軽蔑 の商品レビュー
軽蔑 (和書)2011年06月14日 17:53 1992 朝日新聞 中上 健次 映画化されて興味を持ちました。映画は観たいけど金欠なのでDVDになったら借りよう。 中上健次さんの本をまとめて読んでみたいけど、今は柄谷行人さんの朝日書評に載っていた本をまとめて読んでいる。 ...
軽蔑 (和書)2011年06月14日 17:53 1992 朝日新聞 中上 健次 映画化されて興味を持ちました。映画は観たいけど金欠なのでDVDになったら借りよう。 中上健次さんの本をまとめて読んでみたいけど、今は柄谷行人さんの朝日書評に載っていた本をまとめて読んでいる。 本を読む速度は人並み以下だろうと思うが、読書を継続することは苦にならない。
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「何も要らないよ、わたし。カズさんだけ、いてくれたら」「大きな胸だし、太い腕だし。でも、カズさんだったら何されても怖くない。どんな事したって、ひとつも怖くない。だってわたしはカズさんを好きだから。愛してるから」
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「相思相愛、男と女、五分と五分」 この言葉が何度も、それはもう何度も繰り返されます。 「もう分かったわ! 」という程繰り返されます(笑) しかしながら、これが重要なのです。 主人公の真知子は、カズさんと五分と五分でありたいと願っていますが、これがなかなか上手くいかない。 周りの目や、カズさんの生まれ育った環境や、いろいろなものに邪魔をされます。 いい意味で、中上健次さんの作品らしくなかったです。 女性視点だからでしょうか。それとも紀州の泥臭い感じが描かれていないからでしょうか。 ラストは、人によって賛否分かれると思いますが 自分好みでした。 そして、この感動を引きずったまま、実写映画を 見たのですが・・・ なんで、こーなっちゃったの? という感じです。 最後の方は、原作無視どころの騒ぎじゃないし 真知子役が鈴木杏さんっていうのはどーも・・・ (ルックスとかスタイルとか) あ、高良健吾さんのカズさんっぷりはなかなかでしたよ。
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初めて中上さんの作品を読みました。途中までは面白かったな。最後はやっぱり・・という感じも受けました。純文学は久々に読んだな。内容は面白いと思ったんですがどうも読みにくい。私と中上作品の相性の問題だろうか。
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映画にもなったし、まして作家は村上龍もリスペクトしているあの中上健次なのだ。長編ということもあり気合満々で読み始める。だが、はじめの期待をあっさり裏切り、あっけなく話しは終わる。死ぬ数ヶ月前の作品らしい、駄作と呼び声が高いのもうなずける。時間を無駄にしたい方はどうぞ。
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ルノアールはフランス語圏の姓。2つの異なる綴りの仮名表記。 カメオとは、瑪瑙、大理石、貝殻などに浮き彫りを施した装飾品。 一彦 真知子 ピー 芸者 妾 酒蔵 六本木 墓参り ヤクザの兄貴 アルマンバタフライ トップレス ダンサー 海 東名高速 五分と五分 高良健吾 鈴木杏 カトレ...
ルノアールはフランス語圏の姓。2つの異なる綴りの仮名表記。 カメオとは、瑪瑙、大理石、貝殻などに浮き彫りを施した装飾品。 一彦 真知子 ピー 芸者 妾 酒蔵 六本木 墓参り ヤクザの兄貴 アルマンバタフライ トップレス ダンサー 海 東名高速 五分と五分 高良健吾 鈴木杏 カトレヤ(カトレアCattleya)とは中南米原産のラン科植物の1つの属、あるいはその近縁属との交配品種を含む1群の植物である。美しい花を咲かせることからよく栽培され、最も有名な洋ランである。洋ランの女王とも言われる。 大森 遺作
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映画でみるよりカズさんがダメ男すぎて呆然。ぜんっぜん五分五分じゃない、まちちゃんの苦悩。田舎町の描写は和歌山人ならかなり共感度高いかと。
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中上健次最後の長篇。そういえば読んでいなかったのだが、映画化されるらしく文庫になったので、買ってみた。 中上健次の小説の魅力は、なんといってもその文体にある。泉鏡花、古井由吉などと共に、文体そのものに芸が凝らされていて、実におもしろく、やはり「純文学」としての価値はそこにあると思...
