡単に言ってくれるなと感じる部分も多々ある。が、生きることに楽しさはないと明言している中で、ある種の諦念と開き直りは清々しい。2章の章題が「幸福を求めない」というくらい。それでも、みんな不幸になればいいというものでもない。マジョリティではないがこういう人もいる。そう示されているだけでこんなに気持ちが楽になるとは思わなかった。よかった。

Posted byブクログ

2023/02/12

幸福を過剰に求めると、ひとはかならず不幸になる。 欠点と真正面から向き合ってみる 組織をうまく利用し、組織に全人格を投入しない。組織から半分降りて、仕事は単なる生活の手段と割り切る。 人生に行き詰まった人は、自分の感受性と信念が満たされる場が与えられれば、獲得できれば、さしあたり...

幸福を過剰に求めると、ひとはかならず不幸になる。 欠点と真正面から向き合ってみる 組織をうまく利用し、組織に全人格を投入しない。組織から半分降りて、仕事は単なる生活の手段と割り切る。 人生に行き詰まった人は、自分の感受性と信念が満たされる場が与えられれば、獲得できれば、さしあたり死ななくてもすむのではないか。 きみがいま死んでならない理由は「きみは本当は死にたくない」から。じぶんをごまかしている。 人生の虚しさにあえいでいる人は、それぞれの仕方で「虚しい」と語れる場を確保することを

Posted byブクログ

2022/04/16

過去に友人2名、知人1名が自殺した...。毒にも薬にもなる本書。ifはないが、当時、本書を当事者が手に取っていたら...。ただの自己欺瞞だな...。

Posted byブクログ

2019/08/15

”コンビニで背表紙のタイトルにドキッとして手に取った一冊。直太朗の「生きてることが辛いなら」が頭の中に強くイメージがあったので購入。 --- T:30分(電車往復)→ 45分 P:直太朗の曲とのつながりポイントを見つける → 発見!(★印) O:この出合いは何かのおつげ。しっかり...

”コンビニで背表紙のタイトルにドキッとして手に取った一冊。直太朗の「生きてることが辛いなら」が頭の中に強くイメージがあったので購入。 --- T:30分(電車往復)→ 45分 P:直太朗の曲とのつながりポイントを見つける → 発見!(★印) O:この出合いは何かのおつげ。しっかり読む --- ★もし、きみがうすうすそう感じているのなら、ひとまず死ぬという方向に精力を傾ける代わりに哲学に全身の重みを預けてみたらどうでしょう?すなわち、「抽象的に」死んでしまって、世間から離れたらどうでしょう?「精神的に」出家したらどうでしょう?人生を「降りたら」どうでしょう?そして、ゆっくり自分の場所を確保していったらどうでしょう?(p.197-198)”

Posted byブクログ

2016/12/05

 実家にあり、タイトルに惹かれて読み始めた。幸せと一般にみなされることを含め、人生の全ては、どうせ死ぬという真実を直視したとき、絶望的に虚しくなる。ならばなぜ生きるのか。自殺するべきではないのか。    まず、周りの人が自分が自殺すると悲しむから、自殺は悪であるという考え方が示さ...

 実家にあり、タイトルに惹かれて読み始めた。幸せと一般にみなされることを含め、人生の全ては、どうせ死ぬという真実を直視したとき、絶望的に虚しくなる。ならばなぜ生きるのか。自殺するべきではないのか。    まず、周りの人が自分が自殺すると悲しむから、自殺は悪であるという考え方が示される。しかし、より筆者が強調するのは、哲学者として生きるということである。「なぜ生きるのか」という問いへの答えを出せないままに自殺することは、哲学における至上の命題を考える機会を放棄するということであり、知を愛する哲学者として言語道断である。また、答えが出なくとも、真実の虚しさを偽って世間で生活するよりも、せめて虚しい、という真実を正直に見つめて、考えられる哲学の道に生きた方がいくぶん気が楽ではないか、という主張だ。  たしかにその通りであるが、死という不可避な真実を意識してしまいつつも、俗世への思いも断ち切れず、哲学へ身を投じることはできない者はいかに生きる意味を見つければいいのか、ということについては本文からは学ぶことができなかった。  しかし、中村うさぎ氏による巻末解説において、新鮮な考え方を発見できた。生に意味がないから死ぬと考えるならば、私は全てのものに意味があるべきだという思想を持っていることになる。では、生に意味がないから死のうとするとき、その死には何か意味があるのか?死ぬことでそれまでの人生に意味が付与されるわけでもない。意味もなく死ぬなら、意味もなく生きるのも同じことで抵抗を感じなくて良いのではないか。このような人生観に、本書のタイトルに対する一つの解を見た気がした。

