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ある微笑 の商品レビュー

4.1

32件のお客様レビュー

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2024/02/11

リュックさんは多分ただただ正直なだけ。 でもきっとサイテー。 しかしそれをサイテーだと思うのは日本人の私たちの感覚で、そしてドミニクが若いからなのかもしれない。 アンコンシャスバイアスなのか。 でもほんと単純よね、多分現代日本で同じ設定で物語を作ると、色恋以外の様々なことが絡んで...

リュックさんは多分ただただ正直なだけ。 でもきっとサイテー。 しかしそれをサイテーだと思うのは日本人の私たちの感覚で、そしてドミニクが若いからなのかもしれない。 アンコンシャスバイアスなのか。 でもほんと単純よね、多分現代日本で同じ設定で物語を作ると、色恋以外の様々なことが絡んできてそれはそれは複雑なことになるんじゃないかな…。 時代の問題なのか、当時もあえてそこだけに絞ったのか。

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2023/11/07

3冊目のサガン。 くどい。 ひとりよがりの彼女であり、わかりきっていた根元のリュック。 3ページでベルトランが叔父に会いに行かなくてはいけないと言った瞬間からわかった。きっと彼女は彼と恋に落ちると。 説明に継ぐ説明は、彼女もきっと沼にハマる予感があったからこそ。でも抜け出せな...

3冊目のサガン。 くどい。 ひとりよがりの彼女であり、わかりきっていた根元のリュック。 3ページでベルトランが叔父に会いに行かなくてはいけないと言った瞬間からわかった。きっと彼女は彼と恋に落ちると。 説明に継ぐ説明は、彼女もきっと沼にハマる予感があったからこそ。でも抜け出せない、そこに沼がある限り。それが恋ってものよ。 ちょっと疲れた。 でもきっとまた読む、それがサガン。

Posted byブクログ

2023/03/24

女慣れしたリュックはずるい。 そして、そんなリュックを理解しているフランソワーズには、誰もかなわない。 客観的に見ると、最後どうなるかはすぐにわかる。 自明の結果だ。 それでも足を踏み入れてしまうのが恋なのだろう。 現実的には、もう会わない方がよいのだけれど、それはまあ小説だから...

女慣れしたリュックはずるい。 そして、そんなリュックを理解しているフランソワーズには、誰もかなわない。 客観的に見ると、最後どうなるかはすぐにわかる。 自明の結果だ。 それでも足を踏み入れてしまうのが恋なのだろう。 現実的には、もう会わない方がよいのだけれど、それはまあ小説だからね。 2003.9.2 ドミニックは若かった。自分を過信していたのだろう。そうでなければ、リュックと旅行になんて行きはしない。人を好きになると、自分を止められなくなってしまう。だから、最初が肝心だ。止められるチャンスがあるうちに止めてしまわなくては。止めてしまうと恋愛の素晴らしい部分を捨てなくてはいけなくなる。それは、あるいは、人生において一種の醍醐味を捨てることになるのかもしれない。でも、自分がどうなるかを知ってくことは必要かもしれない。何事も経験だから。めいいっぱい背伸びをして相手に合わせようとしているドミニックがかわいい。残酷で、自分のことに必死で。リュックは一時的な興味を持ってドミニックに近づいただけなのに。いわば、恋愛ゲームをしていただけなのに。そういう恋人を本気になりかけてきたと自分で気が付いたら、手を引かなくては。恋愛はバランスだ。だいたい同じレベルでないと、何かと苦しい。遊びの相手は遊びで、なんて、うまくいけば誰も苦労はしないのだけれど。 1999.2.19 ドミニックは20歳、私と同じくらいだということもあってか、とても共感しながら読めた。もちろん、状態的にはちっとも似ていないけれど、ややクールで落ち着いて周囲を見ているようなドミニックの目の動きがおもしろい。結局リュックを愛してしまうのだが、この行動は20歳ゆえのものだと思う。大人になりつつある、でもややあどけないドミニックを見て、今の自分を少し感じることができた。

Posted byブクログ

2020/06/03

サガンです、世界的な超ベストセラー『悲しみよこんにちは』後の二作目。 わずかに残っていた手持ちの、日焼けして活字印刷も薄い、古い古い文庫本。 1952年前半初版、翻訳も朝吹登美子さんで1956年。 そうですね、わたしの思い込みかもわかりませんが 島本理生さんの作品からの連想です...