中上健次最後の長篇。そういえば読んでいなかったのだが、映画化されるらしく文庫になったので、買ってみた。 中上健次の小説の魅力は、なんといってもその文体にある。泉鏡花、古井由吉などと共に、文体そのものに芸が凝らされていて、実におもしろく、やはり「純文学」としての価値はそこにあると思われる。 ジャズを模しているという中上の文体は、「○○だというように、〜した」などと、その表現内容は、描写の対象の意図をあらわしているのか、視点となっている人物の主観をあらわしているのか、それとも、「物語る」作者の情動が込められているのか判然としないままに、ともかく過剰な情感がめくるめくエネルギーの塊となって、迫ってくる。 そしてそのエネルギーが押し寄せ波しぶきが上がるかのように、作中人物はよく泣く。この号泣は、中上健次が気に入っていたらしいアルバート・アイラーの、あの嗚咽のようなビブラートを想起させるだろう。 この作品は珍しく「純愛小説」になっている。 男(カズさん)はヤクザとつながりをもつチンピラだが、実は田舎の旧家の、資産家のぼんぼん。女(真知子)は東京でヌードダンサーをやっている。 「二人は相思相愛、五分と五分の男と女」 というフレーズがかなり執拗に繰り返され、二人の恋愛のスタイルを強迫的に定義している。 しかし、この「五分と五分」のバランスは、東京から男の故郷である田舎に移動した時点で崩れてしまう。 男の過去や家族、幼なじみの仲間たちに囲まれて、しがらみに絡め取られるため、もはや「五分と五分」すんわち一対一で対峙するという純粋な関係が壊れてしまう。そこで真知子は東京に舞い戻り、カズさんは賭博に熱中し巨額の借金をつくった末、あっけなく自滅してしまう。 たぶん中上健次は意識していなかったろうが、「五分と五分」で向き合うためには網野善彦のいう「世俗の関係からは縁の切れた場所」すなわち「市場」が必要なのだ。全面的に市場であるような場所、つまり東京でなら、二人は「五分と五分」で対峙できたはずなのに、ひとたび田舎に行ってしまうと、世俗のもろもろのものとの「縁」にはめこまれ、影響され、「純粋な二人の関係」は維持できなくなってしまうというわけだ。 なるほどメロドラマふうの展開であり、中上らしい神話的な語り口はここにはないが、私にはじゅうぶん面白かった。それは何よりも文体の脈動によるのであり、おそらく、映画化されると抜け落ちてしまうものであろう。
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相思相愛の男と女、五分と五分。 愛する人がいれば、そうありたいと思う。 相手に頼るわけではなく、かと言って支配したいわけじゃない。 そう願っているのに、それは実現できない。 ヒロインの真知子は、まさにそれに悩み苦しんでいたのだろう。 彼女とカズさんのカップルは、欲望渦巻く東京では...
相思相愛の男と女、五分と五分。 愛する人がいれば、そうありたいと思う。 相手に頼るわけではなく、かと言って支配したいわけじゃない。 そう願っているのに、それは実現できない。 ヒロインの真知子は、まさにそれに悩み苦しんでいたのだろう。 彼女とカズさんのカップルは、欲望渦巻く東京では若さゆえに強い光を放つが、カズさんの故郷では、彼が育ってきた地方の因習に知らず知らずに縛られてしまう。 それであっても対等なスタンスを求む真知子、彼女を抱えながらも堕ちていくカズさん。 彼らのような生き方にあこがれるわけではないし、かといって批判はできない、強烈な恋愛をただただ見守るだけであり、それに心揺さぶられたのであった。映画も楽しみだ。
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はて、なんでこの本を読んだのかがよくわからないんだけど。 中上健次の名前は、ビートたけしとか永山則夫が働いていたバーの話題に出てたんだと思う。 小説自体は一気に読みきってしまった。自分の心境に近いものなんて全然無かった気がするけど。 ドロッとした内容だけど、最後はスカッとする...
はて、なんでこの本を読んだのかがよくわからないんだけど。 中上健次の名前は、ビートたけしとか永山則夫が働いていたバーの話題に出てたんだと思う。 小説自体は一気に読みきってしまった。自分の心境に近いものなんて全然無かった気がするけど。 ドロッとした内容だけど、最後はスカッとする。 映画化なんだね。
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