なぜ日本人は学ばなくなったのか の商品レビュー
勉強不足等で若者が頼りない存在と写るのはいつの時代のことでもある。日本人は元来身体的に学び、教養と呼ばれる頭で考える学びに対しては歴史が浅く、現代に至っても身につけきっていないのではないだろうか?また果たして将来的にも身につけられるものなのだろうか?マルクス主義に行ったり、カルト...
勉強不足等で若者が頼りない存在と写るのはいつの時代のことでもある。日本人は元来身体的に学び、教養と呼ばれる頭で考える学びに対しては歴史が浅く、現代に至っても身につけきっていないのではないだろうか?また果たして将来的にも身につけられるものなのだろうか?マルクス主義に行ったり、カルトに走ったりするのはどこか身体的な学びを欲している(頭だけではダメだと思っている)のではないだろうかと思った。この本で身体的な学びということが分かってよかったと思う。
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日本人の学力低下が叫ばれて久しい。その理由としてはいくつか指摘されていますが、いわゆる「ゆとり教育」が本来の目的とは違う方向に陥り、つまり生徒が自分で考える力を伸ばすことができず、単に教える内容が減ってしまったため、絶対的な知識量の減少が生じてしまったこと。それからインターネット...
日本人の学力低下が叫ばれて久しい。その理由としてはいくつか指摘されていますが、いわゆる「ゆとり教育」が本来の目的とは違う方向に陥り、つまり生徒が自分で考える力を伸ばすことができず、単に教える内容が減ってしまったため、絶対的な知識量の減少が生じてしまったこと。それからインターネットの広範な普及で、居ながらにして大量の情報が入手できるようになったため、情報の価値が相対的に低下したことがあげられるかと思います。 マスメディア、とくにテレビ番組の力も大きいでしょう。バラエティ番組に見る価値のあるものはないと思っていますが、とくに昨今の「おバカタレント」の知識のなさを笑いものにする番組が酷い。視聴者にとって、自分よりも知識のないものがテレビカメラの向こうにいることで、これ以上学ばなくても安心だという気分が生まれるのでしょう。 この本もそういった話をベースに書かれていますが、懐古趣味が強すぎて、納得のいく部分はほとんどありませんでした。人間が易きに流れるのも、日本社会が米国化したのも、インターネットで情報の洪水が起こるのも、時代の要請であり必然です。それに抗おうとして、何になるのか。 このような時代のもとで、どのようにして学びを得るのか模索するべきところが、昔はよかったで終わってしまっています。 また、昔の教育が必ずしもよかったわけでもありません。画一化した人材しか供給できず、過去の成功体験にとらわれて進歩できない教育でしたから、状況の変化に対応できないわけです。太平洋戦争の4年の間に敵国の戦力が増大したのに、手をこまねいていて敗戦したし、戦後の高度経済成長の結果日本が米国を追い抜いた瞬間、目標を見失って迷走しました。 新しい時代の、新しい学びが必要なのに、そのことについて何も書いてくれていないのが、大きく不満でした。 とは言っても、新しい試みについて実際に何も書かれていないわけではないのです。作者自身、新しい時代にあった試みを行っているし、その内容は「あとがき」の10ページ余りに凝縮されています。この試みについて別の本に書かれているのかもしれませんが、この本でも1章を割くくらいのバランスで、ちょうどよかったのではないでしょうか。
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■日本人 1.-日本人は戦後、米国の若者文化の影響を受け、音楽によって簡単に快楽を昧わうことを覚えた。そのことが、本を読ん で自己形成するという地道な活動を困難にした。
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随所にツッコミどころはあるものの、「今と昔の学生の違い」の考察を通して自分の学びに対する姿勢を考える一助になったかな、と感じた。 前文にも繋がるが、今まであまり考えたことがなかった読書の意義について一考させられたというのも読後思ったところ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
