旅路の果て の商品レビュー
バース初体験。 冒頭から数章はあまりにも思弁的。 主人公「ある意味で、ぼく、ジェイコブ・ホーナー」の一人称で語られる物語なんだけど、そのジェイコブの心中や心情にしても、会話にしても、あまりにも思弁的すぎて、読む人によっては忍耐力を必要とするんじゃないかと思う。 そこ...
バース初体験。 冒頭から数章はあまりにも思弁的。 主人公「ある意味で、ぼく、ジェイコブ・ホーナー」の一人称で語られる物語なんだけど、そのジェイコブの心中や心情にしても、会話にしても、あまりにも思弁的すぎて、読む人によっては忍耐力を必要とするんじゃないかと思う。 そこには肉体的な物はなく、経験則は単に論理の堆積であり、もちろん感情的なものや感覚的なものは欠落している。 欠落、というよりも丁寧に排除されている感がある。 だから読み始めて数章で「ああ、だめだこの作品、読めない」と思う方も多いかと思う。 思弁的、とはいっても決してわかりづらいことが書いてある訳ではないのだが、やはりある程度の忍耐は必要かも知れない。 登場人物の一人「レニー」が崩壊してから、物語はガラっとその表情を変える。 僕自身もこの「レニー崩壊」から後は、一気に読み通してしまった。 もちろん、思弁的な内容は随所に表れてくるが、現実がそんな論理を凌駕している。 ストーリーのコアな部分だけを抜き出してしまえば、まぁ、ベタな話なんだけど、そんなベタな話を夢中になって読ませてしまう何かがある。 逆説的な言いかたかもしれないが、それは「思弁的」な文章なのかも知れない。 好感が持てる登場人物は一切現れない。 どの人物も最低で厭らしく、同情出来ないし、感情移入なんて無理。 仮にシンパシーを覚えるポイントがあったとしても、それは「近親憎悪」なんてゾっとする単語で言い表せてしまいそう。 主人公のジェイコブは精神的疾患を抱えているにしても、どの人物も頭でっかちで、言葉で論理で現実をひねり倒そうとする。 そして男たちは疲弊し、女は悲劇的な死を迎える。 この女の死に行く様子は、そんじょそこらのホラー顔負け。 読んでいて心底恐怖した。 万人に喜ばれる作品でないことは確か。 読み終わった後の後味の悪さも、救いの無さも「面白さ」という一言で括られるのならば、これほどに「面白い」作品もそうは無いだろう。 他の方のレビューを読むと、この作品はバースの中でも「読みやすい」部類に入るそうだ。 他のバース作品もぜひ読んでみたくなった。
Posted by
20170304読了。最初は表現がめんどくさい感じがして、のれなかったが、乗馬を習うあたりから駆けて進むように読めた。1953年メリーランド州における、ある行為の困難さは今の自分に理解できず。
Posted by
パラノイア的にだいぶブッとんだ男が主人公。一人語りのような奇妙なリズムにうまく乗れると、テンポよく読める。 「変な奴」はいったい誰なんだ?
Posted by
インテリ臭がぷんぷんしたが、キャラクタが体現していたので素直に読めた。クズ人間を人間臭いと擁護せずに、ちゃんと批評の対象に置いているところが好ましい。深刻な状況で、メロドラマを演じることを否定するシーンが印象的だった。
Posted by
話の筋はシンプルだけどなにやら意図がいろいろつかめない部分が多いが物悲しく面白い。前衛の割に読みやすいが意味が……。だが解説でああと思った。批評に対する批判小説でもあったのかと。思い返すとずいぶんと知的なたくらみでできているのだなと感心した。50年代にすでにこういう小説がでてたの...
話の筋はシンプルだけどなにやら意図がいろいろつかめない部分が多いが物悲しく面白い。前衛の割に読みやすいが意味が……。だが解説でああと思った。批評に対する批判小説でもあったのかと。思い返すとずいぶんと知的なたくらみでできているのだなと感心した。50年代にすでにこういう小説がでてたのかと驚く。
Posted by
観念的な会話の果てに見事に決まるちゃぶ台返し。 いくら言葉を積み重ねていっても、いきなり突きつけられる現実に対して言葉ってものは(ただそれだけでは)何の力ももち得ないんだよということか。
Posted by
バース24歳(1954年)の作。 主人公ジェイコブ・ホーナーがたいがいにひどい。鼻持ちならないいやなやつ。いつでもあらゆる選択、責任をのがれようとし、その時彼の内部ではほとんどナンセンスな知的思考の遊戯が起こっていて、それを回りくどく書きつらねてある。不愉快さを覚えながらもおもし...
