学問の下流化 の商品レビュー
かつては新書を書くようでは学者ではない、と言われた。1960年代までの日本の社会はどうしようもかったんだろうな。暗くてダサい社会的不適応者の収容所が大学院だった。 大学院は明治時代からあったが、それは現実には就職のための待合室だった。
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大学の教養学部の改編が騒がれているので、参照にしようと思ったのだが。 なんというか、問題提言というよりも、ただの読書日記、エッセイの寄せ集めみたいになっている。後半部に大学のカリキュラムについて分析があり、若手研究者の苦境を思いやる面などもあるが…。 旧帝大の人文社会系の教官のレベルがよくわかる本。 市井で本を出している人のほうがまだマシか。日本の文系大学はもう要らないんじゃないかな。
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今日の学問、教育に対して厳しいが、あくまでも学問探求をつづけようとする著者のこころいきがかんじられる。
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エッセイ集を過剰に評価するのはいかがかと思いつつも・・・。いくつか引用。 東大の延命戦略とは閉じた嫌味な差異化ゲーム(p.117) 日本人の平等感は「不幸の等分化」や「犠牲の平等」ではないか(p.193) この二言だけでも読むに値する。 一方で、冒頭に掲げられている、 学問の洗練...
エッセイ集を過剰に評価するのはいかがかと思いつつも・・・。いくつか引用。 東大の延命戦略とは閉じた嫌味な差異化ゲーム(p.117) 日本人の平等感は「不幸の等分化」や「犠牲の平等」ではないか(p.193) この二言だけでも読むに値する。 一方で、冒頭に掲げられている、 学問の洗練という名で実のところは異端と多様性を排除する「知の官僚制化」が始まっている(p.14) という言葉は、若い院生には何とも評価がつかない。 著者の一貫した「人文社会科学」とその教育体系への視点は、まさに教養主義という伝統的な物差しではかったものと思える。 著者は経済学を「上流学問」、社会学を「新興中流学問」と呼んでいるが、経済学の体系は、異端を排除する「知の官僚化」というより、科学的思考による実証の積み重ねなのではないかと私は思う。異端が排除されると共に、新しい多様性が研究によって生まれていると考えるのは、知恵の足りない院生の思いあがりかもしれないが。 これは、学問と科学がイコールでない(もちろん、だからこそ教養に意味があるし、学問とは修身なのだと思う)ことから来るギャップだ。 文系(人文社会科学)という学問の世界そのものが今後も同じカテゴリーなのか、という視点で見る場合、著者の危惧そのものが、古き良き学問の塔から聞こえる最後の晩鐘となるのかもしれない。 いや、そう思えばこそ、このエッセイ集は読み込むに値するのである。
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●No.26 p.37〜38 〜学力ノンエリートの「勉「弱」化」がPISAランクダウンの一因では?
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