毛皮を着たヴィーナス の商品レビュー
マゾヒズムの語源とな…
マゾヒズムの語源となったマゾッホの代表作。毛皮を着た女性に虐げられる男性の悦びが綴られています。
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女王様はワンダ・フォン・ドゥーナエフ。 奴隷はゼヴェリーン・フォン・クジェムスキー。 マゾヒストは病気だったんだな。 わたしも健康になろう〜 Mahalo
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クラフト・エビングの造語マゾヒズムの本家、マゾッホの代表作。本編の主人公ゼヴェリーンがその体現者なのだが、彼にあってはマゾヒズムは「毛皮を着た」フェティシズムと分かちがたく強固に結びつくようだ。また、彼の最愛のヴィーナスたるワンダの論理や行動はサドに通じるものだろう。ただし、サド...
クラフト・エビングの造語マゾヒズムの本家、マゾッホの代表作。本編の主人公ゼヴェリーンがその体現者なのだが、彼にあってはマゾヒズムは「毛皮を着た」フェティシズムと分かちがたく強固に結びつくようだ。また、彼の最愛のヴィーナスたるワンダの論理や行動はサドに通じるものだろう。ただし、サドの小説の主人公たちが天性のサディストであるのに対して、こちらはマゾヒストたるゼヴェリーンが造り出したという感があり、徹底性を欠くとも言えるが。また、18世紀のサドに対して、マゾッホは19世紀と思想史の上でも差異が感じられるようだ。
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マゾヒズム文学の嚆矢を久々に再(々?)読。 ヨーロッパの地方貴族ゼヴェリーンの手記が開陳される。 彼は思春期に、自身の性癖、好みの女性のタイプを自覚し、 理想を追い求めるようになったが、 カルパチアの保養地で出遭った美女にイメージを被せ、 相思相愛になった彼女に「そのように振る舞...
マゾヒズム文学の嚆矢を久々に再(々?)読。 ヨーロッパの地方貴族ゼヴェリーンの手記が開陳される。 彼は思春期に、自身の性癖、好みの女性のタイプを自覚し、 理想を追い求めるようになったが、 カルパチアの保養地で出遭った美女にイメージを被せ、 相思相愛になった彼女に「そのように振る舞ってほしい」と頼み込む。 相手の女性ワンダは、とまどいながらも、彼がそう望むなら……と、 毛皮の衣裳を身に着けて鞭を振るう。 例えば映画や舞台演劇の監督が、 ヒロインに最適な女優を抜擢し、細かく演技指導するうちに、 その役=キャラクターが女優に憑依してしまって、 気づいたときにはキャラが暴走し、 芝居と現実の境界が曖昧になって、監督にも制御不能になってしまう ――といった状況を想像すればいいだろうか、そんな小説。 個人的に気になるのは、 彼らの出会いの場がトランシルヴァニアだということ。 ゼヴェリーンを開眼させたゾボール夫人が感染源で、 夫人に打擲されて「吸血鬼」と化した彼が、 美しい生贄=ワンダに牙を立てたら、 彼女も同じく吸血鬼と化してしまい、そこから力関係が逆転して、 ゼヴェリーンはワンダに足蹴にされ、ヒイヒイ言わされる羽目になったのでは? などと思った。 で、ゼヴェリーンは更にワンダの浮気相手に暴力を振るわれるわけだが、 それによって 「おのれの肉欲の妄念をも女や愛をも呪詛するにいたった」(p.221)とて、 瀉血でも受けたように毒抜きされて我に返り、健康に復した――と 勝手に解釈してニヤニヤしてみる。 でも、時を経て、年を取った彼の前に、 かつてのワンダのような、まだ若い美女が現れたとしたら、どうだろう。 今度は彼は暴君に徹するだろうか、 それともやっぱり骨抜きにされ、相手に毛皮と鞭を渡して跪くのだろうか。 最後に、ワンダ名言集を(笑) ■でも私にはちっとも面白かないんだよ〔p.79〕 ■私は石でできた女、〈毛皮を着たヴィーナス〉、あなたの理想。 さあ、跪いて。私を拝むがいい〔p.196〕 ■私に我欲や傲慢や残酷さの好みを植えつけたのはあなただったわ。 だからあなたがその最初の生贄になるべきなのよ。〔p.216〕 ■慈悲心はご法度。〔p.217〕
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まぞっほです。 今では小学生ですら口にする「M・ドM」とゆう言葉、その原点に帰って一度は読まなくてはと。 過激な性描写は下手な現代の小説より少なく、サドの『ソドム百二十日』なんかが直接的に過ぎるのに対し、マゾッホは上品な印象。 肉体的支配より精神的な支配を望むゆえにだか。
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