今の若者が、昔と比べて向学心に乏しく、リスペクト(尊敬)の対象も失っているのではないかと提言している本。全体的に「~と思えます」、「~のようです」とかいった根拠が曖昧なものが多くて、確かめようがなく、説得力に欠けている。 著者が言わんとすることはわかる。昔(明治~昭和前期)の大学生のほうが向学心も学力も、今の大学生より上なのは確かだと思う。今は、大学が大衆化して、一部エリート以外の学生が入学するようになり、以前のように学問を追求するよりも、「大企業に入りたい」とか「官僚とか弁護士になりたい」といった多様な希望を抱く傾向がある。 そして、多様化した学生のニーズに応えるため、迷走が始まった、という背景がある。それなのに、この本ではそういう旧制大学に通うような一部エリート層の若者と、大衆化・均質化した現代の若者全般を十把一絡げに扱っている。何か、ずるい。 それにしてもこの本、愚痴っぽい。まあ、明治半ばから後期にかけての頃も、「憲政の神様」として有名な政治家の尾崎行雄が「最近の若者はだらしない。維新志士を見習ったらどうだ」とか愚痴めいたことを言ったことがあった。 1970年代初頭には「三無主義」という言葉が流行し、最近の若者は「無気力」で、「無関心」で、「無責任」であると特徴付けられている。この若者たちは「団塊世代」と呼ばれ、今では60歳前後になり、今の若者に対し「ハングリー精神に欠ける」とか「コミュニケーション能力に乏しい」とか愚痴をこぼしている。こうした現象は古代エジプト時代からあるそうだが、今も変わっていないとは… なんと普遍的なことか。 一応共感できる箇所があったので、★2つ。学問を志そうと思う者の薬にはなる本だと思う。本気で志そうというなら、福澤諭吉『学問のすすめ』のほうがいいだろうが。
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概ね納得できる内容だったが、政治的観点や時代的背景といった考察が少なく、宙に浮いた精神論に終始していたのではないかと思う。読んで損はなかったとは思う。
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率直に「この人の元で学びたい!」と思った。本書で語られている(叩かれている)のはまさに僕ら「若者」で多少複雑な気分でもあったが、今この世代が奮起しないでどうする!まずはとりあえず投票とか行くぞ!って燃えさせてくれます。我ら大学生は黙ってあとがきまで突っ走り「若い人へのメッセージ」...
率直に「この人の元で学びたい!」と思った。本書で語られている(叩かれている)のはまさに僕ら「若者」で多少複雑な気分でもあったが、今この世代が奮起しないでどうする!まずはとりあえず投票とか行くぞ!って燃えさせてくれます。我ら大学生は黙ってあとがきまで突っ走り「若い人へのメッセージ」を読むべし。 バカ肯定時代→歪曲した「やさしさ」→さらば深交力 アメリカ化→「遊び重視」転換→さらば書生 ・読書力、哲学、教養→「迂回力」「我慢」「恥を知る」 ・パノプティズム日本 ・ガンダム=世界観
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一流の国(精神、生き方)から三流の国(精神、生き方)へのランクダウンという事実。このことに無関心でいられてもそれが自分の未来に関わる問題としたら看過ごせないだろう。「KY」的生き方をポジティブにとらえて、伝統的な日本人「ムラ社会」からの脱却が今求められる。(藤井信之先生)
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なんというか、今までもやもやしてたものが若干取れた気がする。 昔の学生は遊ぶよりそれこそ「学」ぶ「生」徒だったんだと。 戦後アメリカの文化、ロックとかが入ってきてみんな自分を律するより楽なほうに逃げていった。 最近の「がんばらなくてもいいや」風潮はアメリカ化された結果なんだと。...