サガンです、世界的な超ベストセラー『悲しみよこんにちは』後の二作目。 わずかに残っていた手持ちの、日焼けして活字印刷も薄い、古い古い文庫本。 1952年前半初版、翻訳も朝吹登美子さんで1956年。 そうですね、わたしの思い込みかもわかりませんが 島本理生さんの作品からの連想ですね。 すごく若くして(10代で)注目され、恋愛のみを書いているような なにともなく生活感が希薄な、それでいてシニカルな感じの文章。 というわけで、実に60年ぶりに読みました。 ストーリーは 語り手ドミニクはソルボンヌ大学の学生(20)、恋人とのツーショットも絵になるようにほっそりとして素敵、と自分で言うようなお気楽さ。ひょんなことで彼ベルナールの叔父リュックに紹介されたのが始まり。その40男の落ち着いた魅力に惹かれ気味の彼女。そして叔父夫婦ともども仲良しになるも、リュックから「気軽に付き合わないかい?」とこっそり囁かれて度肝を抜かれるが、次第に引き寄せられて・・・パリの空の下で、カンヌで、ドミニクは若さではない人生経験の重み、渋みに魅せられて、それを愛情に変えてしまいそうになる、いやもう戻れないのではと困惑していくのである。 サガンの筆はこの通俗的なストーリーに不思議に洒落た感性を盛り込むところが才能。『悲しみよこんにちは』よりも若さを惜しむ文学性が色濃くあると思う。 無謀が続くわけではないとわかりつつ、果敢さ、臆病さ、好奇心、諦念に向き合う若いうごめきをさらっと描き出している。 う~ん、当時わかっていたのかなあ~。

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2017/02/02

「私は自分に言った。『ほら、私はリュックの傍にいる、かれの横にいる、腕を伸ばすだけでかれに触れる。私はかれの体を知っている、かれの声も、それから寝姿も。かれは本を読んでいる、私はちょっと退屈している、不愉快じゃないわ。もう少し経ったら私たちは夕食に行くだろう、それから一緒に寝るだ...

「私は自分に言った。『ほら、私はリュックの傍にいる、かれの横にいる、腕を伸ばすだけでかれに触れる。私はかれの体を知っている、かれの声も、それから寝姿も。かれは本を読んでいる、私はちょっと退屈している、不愉快じゃないわ。もう少し経ったら私たちは夕食に行くだろう、それから一緒に寝るだろう、そして三日経ったら、私たちは別れるのだ。きっと、かれが現在のようであることはもう決してないだろう。けれど、この一瞬は今此処にあるのだ、私たちのために。私はそれが恋なのだか、それとも気が合うということなのだか知らない。でもそんなことは重大ではないのだ。私たちは孤独だ、お互いに。かれは私が私たちのことを考えていることを知らない、かれは本を読んでいる。でも私たちは一緒にいる、私は、かれが私に対して持っている暖かさと無関心さとを感じている。六カ月して、私たちが別れてしまったあと、この瞬間の思い出が甦って来るのではない。そうではなくて、他の、自分の意思に反した、下らない思い出が……。それにしても、きっとその瞬間こそ私がかれを一番愛する瞬間なのだろう、私にとって、静かな、そして心を引き裂くような人生が私を甘受する瞬間……』」

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2015/03/11
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