Posted byブクログ

2016/10/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

いつだったか、とんでもなく生きづらかった時に思わずタイトルも目を奪われた本だけれど、哲学の素養が全くない私には難解な本だった。ようやく数年間おいて読了。 また辛い時に何となく手に取ったら、涙を流しながら読んでた。著者も相当の変わり者だが、普通な考え方を持っていると言い難い私には共鳴する部分がかなり多く、しかし著者のように開き直って生きてはいない。まだまだもがき続けそうな人生だけれど、死ぬまで考え続けなければならない。「どうせ死んでしまうのに、なぜ今死んではいけないのか?」答えがなくとも、考えに考えることこそが、その理由のように思えた。かえって生きる力が湧いてきた。 あと、どうか、あなたの周りにこのような疑問を持ち、死に惹かれている人がいるとしたら、「死んでほしくない」と一言だけでも声をかけてあげよう。

Posted byブクログ

2017/11/30

幸福を求めず、どうせ死んでしまうという人生の理不尽さを見つめて生きるという清らかな(あるいは限りなくむなしい)生き方と、それを実現するための「半隠遁」という処世術が語られます。 わたくし自身は、著者のように「どうせ死んでしまう」ということを突きつめて考えることはなかったのですが...

幸福を求めず、どうせ死んでしまうという人生の理不尽さを見つめて生きるという清らかな(あるいは限りなくむなしい)生き方と、それを実現するための「半隠遁」という処世術が語られます。 わたくし自身は、著者のように「どうせ死んでしまう」ということを突きつめて考えることはなかったのですが、こんなにも清々しい仕方で自分の人生と向きあっているひともいるのかと、感心させられました。

Posted byブクログ

2016/01/07

生きているのが辛くて仕方がない人を前提に諸行無常を説く本はたくさんあるように思うけれど、生きているのが楽しく、満足して、希望もあって、でもなぜ今死んではいけないのかが分からない人のための本には未だ巡り会えない。この本も答えてはくれなかった。 楽しくて幸せで充実している、でもどうせ...

生きているのが辛くて仕方がない人を前提に諸行無常を説く本はたくさんあるように思うけれど、生きているのが楽しく、満足して、希望もあって、でもなぜ今死んではいけないのかが分からない人のための本には未だ巡り会えない。この本も答えてはくれなかった。 楽しくて幸せで充実している、でもどうせ死んでしまうなら、それが自分自身にとってすべて無になるということなら、なぜ今死んではいけないのだろう。それが納得できる本は無いんだろうか。 これはもっと後ろ向きだった。読み終わった後、長い間哲学病に悩まされてつらかった。

Posted byブクログ

2015/07/12

不幸や死を考えて考えても、やっぱりなぜかしら不幸でないし、生きていることそのものに、表面上何があってもさしあたり「幸福」であるように感じてしまう。なぜだ。 「一切皆空」で、世界のものはみんななぜか縁あって無から生じ、無に帰っていく。そして、その無は、もしかすると、娑婆の不完全な存...

不幸や死を考えて考えても、やっぱりなぜかしら不幸でないし、生きていることそのものに、表面上何があってもさしあたり「幸福」であるように感じてしまう。なぜだ。 「一切皆空」で、世界のものはみんななぜか縁あって無から生じ、無に帰っていく。そして、その無は、もしかすると、娑婆の不完全な存在なんかよりも、完全な存在であることが言えるし、今現れている存在は、仮だとしか思えない。 死の向こう側の世界が存在するのではなくて、死も生も、存在とか無を超えたもの(空)が現れた同位相だとすると。 中島先生の本を読むたび、暗澹ではなく、とてつもなく澄み切ったニヒリズムに、なぜか明るくなっている私がいる。

Posted byブクログ

2014/12/25

自分が哲学的思考能力がないということを痛感した。 時々同意するような箇所もあり、改めて、生きているうちは絶対的不幸の中にある、という気持ちを忘れず前向きにいこうと思った。 あと著者は変わってる。

Posted byブクログ