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まなざしの地獄 の商品レビュー

4.4

18件のお客様レビュー

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2013/05/02

今まで読んだ本の中で1番衝撃的だった。他人に対してひどいことをしていなくても、我々の気づかぬうちに人を傷つけていく。そしてそれが他人の人生を変えてしまう可能性が十分にあるということ。今まで知らなかった自分が恥ずかしい。今後どのように人と接していけばいいのか考えさせられる内容だった...

今まで読んだ本の中で1番衝撃的だった。他人に対してひどいことをしていなくても、我々の気づかぬうちに人を傷つけていく。そしてそれが他人の人生を変えてしまう可能性が十分にあるということ。今まで知らなかった自分が恥ずかしい。今後どのように人と接していけばいいのか考えさせられる内容だった。

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2013/03/23

「われわれの存在の原罪性とは、なにかある超越的な神を前提とするものではなく、われわれがこの歴史的社会の中で、それぞれの生活の必要の中で、見すててきたものすべてのまなざしの現在性として、われわれの生きる社会の構造そのものに内在する地獄である」。

Posted byブクログ

2013/03/18

言葉が手に取るように分かるとき、意味は胸に浸み込む。本書を読むと、ビジネス本の堅い言い回しが空疎に感じられてならない。本書は1968年周辺の世相を題材に取り、田舎から「金の卵」として大量に都市へと送り込まれた若者たちの孤独を鋭く抉り、『無知の涙』で知られる連続ピストル射殺事件の犯...

言葉が手に取るように分かるとき、意味は胸に浸み込む。本書を読むと、ビジネス本の堅い言い回しが空疎に感じられてならない。本書は1968年周辺の世相を題材に取り、田舎から「金の卵」として大量に都市へと送り込まれた若者たちの孤独を鋭く抉り、『無知の涙』で知られる連続ピストル射殺事件の犯人の実像に迫る。1968年は僕らが現代日本を考える上で重要だ。それは、安田講堂落城、3億円事件、連合赤軍といった歴史的な事件があったせいではなく、貧しかった僕らの両親が青春時代を過ごしたからだ。本書で指摘されているように、「金の卵」と呼ばれた若者たちは従順な労働者として重宝されたのであって、自由意志を持つ者は「生意気だ」と排斥される。この構図はいまの僕らの時代にも大きく影を落としているわけで、「終身雇用」の完成のために多くの若者の夢が押しつぶされてきたというわけだ。もうひとつの論点として、都市への若者世代の流入が東北をはじめとした田舎を疲弊させ貧しさに拍車をかけたことが指摘されているが、いまの僕らの時代も同じことが起こるように思う。今度はグローバルなスケールで。TPP参加など世界はフラット化する一方であり、日本が環太平洋の中で過疎化するのではという危惧を最近強くしている。英語が話せる程度ではなんともならんのではないのか(僕は英語もロクにしゃべれません!)。価値を産み出すにはどうすればいいのか。いまこそ自由意志をもつべきだと思う。

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2012/12/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

卒論のために読了。 見田さんの社会学的な思考がすばらしい。発言のひとつひとつからその時々の思考の変化を読み取り、特殊な事例から社会的な事例へと昇華させている。 2本収録されているが、一本目は有名な「永山基準」の基となったN.Nから、社会の「まなざしの地獄」が書かれている。二本目は「新しい望郷の歌」という、一家心中から社会を考察する論考が収められている。 その解説では、「まなざしの地獄」から「まなざしの不在」へと変化していることが書かれている。この思考方法が、現代社会においてどのように適用されているのかを示す好例であろう。

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2011/12/13

端的でわかりやすい。30年以上前に書かれたもので、少し自分の認識とズレがあるようには感じたが、それでも、こういう視点で社会を見渡せたら面白いだろうな。こういうものの見方ができるようになりたいな。

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2010/12/23

「永山基準」で有名な、1968年に起きた連続射殺事件の本人・永山則夫が立脚していた意味世界を、見田宗介が鮮やかに描いた論考。 集団就職の時代、郷土から上京してきた青年は転職を繰り返した挙げく逸脱行為に走る。しばしば背景は、「都市が不可避的に課す孤独でや労働の問題である」と語られ...

「永山基準」で有名な、1968年に起きた連続射殺事件の本人・永山則夫が立脚していた意味世界を、見田宗介が鮮やかに描いた論考。 集団就職の時代、郷土から上京してきた青年は転職を繰り返した挙げく逸脱行為に走る。しばしば背景は、「都市が不可避的に課す孤独でや労働の問題である」と語られる。親密圏の形成や、労働疎外は現代でも無縁社会論や派遣の問題との布置連関で語られる。だけど、物事はそう単純ではない。 見田宗介が指摘するのは、「孤独」ではなく翻って「濃密な人間のまなざし」。上京青年を対象に行なった当時の統計資料をもとに、彼らが最も欲しかったものは、自分独りの空間と時間。 永山則夫を逸脱に走らせたのは、都市が含有する「他者のたえざるまなざし」、まなざ地獄であったのだと。 本当によく書かれています。

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2011/03/07

「まなざしの地獄」、副題は「尽きなく生きることの社会学」。 この本は1960年代後半から70年代へと至る時期のの本社会にスポットを当てていて、その中でも連続射殺事件を起こした当時19歳の少年N・Nの境遇を基軸を置いている。少年は網走の刑務所で生まれその後青森に渡りそこでで母親に...

「まなざしの地獄」、副題は「尽きなく生きることの社会学」。 この本は1960年代後半から70年代へと至る時期のの本社会にスポットを当てていて、その中でも連続射殺事件を起こした当時19歳の少年N・Nの境遇を基軸を置いている。少年は網走の刑務所で生まれその後青森に渡りそこでで母親に冬の間捨てられた経験を持っている。それゆえ彼は中学校を卒業すると同時に東京に上京する(故郷を捨てる)少年は東京で、“尽きなく生きようとしていた”、つまり自分自身の不可欠な存在としての確証を得ようとしていた。だが東京という都市が彼に提示したのは、社会的上昇と確固たる存在性という甘美なものではなく、「まなざしの地獄」であった。彼がどんなに容姿を整え一生懸命働けども、網走の刑務所の生まれで青森からの上京者という抽象的な表相性を持つ限りにおいて、まなざしは彼のアイデンティティの総体を規定し、そしてとらえる。なぜ“地獄”なのか。それは、まなざしによって自身のアイデンティティを否定的に意味づけられるからだ。(都市のまなざしは、具象的な表相性において、抽象的な表相性においてひとりの人間のアイデンティティの総体を規定し、予料する。)そして少年は、奇しくも犯罪によって、「存在すべからざる者としての存在」についての確証を得たのは、皮肉だと思う。この論文は現代においても応用可能で、秋葉原の通り魔事件や「酒鬼薔薇聖斗」に関する考察も解説部分にある。 この少年はまなざしの囚人になり、発狂したけれども、僕らも彼に比べれば軽度であるけれども十分まなざしにとらわれているんじゃないかって思う。いや、むしろそれが当たり前のことだろう。注がれるまなざしを一方的に思い込むことで外見を気にするし、アイデンティティや生い立ちももちろん気にする。僕もここ東京で、尽きなく生きようとしている一人の人間なんだ。

Posted byブクログ

2009/10/07

永山則夫が都市で味わった孤独という実存的な地獄を、見田宗介は〈まなざし〉の問題として提起している。現代社会の犠牲者の象徴的問題として有名であるが、いま一度、都市問題の原点を振り返るのに丁度良い。

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