主人公のドミニックが、元彼の叔父「リュック」を愛していると気が付くところがハイライトだと思った。 ドミニックが、この恋愛を受動的でなく、自分の自発的な動機による能動的なものとして捉えた瞬間がこの小説の感動の中心だ、と僕は理解し、感動した。 似たような感覚を最近の作家の作品でも感じた記憶がある。辻村深月のデビュー作「冷たい校舎の時は止まる」(2007/8/10講談社文庫)の脇役=生徒会副会長の桐野景子が失恋を実感する瞬間だ。失恋した、と悲しむのではなく、失恋をしたことによって自分が苦しんでいる、と認識し、失恋で自分が苦しんでいる事に衝撃を受ける感覚を表現したシーンだ。(と書いて心配になったので十年ぶりに読み返してみた。第十二章「スカーレット」。少し違った(^_^;) つまり、自分の感覚に耳を傾け、自分の心の声を聞く瞬間である。 自分の欲望を知っている人とは、恋人としても、友人としても付き合いやすい。逆に、自分の欲望を認識せず、何をするにも、他者に理由を求める人とは付き合いづらい。 この違いは、一人旅ができる人と、一人で旅行出来ない人の違いだと思う。 僕は 「え? 俺、一人で旅行に行ったこと無いよ。」 と言う人を知ってる。 一人で何処にでも出かける人と、一人では出かけられない人との間には、実は大きな溝がある。でも、一人旅をしない人は、その溝を知らない。 一人旅が出来ない人と旅行に行くと、とても不愉快で面倒な事になるが、その一方で一人旅が出来ない人は、その不愉快の原因を他者に求めて、そのつじつま合わせ(自分への言い訳)が非常に上手く、自分にその責任があることを(自分自身に対しても)巧妙に言いつくろって認めない。 実際のところ、一人旅が出来ない人というのは、自立の能力が無い、と言うことなのだろう。 Strength is ability to stand alone. 中学か高校の英語の例文(日本人と対比して、アメリカ人が一人前の大人に必要な能力を述べたせりふ)だが、 僕は、「日本人だから、独立心が低くて当たりまえ。」とは思わない。 ドミニックが大人の女への扉を開いた鍵は、一人前の大人として、社会で人と対等に付き合うために必要な鍵でもあると思う。ただし、必ずしも誰もが手にする鍵ではない。一生その鍵を持たずに終える人もずいぶんといるのだろうと思う。でも、僕は付き合うなら、この鍵を持っている人と付き合いたいと思う。 ドミニックはこの小説で語られる一年で、魅力的な大人へと変貌を遂げたと思う。

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2014/10/13

私の記憶を揺さぶるひとつの小説。 結局突きつけられる現実は、 彼は私を愛していないということ。 決定的であり理解のできない事実だから、 諦める以外に方法はどこにもなかった。 散々泣きじゃくった後に湧き上がる、 ある種の微笑みは、 自分がまた着地したことによる、 客観的な過去の...

私の記憶を揺さぶるひとつの小説。 結局突きつけられる現実は、 彼は私を愛していないということ。 決定的であり理解のできない事実だから、 諦める以外に方法はどこにもなかった。 散々泣きじゃくった後に湧き上がる、 ある種の微笑みは、 自分がまた着地したことによる、 客観的な過去の自分への嘲笑であり、 求められたことへの満足との 二重の意味を持っている気がする。

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2014/08/05

サガンの長編ということで。 やはり、これだけの登場人物だけでこれほどの作品が描けてしまうサガンの力にはいつも驚かされてしまう。 たくさんの見目おかしき人物を消費物のように登場させては躍らせる種々の漫画や小説に比べて、ことばの力で語らせるサガンはやはり真の作家という職業人なのだと感...

サガンの長編ということで。 やはり、これだけの登場人物だけでこれほどの作品が描けてしまうサガンの力にはいつも驚かされてしまう。 たくさんの見目おかしき人物を消費物のように登場させては躍らせる種々の漫画や小説に比べて、ことばの力で語らせるサガンはやはり真の作家という職業人なのだと感じる。 ともすればただの不倫物の陳腐な昼ドラマのような筋書きだが、サガンはそんな「失楽園」のようなチンケな作家ではないと思い知る。にもかかわらず、乾いた風のようにどこかよそよそしくさらりと通り過ぎてしまう。 引き合う孤と孤の力。肉欲故でないから苦しむ、理性の愛情。喪失の痛み。たどり着くことのない、幸福。 ひとは幸せな時に笑うのではない、どうしようもなくてただ笑うしかない…だからこそ、そんな微笑みは美しく見えてしまう。 あとがきに引用されたサガンの人生への目的に対するまなざし。この考えがサガンの作品にことばとなって生きている。これがサガンの「気だるさ」なのだろうか。 人間の生なんて、自分でどうこうできるものではない。盛大な劇を演じ続けるのも段々と疲れてしまう。老いも青春も関係なく、今ここに存在してしまったという偶然故に。 実存主義なんてものじゃない。存在が本質であって、本質はどこかにあるのではなく、今ここにしか存在しない実現しえない。だからこそ求めてしまうし、失えば痛みを伴ってしまうのだと思う。ひとの理性(魂)の抗えぬ宿命。

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2014/12/17

1956年に書かれた小説でありながら現代に生きる私が読んでもその感覚に共感できるのはサガンの筆がきちんと愛に翻弄される普遍的な女性の心を描き出しているからなのだろう。洗練されている。 この人の言葉はいやらしくなく、乾いている砂浜みたい。クールだ。

Posted byブクログ

2014/05/27

人生への倦怠、シニシズム サガンの小説で好きなところは主人公が人生に退屈している点 あまりにセンチメンタルな小説

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