大人のいない国 の商品レビュー
内田樹の書いた第二章、第四章、第六章に大満足。 第二章では愛国論者を見事に論破し、第四章では言論の自由の本質を看破し、第六章で未熟な日本人が量産された社会背景を説明する。 とにかく見事な論理に脳みそ溶かされたい人にオススメ!
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2010/07/08読了 今の大人に読ませたい!なんて思ってしまうほど 幼稚な人間が多いんだな。この国は。 2012/02/24再読 自分の意見を根拠もなしにただ貫きたい。というか、ワガママ スルーすればいいのにそれができないから更にたちが悪い。 オトナなのにコドモっぽさが目立...
2010/07/08読了 今の大人に読ませたい!なんて思ってしまうほど 幼稚な人間が多いんだな。この国は。 2012/02/24再読 自分の意見を根拠もなしにただ貫きたい。というか、ワガママ スルーすればいいのにそれができないから更にたちが悪い。 オトナなのにコドモっぽさが目立ってやまない日本の大人 こんな人ばかりじゃないけど、こういう人が多いのも事実。 この本は…まだ自分が大人じゃないって思っているうちに読んだ方がいいですね。 このままじゃ、この国そのものが、世界から孤立してしまいそうだ
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ううん。難しかった。 ・大人っていうのは自分にとっては不快なもの、異なるものを全体の利益(引いては自分の利益)のために包摂できる存在。 ・大人がいない社会は破綻の道を辿る。 ざっくり言っちゃえば、そういうメッセージだったと思う。全体的には共感。 p.51 かつてオルデガ・イ...
ううん。難しかった。 ・大人っていうのは自分にとっては不快なもの、異なるものを全体の利益(引いては自分の利益)のために包摂できる存在。 ・大人がいない社会は破綻の道を辿る。 ざっくり言っちゃえば、そういうメッセージだったと思う。全体的には共感。 p.51 かつてオルデガ・イ・ガゼーは民主社会を成り立たせるぎりぎりの最後の条件を「敵とともに生き、反対者とともに統治する」ことだと書いた。 p.59-60 かつて家族や地域がもっていた<協同>の機能がその細部まで中央管理的なシステムに吸い上げられることで急速に痩せ細ってきた。・・・<協同>のプロセスこそ、福祉政策というより大きな<協同>の衣をまとうことで「弱い者」をさらに弱体化していくプロセスであった。扶養する者−扶養される者、保護する者−保護される者というかたちで、家庭や福祉施設や学校を一方的な管理のシステムとして再編成し、「弱い者」を管理される者という受動的な存在へと押し込めることになった。 p.63 じぶんでじぶんのことが担いきれない、そういう不完全な存在という意味では、だれもが傷や病や障害を普通のこととして抱え込んでいると言ってよい。「ぶら下がり」というかたちをとらせるケアの制度化によって、ケアの「専門職」としてその任にあたっているひとは、じぶんが他人によるケアを必要としない「強い」主体だと「弱い」とされていりうひとの前で思い込むにすぎない。 p.85 言論の自由とは端的に「誰でも言いたいことを言う権利がある」ということではない。発言の正否真偽を判定するのは、発言者本人ではなく(もちろん「神」や独裁者でもなく)、「自由な言論の行き交う場」そのものであるという、場の威信に対する信用供与のことである。 p.96-97 1と2の対立を他人事として放っておけない人にとっては、3というのはなかなかに難しいポジションである。−中略− 本当の思考が立ち上がるのは、弁証法(正・反・合)の「合」のように、正・反を調停したり総合したりするのではなく、正・反の二公的な対立の外に出ようとするときだろう。対立の地平から逸れてゆくこと、あるいは身を振り落とすこと。そのなかではじめて、当事者のなかにある、1や2では割り切れないもの、さらには噛んでも噛み切れないものの声が、それとして聞き取れるようになるはずだ。 p.107 「矛盾」を知らない子どもはある意味で「無敵」である。葛藤を知らず、世界のすべての意味を熟知しており、真偽の判定も価値の査定も自分に委ねられていると信じている幼児たちほど恐ろしいものはない。教育の目的は信じられているように、子どもを邪悪なものから守るために成熟させることにあるのではない。子どもが世界にとって邪悪なものとならないように成熟を強いることに存するのである。 p.109 すべての構成員が同一の価値観を共有している集団でなら、子どもたちの「集団の価値観」へのどうかは迅速かつ円滑に進行するであろうと人々は考えた。その見通しは間違っていない。けれども、集団の価値観を内面化することと成熟するということはまったく別のことである。 p.113-114 子どもたちは今たいへんにわかりやすい社会に生きている。そこでは子どもに「手早く、たくさん金を稼ぐ能力」の習得が何よりも最優先に勧奨されている。そこにはもう何の葛藤もない。−中略− しかし、この「子どもだけでも経営できるシステム」が不調になったときに、いったい「誰が」メンテナンスを引き受け、「誰が」制度設計の青写真を描き直すのかという問題は答えのないまま残されている。私たちが今緊急に考えなければならないのはこの問題だろう。
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なんと言ってもわが師(勝手に呼んでる)二人のそろい踏み、薄い本だけど最初から最後までうなり通し。 いつもの事ながら、内田センセイの語り口は脳の隅々まで酸素が行き渡るようで、しっかりと腑に落ち視界が少しクリアになる。愛国論も言論の自由についての考察も、ここまで納得させられたものは...
