キャラクターズ の商品レビュー
本作はキャラクター小説とか批評の小説化とかいうよりも、ポリフォニーの実験のようだった。複数性。たとえば朝日新聞社を焼く、と書かれているのを読んで、わたしは三島の金閣寺を即座に連想したんだけど、そのすぐ後に金閣寺について言及するというように、ひとりでコミュニケーションに対する予測を...
本作はキャラクター小説とか批評の小説化とかいうよりも、ポリフォニーの実験のようだった。複数性。たとえば朝日新聞社を焼く、と書かれているのを読んで、わたしは三島の金閣寺を即座に連想したんだけど、そのすぐ後に金閣寺について言及するというように、ひとりでコミュニケーションに対する予測をひたすら行って自問自答して、その過程で色んなものが変容していくような。ドストエフスキーのパロディと言えば聞こえは良いけど要はコミュ障なおたくです。頭の回転の早さとコミュニケーションへの本質的恐れが妙なドライブ感ある閉塞感とユーモアを生んでいて、こういうことが出来るのが小説だとわたしは思うし、エンタメ的にすごくたのしかった。やけっぱちの突き抜け感は現代にあってもあり得るひとつの突破口だなあ。硬直した「純文学」なんてぶっ壊してくれればいいんです。
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これは失敗作だろう。共著という試みが見事に破綻している。そのことによって、自己言及しているような目的に達しているようにも思えない。
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- ネタバレ
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2011/2/19(~34) 21(~152終) 東浩紀が夢にでも出てきたわけでもないし実際にあったこともないしFaceも知らないのになぜか突然気になってしまったので読んだ1冊。 東氏は曲者だとおもう。 この「キャラクターズ」においては彼は結構最低な人間部類に値するキャラクターになって登場する。 くやしいけれど、そこがまたいい味を出していて、笑わせてくれる。 東浩紀Iが桜坂氏の奥さんの評価で毒を吐いているときの前後の流れに声に出して笑ってしまった自分がにくい。
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ライトノベルとかキャラクター小説に関連する本を、最近読み続けているので、手にとってみた本。 前半はやっぱりちょっと難しかったけど、115ページぐらいからすごく感銘を受けた。 ちなみに、引用させて頂いたところが心に響いた。 ずきゅん、と。
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いわゆる小説とは、「構造」「内容」「文体」の三つで成り立っている。 この定義こそが小説の限界を指している。 そして、限界を乗り越えるためにはどのような小説を書けば良いのだろうか。
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小説の体裁をとり, 登場人物としての東浩紀が 文学について何やら難しいことを考えているみたいだが, ほとんど理解できなかった。 特に,何の説明もなく人名がでてくる点が不満。 もし巻末にでも説明があれば,助かるのだが。
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12月14日読了。東浩紀と桜坂洋によるキャラクター小説、なので当然一筋縄ではいかない・・・「小説はどこまで自覚的になれるのか?」という実験と解釈すべきか?私小説を否定しながらも私小説的であり、セックスと暴力による文学を否定しながらセックスと暴力に依存し、文壇をけなしながらも文壇で...
12月14日読了。東浩紀と桜坂洋によるキャラクター小説、なので当然一筋縄ではいかない・・・「小説はどこまで自覚的になれるのか?」という実験と解釈すべきか?私小説を否定しながらも私小説的であり、セックスと暴力による文学を否定しながらセックスと暴力に依存し、文壇をけなしながらも文壇での栄光に憧れ・・・。「批評」という行為そのものが創造的なものであるために、批評しているうちに対象を自らに取り込んでしまい無数の入れ子構造ができあがってしまうものなのだなあ。舞城王太郎や筒井康隆の作品の影響が濃厚だが、そこには作中の登場人物自身の口を借りて注釈は入れられている。批評をかわす批評ってめんどうくさいなあ~面白いけど。
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「キャラクターズ」とは、批評家東浩紀と作家桜坂洋、両名による批評と小説の融合を試みた作品である。 その試みは、成功したのか、どうか……出版されているということは、ひとつの成功だろう。 不思議な体裁になっていて、小説パート、批評パートという役割分担を持ちながら、桜坂さん...
「キャラクターズ」とは、批評家東浩紀と作家桜坂洋、両名による批評と小説の融合を試みた作品である。 その試みは、成功したのか、どうか……出版されているということは、ひとつの成功だろう。 不思議な体裁になっていて、小説パート、批評パートという役割分担を持ちながら、桜坂さんと東さんが交互に書いていく、 という設定があるのだが、すぐに崩壊を始める。批評家が「私」を語りはじめた段階で。批評家の「私」による批評。 東節がさくれつするなか、逆に桜坂氏が己を徹底して隠していく、このコントラストが上手かった。 画期的な何かをしようとしているはずなのだけど、言葉で展開していくうちに、佐藤友哉とかの作風にどんどん近づいていき、 それも計算のうちとしているのかもしれないけど、最後の展開につづく道のり、最後の展開はあくまで内輪ネタのようにまとまってしまっていた。 結局、文学をやる以上、抜け出せない壁がある、ということを言いたかったのかもしれない。他の人が読んだら、抜け出せた!と思ったのかもしれない。 東浩紀さんの著書はいくつも読んでいるし、すぐれた批評家だと思っているけど、パフォーマーになっているだけのような気する。 しかし、待てよ。この文学の閉鎖的な空間批評をするとき、まずは、読者を引き寄せなくてはいけない。要するに客寄せが必要だ。 文学という寄席、劇場に入る者が少ないうえ、中に入っても劇をすべて見ない(見れない)人が多い、その見られる(魅せれる)作品に選ばれるためには、 パフォーマンス、奇声と言ってもいいのだろう。まずはじめに目立つことが必要なのかもしれない。 そう考えると、東浩紀の作戦は、成功しているのではないだろうか。 ただの「私」の愚痴が「文学」という生き物の愚痴に消化されているのならば、この小説モドキは、新たな創作物として新しい名前をもらえることだろう。 いや、名前が付かず(ジャンル分けされず)、最後までモドキ(ポスト文学)を貫くことが、この小説の成功なのだ。
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いわゆる“論壇”に詳しくないので作中に出てくる元ネタがすべてわかったわけではないが、 あんまり難しいことを考えなくても楽しめる小説です。
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愚痴と引用とカリカチュア的ななにかをこれでもか。面白かったけど東さんの「試み」としては微妙なとこだと思う、実際。
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