なんというか、今までもやもやしてたものが若干取れた気がする。 昔の学生は遊ぶよりそれこそ「学」ぶ「生」徒だったんだと。 戦後アメリカの文化、ロックとかが入ってきてみんな自分を律するより楽なほうに逃げていった。 最近の「がんばらなくてもいいや」風潮はアメリカ化された結果なんだと。 うちの大学は滑り止めで入ったから、志望大学より偏差値は低め。 他の大学がどうか分からないけど、少なくとも大学生になって 授業中に「おしゃべりやめなさい」だとか注意されたくない。 で、単位も「ダメだろーなー」と思って出したレポートで取れる。 こんなんでいいの?と思った単位は数知れず。 ゼミの友人とも授業中以外でゼミの内容について語ることもなかった。 もっと知識と知識でぶつかれる友人がほしかったな。 お互い十分調べて議論でぶつかる、みたいな。 ま、受験期だらだらしてたから仕方ないか。 人生がやり直せるとしたら、高校時代に戻ってちゃんと受験勉強したい。 もっと偏差値高い大学入ってぬるぬる進級できるような所じゃない大学でちゃんと勉強したい。 それと、経済的にというのもあるけど親が絶対4年で卒業しろというのがプレッシャーだった。 もう1年行けたらドイツに1年留学してたかもしれない。 8月に短期留学したとき、ドイツの大学生は余裕があるというか、柔軟な学び方をしてると思った。 休学して自費で日本に来る人もいた。 日本人でそういう人がいないわけじゃない。 でも少なくともうちの大学は就職内定率上位校の面子があるのかそういう雰囲気がない。 ちゃんと進級して、ちゃんと学校のいうとおりやればいいところに就職できるよ。 どうも大学側(特に就職課)からそう言われてる気がしてならない。 イラッとしたから就職課にはほとんどお世話にならず自力で就活した。 うん、確かにみんな大学入るのは就職のためだけどさ。 でも悩む時間ってのが少しはあってもいいんじゃない? それが4年間のうちに入ってるならちょっと短いと思う。 もっと本読もう。
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目からウロコの連続! あたしが、あなたが、社会が不安なのはみんなみんな「バカ」だからなのです。 立ち止まって自身を掘り下げることをしないからなのです。 そのために必要なことは読書であり、学ぶことに対し「リスペクト」する心の習慣を持つことなのです。 学生時代...
目からウロコの連続! あたしが、あなたが、社会が不安なのはみんなみんな「バカ」だからなのです。 立ち止まって自身を掘り下げることをしないからなのです。 そのために必要なことは読書であり、学ぶことに対し「リスペクト」する心の習慣を持つことなのです。 学生時代にこの本に出会えてよかったー 本を読むことでこのモヤモヤが晴れるならいくらでも読んでやりましょう そしてモチベーションが下がったときにはまたこれを読み返そう そしてそしておっせっかいな人になろう 紹介してくれたマイミク、ちらさんに感謝 ・なぜなら、学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体だからだ。学ばない人間、向上心を持たない人間は、自分の明日を今日よりも良い日だと信じることができない。 ・人間の心の潤いというものは、尊敬やあこがれの対象を持てるかどうかで変わってくる。 ・以前、セブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文さんにお会いした際、採用したいと思う学生について、「大学で何をしてきたかという質問に対して、サークル活動、たとえばダンスを頑張ってきましたと答えるような学生は採用したくない」と仰っていました。 ←やべ-、やべ-、勉強するぞ- ・教科の内容には意味があるはずですから、そのカリキュラムに沿ってつくられたテストの点数が高ければ、その教科が身についていると評価できます。それを評価しないということは、すべてを否定することにつながります。 むしろ点数自体をまるで悪と見なしたり、偏差値という言葉を蔑んだりするのは、ある種の弱さの裏返しです。こうして現実と向き合うことを拒否するメンタリティや、長く全国統一試験を拒否してきたという事実には、まさに昨今の教育界が抱える問題があぶり出されているといえるでしょう。 ←あたしはわりと学力至上主義、偏差値至上主義な人間だけど、それは単に高い点数を取ることがいいって言ってるんじゃなくて、そこに至るまでに努力してる点を認めたい、認めてほしいと思っているから。なんだかそれを肯定されたようで嬉しい。 ・ロックミュージックによって得られる快楽には、努力の必要がない。脳の興奮状態を、地道な努力とは無関係に得ることができてしまう。そのことが、本を読んで自己形成していくというかつどうをこんなんにしている ←音楽によって自己形成してきたと自負している私としては、この部分に関しては全力で否定させていただきたい。 ・ポイントは最終的には上っていくということです。 ・自分自身がぶれないという中心というものを持っている、あるいは判断力の基礎を養っているという自信があれば、それを原動力をしてさまざまな障害を乗り越えることができます。 ・「無知ゆえの不利益」に気づけ ・「むずかしくてわからない→自分には関係ない」という回路ではなく、「わからなさ→自分に必要」という回路こそ、若者が持つべきもの
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