なんと言ってもわが師(勝手に呼んでる)二人のそろい踏み、薄い本だけど最初から最後までうなり通し。 いつもの事ながら、内田センセイの語り口は脳の隅々まで酸素が行き渡るようで、しっかりと腑に落ち視界が少しクリアになる。愛国論も言論の自由についての考察も、ここまで納得させられたものはかつてなかった。ご本人もおっしゃっているとおり「同じ芸の繰り返し」なんだけど、そこがよい。 一方の鷲田先生については、これもいつもそうなんだが、最後まで「ウン」としっかり頷いて読み終えられる内田先生とはちょっと違って、最初ぐっと引き込まれながら、どこかの時点でもやもやーっとわからなくなってくるのである。おそらく論の地平が私の理解の及ばないところに切り替わっているのだろう。それも刺激的でやっぱりこのお二人は「師」です。
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対談形式 で始まり、次章から鷲田氏と内田氏が交互に話を進めて行く。 『子供でも運営できる社会』というのが妙にしっくりくるんだけど…((((((^_^;) とても難しいと思う事を書かれている。 これだけ発達した日本という国は 一体何処へ向かっているのだろうか? Lastの章は『ど...
対談形式 で始まり、次章から鷲田氏と内田氏が交互に話を進めて行く。 『子供でも運営できる社会』というのが妙にしっくりくるんだけど…((((((^_^;) とても難しいと思う事を書かれている。 これだけ発達した日本という国は 一体何処へ向かっているのだろうか? Lastの章は『どうしたら一部がキチンと大人になれるか?』という章で締めくくられていた。 氏曰く『ノイズと無秩序』を効率よく発生させるシステムというのがあればいいという。 子供じみた事をやめて、一歩歩き出した時に見つける『矛盾』。これこそがノイズになるのではないかと思う。 キチンとした人になりたいと 思った瑠璃です。
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なんとなく図書館で借りた本なのだが、非常に共感できる部分が多かった。 まぁこれを読んだからと言って自分に何ができるとかは無いのだが、 自分の中に新たな価値観が生まれたのは間違いない。
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これはまさに大人としての自覚の無さを指摘している本である。 成人式を迎えたら、自動的に『大人になった』となる我が国。 しかし、中身が大人かどうかは語られない我が国。 いくつになっても親の世話にならなきゃ生活出来ない、年齢だけは大人が多くなった。 けれども、そんな半端な奴でも十分...
これはまさに大人としての自覚の無さを指摘している本である。 成人式を迎えたら、自動的に『大人になった』となる我が国。 しかし、中身が大人かどうかは語られない我が国。 いくつになっても親の世話にならなきゃ生活出来ない、年齢だけは大人が多くなった。 けれども、そんな半端な奴でも十分生きて行ける社会は、逆に十分成熟している社会なのだろうか?? そんなこんなを考えさせてくれる一冊である。
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6章 もっと矛盾と無秩序を 「両親が同一の価値観を持つ家庭」というのは比喩的な言い方を許してもらえれば、 「北朝鮮化された家庭」のことである。 思想統制された国家から知的なイノベーションや創造的な芸術か生まれることがきわめて 困難であることに人々はすぐに同意してくれるが、構...
6章 もっと矛盾と無秩序を 「両親が同一の価値観を持つ家庭」というのは比喩的な言い方を許してもらえれば、 「北朝鮮化された家庭」のことである。 思想統制された国家から知的なイノベーションや創造的な芸術か生まれることがきわめて 困難であることに人々はすぐに同意してくれるが、構成員が同一の価値観をわかちあう 家庭からイノベイティヴで成熟した市民が育つ可能性が低いということにはほとんどの人は 同意してくれない。
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私の好きな先生×2の本!ということで手に取る。 絵本並みにしっかりした紙で、内容量は少ないけれど、内容は濃い。 いつもながら、ひょうひょうとした語り口の鷲田先生はいいなぁと思いつつ、鷲田先生の本ってそんなに読んでなかった(笑)。
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接客をやっていると常々思うのは、「大人にこそ道徳教育が必要なんじゃないの?!」ということ。 それでもこの本が指摘するのは、"大人になる必要が無いということは、言い換えれば大人になる必要がないということであり、大人にならなくても良い社会は皮肉にも、社会としては成熟している...
接客をやっていると常々思うのは、「大人にこそ道徳教育が必要なんじゃないの?!」ということ。 それでもこの本が指摘するのは、"大人になる必要が無いということは、言い換えれば大人になる必要がないということであり、大人にならなくても良い社会は皮肉にも、社会としては成熟している社会である"、ということ。このことが既に示唆に富んでいる。 社会に噴出する様々な“幼稚さ”を叱るでも嘲るでも無く、愛をもって分析しているような印象を受ける論文連作。二人の対談がとても良かったので、1冊まるまる対談でもよかったな。
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