文化、ことば、教育 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
確認先:川崎市立宮前図書館 初等教育の現場で英語教育がスタートしたという報道を受けて、「このままでは日本語は滅亡する」という陰謀論を真に受けたような本や雑誌記事が店頭に並んだり日系新聞のサンヤツと呼ばれる記事面の下部広告に踊っている。しかし、そうした議論に入る前にいくつかの疑問符が点灯しないだろうか。特に、「本当に日本語って特異性のある言語なのか?」という根本的な問題に対する疑問符が。 本来ならば日本語教育に携わるならば必携の一冊。というのはシステマティックに構築されたTESOL(英語教授法)とは異なり日本語教授法の場合、「特殊日本論」のディスコースに関係者の多くが「洗脳」(とあえて言う)された過去があるからで、その結果日本語教育という分野はほかのディシプリンからの批判的アプローチがない真空地帯と化した印象をほかのディシプリンに与えてしまったといわざるを得ない側面があるからだ。日本語教育(なお評者は教育機関における「国語教育」という言葉は用いない。日本語のみという特権性と暴力性に加担したくないからだ)を絶対の位置におく姿勢を改めることを提言する言語社会学の営みでさえ、中の単細胞な御用学者たち(とその弟子)は「下々の者」に伝わらないようにコントロールすることに血なまこをあげてきたという過去を見るならば。 評者は言語社会学の人間ではない。しかしながら、本書で分析されかつ「こういう見方もありますよ」というアドバイスの周回性をみるにつけそのように見えて仕方がない。 一方で、本書の編集方針に一貫性がないためか(これはこれで評者としては好印象なのだが)、論者によって語る位置も異なれば、論者同士の見解に矛盾を見る部分もないわけではない。しかしこれでいいのだとも思う。「ひとつの問題にひとつの答え」というものはないからであり、「標準を越える」という本書の編集方針に沿っているからでもある。 もっとも母語とはなにか、言葉とは何かを思索する人には一種の物足りなさを感じさせてしまうかもしれない。それが本書の欠点である。そう、アイヌ民族が経験した「日本語への同一化」が本書では語られていないからだ。
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