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現代語訳 吾妻鏡(4) の商品レビュー

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2023/07/08

1188年~1189年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第八 文治四年(1188)正月~12月 ・吾妻鏡 第九 文治五年(1189)正月~12月 本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。 付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。 地頭と荘園のトラブルや年貢、武士...

1188年~1189年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第八 文治四年(1188)正月~12月 ・吾妻鏡 第九 文治五年(1189)正月~12月 本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。 付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。 地頭と荘園のトラブルや年貢、武士による不法行為や、 寺院仏閣の訴訟等の問題がまだ続く一方、 伊勢神宮の上棟、東大寺や内裏の造営など、 朝廷の望みに添った、或いは寺院仏閣への武士の力を 知らしめる行いも頻繁に登場する。 また、喜賀井島の制圧で当時の西の果てを押さえた記録も。 そして、鎌倉幕府の奥州への圧で、義経は滅亡する。31歳か。 続いて奥州合戦。追討に関する朝廷側の動きの鈍さに対し、 頼朝自ら出陣の大規模な出兵であり、幕府中枢の関わりもあり、 奥州滅亡と戦後処理、鎌倉への帰路等は詳細に記録されている。 文治5年7月19日出陣~8月8日合戦開始~9月3日に泰衡の死~ 10月24日鎌倉帰着と、当時の東の果て、奥州の遠さが伝わってくる。 興味深かったのは、梶原景時と畠山重忠の描き方の違い。 突然登場する北条時連(時房)の15歳での元服の記録は、 将来の北条家初代連署だからの忖度が働いたような印象を受ける。

Posted byブクログ

2021/03/07

源頼朝が、とうとう義経を追い詰め、奥州藤原を攻め滅ぼす下りが、淡々と記されている。何気に、エゲツない‥。忖度の応酬だなぁ?

Posted byブクログ