彫残二人 の商品レビュー
『海国兵談』、『三国通覧図説』を書いた林子平の生涯を描く。先見性ある人物であったのだが、時代が彼に追いついていなかった。現在にも通ずる閉鎖的な日本社会では、異分子は時代から抹殺される運命にあった。 本当に無念な生涯であったことであろう。時代が彼に追いついたとき、『海国兵談』の復刻...
『海国兵談』、『三国通覧図説』を書いた林子平の生涯を描く。先見性ある人物であったのだが、時代が彼に追いついていなかった。現在にも通ずる閉鎖的な日本社会では、異分子は時代から抹殺される運命にあった。 本当に無念な生涯であったことであろう。時代が彼に追いついたとき、『海国兵談』の復刻版が出版され、フランス語に訳されあ書物は、海外に渡っている。
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2017/3/21 日本の歴史の中には、こんな立派なことを成し遂げたのに理解されず、無念のまま死んでいった人がどれほどいたのだろう。 その人たちの偉業が今の世の中の礎となったことは間違いことだ。やはり私たちは先人を敬い生きていかなければならない。 私も最後、無念の涙がでました
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江戸中期、ロシア南下の脅威と海防の必要性を説いた『海国兵談』の著者・林子平。それを不穏文書として弾圧しようとする幕府。版木を抱えて女版木彫師・お槇と二人、逃避行に出る。命にかえても『海国兵談』を世に送り出すために。林子平の思想と波乱万丈の生涯を描いた力作。実に面白かった。兄との...
江戸中期、ロシア南下の脅威と海防の必要性を説いた『海国兵談』の著者・林子平。それを不穏文書として弾圧しようとする幕府。版木を抱えて女版木彫師・お槇と二人、逃避行に出る。命にかえても『海国兵談』を世に送り出すために。林子平の思想と波乱万丈の生涯を描いた力作。実に面白かった。兄との確執、出版元、彫師たちとの交流。仕事に対する矜持、職人気質。女彫師との愛。さらっとした平易な文章で綴られた彼らの姿に何度も胸を打たれた。現在の日本の危機管理意識にも疑問を投げかけるような作品だと感じた。「彫残」とは「いたみやぶれる」という意味。
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お昼にそばやに行こうと思い立ったのですが「読み本」が手元にない! 図書館に行って、美人の司書さんに 「いいところ入ってます?」 と聞いたら、本書が差し出されました・・・今、登録したばかりの本です その後あわてて、蔵書印を押していた(笑) 林子平が書き表した「海国兵談」出版時の迫害...
お昼にそばやに行こうと思い立ったのですが「読み本」が手元にない! 図書館に行って、美人の司書さんに 「いいところ入ってます?」 と聞いたら、本書が差し出されました・・・今、登録したばかりの本です その後あわてて、蔵書印を押していた(笑) 林子平が書き表した「海国兵談」出版時の迫害と彫師のお槇との愛の話 お槇・・・思わず惚れますいい女(名前がいいですね) 都合の悪い事を書き表す事で、民衆を惑わすと出版差し止め それを、郷里の仙台まで逃げ隠れて作成し、自主出版した子平 その「版木」を守るために自ら喉を彫刻刀で突いて自害したお槇 兄の下で座敷牢で生涯を終えた子平の正しさは、その後のロシアの南下や ペリーが小笠原諸島の領有を主張したとき(すでに移住し始めていた) フランス語に翻訳された書物を幕府が提示 そこには、延宝三年の小笠原調査と「此島大日本之内也」と祠を建てた 記事があり、この事実にはペリーも諦めざるを得なかった この書物が「林子平著:三国通覧図説」であり、その後「林子平」の名前が 知られ始め、「海国兵談」の復刻版も出されて、60年後の幕末諸大名や 勤皇の志士達に大きな影響を与えた うーん、学校でこんな習い方しなかったな
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