バース24歳(1954年)の作。 主人公ジェイコブ・ホーナーがたいがいにひどい。鼻持ちならないいやなやつ。いつでもあらゆる選択、責任をのがれようとし、その時彼の内部ではほとんどナンセンスな知的思考の遊戯が起こっていて、それを回りくどく書きつらねてある。不愉快さを覚えながらもおもしろさに抗えなくて、自分としてはスピーディに読んでしまった。 ホーナーの言葉を借りると、「無天候状態」、自我が空白になっている時に彼はペプシ・コーラのCMソングを口ずさむ。『青春の蹉跌』のショーケンのエンヤートットみたい。戦後の好景気後の青年って、祭りのあとの虚脱におそわれるものなんだろうか。 オールドミスのペギー・ランキンとの情事、ジョー&レニー・モーガン夫妻との恐ろしいてんまつ。ホーナーの対処ときたらまったく、血も涙もない怪物だ。意見を求められて、「ぼくには意見というものがない」と言う。彼の中の複数の自我がそれぞれちがう意見をもっていて、それを言葉にすると「意見がない」となるらしい。この状態は矛盾でもなんでもなく、既製の言語にあてはめようとすると、矛盾しているように思えるだけだって。まったく、もっともらしい屁理屈をこねあげる才だけは豊かなようだ! そんなホーナーを「面白い症例」と言う、すべてを見透かしているらしき謎の医師。彼はホーナーに、仮面としての自我の割り当てを、治療法として命じる。名付けて「神話療法」。…… まあ、登場人物はみな象徴としてデフォルメされた存在なので、ホーナーに腹を立てたりするのも無意味な話。にもかかわらず、インクと紙だけでできているホーナーに、ジョーに、レニーに、ふしぎと自分の感情が重なるのだ。果てしなく堂々巡りを繰り返すような、永遠にモラトリアムが続きそうなこの小説に、唐突な「旅路の果て」が訪れた時、私はひどく動揺し、感傷的な気分が一度に噴き出した。この気分は、既製の言語によって名付けるのをやめにしておこう。
Posted by
「ここが私の旅路の果てだ、ここが私の目的地、/はるかな船旅の終わりを示す港の標識だ。(Here is my journey's end,here is my butt/And very sea-mark of my utmost sail.)」という「オセロー」の一節を...
「ここが私の旅路の果てだ、ここが私の目的地、/はるかな船旅の終わりを示す港の標識だ。(Here is my journey's end,here is my butt/And very sea-mark of my utmost sail.)」という「オセロー」の一節を思い出した。 直接的な動機は大崎善生氏の「パイロットフィッシュ」の引用「それはどんな長い長い旅にも必ず終わる時がくるということに似ている。」が気になったから。読んだ限りパイロットフィッシュの主人公はこの作品に負うところが少なくない。選択の不得手だとか、自我の代わりに空虚のみが存するという性格はジェイコブ・ホーナーにそっくりだ。 バースは作品を知的に操作している。4章でジョーに語らせているところや、6章におけるドクターの神話療法に関する発言は評論も同然であり、前者は物語のテーマとして、後者はこの小説の通奏低音であるだろう分析的・観察的理由を示唆している。前者を要約すればこうだ。「絶対的なものは本当は存在しないから、絶対以下の価値のものが絶対的と考えられ、それに基づいて生きるということもある。」それがジョーの生き方で、それがゆえに周りに卑劣とも高貴ともいえる結果が生じるのだといえよう。 後者の説明は省くが、バースがそれに限界を感じているのが読みとれる。私個人は「神話」という型による知覚作用の方法を初めて知ったのでまず驚いたが、バースがそれをさらに越えようとしているので二重に驚いた。 また、最初の3章はカミュの「異邦人」のような不条理な印象を与えたし、5章のレニー崩壊はそれ以前の彼女自身の神話作成と関連して、「神の死」という寓話的意図を感じる。
Posted by
ビンチョンもバースもなかなか読み進めない筆頭だけど、これはその中でも読みやすいのでは?考えすぎて何もできなくなる前に・・・
Posted by
- 1