思考と行動における言語 の商品レビュー
コージブスキーの系譜たる一般意味論の名著です。言語の使用についての倫理的な側面を解説しています。読む環境(年齢、会社での地位、社会情勢)で感じ方が変わりますから、折々の再読が味わい深いものになるでしょう。
Posted by
コトバと事実との関係性について再考させてくれる最高な本です。記号と意味との関係について考えることは、数学基礎論や科学哲学にもつながっていて、とても興味深いです。本書に言及はなかったのですが「言語ゲーム」とかも絡めて考えてみたいです。
Posted by
意味論に関する知識は全くなく、入門書として読んだ。 報告・推論・断定の区別、地図と現地の関係、外在的・内在的、抽象の過程… 個人と個人から広く国際レベルまで、無益な衝突・誤解を防いでコミュニケーションを円滑にするための原理がいっぱい!
Posted by
連休中に野尻湖の湖畔で静かに読んだ一冊です。 良書だと思う。 人生の中で、一度は読んでおきたい一冊。 言語学の本です。 まったくの門外漢ですが、彼の理論はたぶん言語=記号という大前提から成り立っています。 人間が他のイキモノと大きく異なるのは 言葉を通して、互いの「調整」が...
連休中に野尻湖の湖畔で静かに読んだ一冊です。 良書だと思う。 人生の中で、一度は読んでおきたい一冊。 言語学の本です。 まったくの門外漢ですが、彼の理論はたぶん言語=記号という大前提から成り立っています。 人間が他のイキモノと大きく異なるのは 言葉を通して、互いの「調整」が取れる社会的イキモノであること。 そしてコトバとは何かを抽象化して、分類して表すための「記号」 ということは、その「何か」を完璧にアラワスことアタワズ 記号であらわした「地図」はセカイそのものにアラズ そんな前提において、コトバって何だ。 ヒトってコトバでどう考えて動いて、互いに影響しあうのだ? という疑問について、ある意味エッセー調に彼の理論を展開していきます。 日本みたいなハイコンテキスト社会にいると、あまり言語そのものについて考えることは少ないのでしょう。 コトバにしなくても伝えるモノがある、という前提だから。 そういった面でも新鮮だし、コトバそのものについてよく考える今日この頃なので 特に興味深く読めました〜 お勧めの一冊です。 ヒトリになってもコトバは残る ボクと語るのだから だからこの一冊を無人島に持っていくかも知れない
Posted by
事実よりも記号が優先されがち。 ex. ベンツに乗っている人は、裕福に違いない。 記号を支配するための第1法則。 記号は物そのものではない。 コトバは物ではない。 コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味は我々の内にある。 地図は現地そのものではない。 外在的世界=報告に...
事実よりも記号が優先されがち。 ex. ベンツに乗っている人は、裕福に違いない。 記号を支配するための第1法則。 記号は物そのものではない。 コトバは物ではない。 コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味は我々の内にある。 地図は現地そのものではない。 外在的世界=報告によって受け取る世界 報告は、実証可能でなければならない。 できるだけ推論と断定を排除しなければならない 言語的世界と外在的世界=地図と現地 言語で外在的世界と何の関係もない「地図」を作ることができる ex.突然事故に会わないようにウサギの足を持って歩く、ホテルの13階に泊まろうとしない アヤマリの地図が頭に入るのは、人から与えられるか、自分で読み違えるかのいずれか 抽象のハシゴ 優れた小説家や詩人の作品は、より高いレベルと低いレベルの抽象感の相互作用を常に現している。その主張が人生への洞察を与える高いレベルの一般的な有用さを持つ人だが、かれは自分の能力で実際の社会的状況や心理状態を観察し描写して、その一般化に効果と説得性を持たせる。 抽象のハシゴ(ウェンデル・ジョンソン) 抽象のレベルの混同 ex. 自転車とケンカ 「その人の話がなかなか理解できない」と言う状況の多くは、「彼の語る内容の抽象化レベルが、”低すぎるか”反対に、”高すぎるか”による事を知り大いに頷きました。 抽象化のレベルが高すぎると、
「赤という語はどんな意味だ?」
「それは色だよ」
「色って何だ?」
「それは物の一つの性質さ」
「性質って何だ?」
という展開になり、質問を発している方から見たら、答えは五里霧中です。抽象化のレベルを下げると
「赤という語はどんな意味だ?」
「交差点で自動車が止まっている時に前方の信号灯を見たまえ。消防署に行って消防自動車がどんな具合に塗ってあるか見ても良い」
という展開になります。 語と記号の神秘的関連 必然的な関連 ex. ガラガラ蛇 思考の中の幼児性を回避するには、語とそれが代表する物との間に関して必然的な関連はないということを深く知ること。 報告から推論に断定に そしてレベルの混同に。 メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告) 彼女は遊び回っていたのだ(推論) 彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定) こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」 二価的考え方VS多価的考え方 指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。 報告から推論に断定に、そして抽象レベルの混同に。メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)彼女は遊び回っていたのだ(推論)彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」。二価的になる自分を避ける。通達的事象を話し手と話の内容に分ける。信念体系と不信体系(ミルトン・ロキーチ)。不信体系についての情報に対して心を開くということが、開かれた心を持つということ。我々が他の人々の判断により、そして我々が彼らの断定を信じることにより、我々を不当に影響させる事実こそが、我々が劣等感を、罪悪感を、不安定を感じる最も一般的な理由の一つである。報告にいかなる断定も下さない。反応の延滞反射機構を持つこと。慣習的に達した態度と外在的に達した態度とを区別すること。慣習的態度に含まれた広い評価錯誤の原因は、その中に高いレベルの抽象における一般化が含まれていることである。
Posted by
著者は「地図は現地では無い」で有名な一般意味論の創始者アルフレッド・コージブスキー直接の高弟。 コージブスキーの著作は日本語訳が無いので、一般意味論を学ぶにはこれが入り口となるだろう。手元にある本は1985年第4版29刷のもの。本の序章を読むと1951年11月となっている。かなり...
著者は「地図は現地では無い」で有名な一般意味論の創始者アルフレッド・コージブスキー直接の高弟。 コージブスキーの著作は日本語訳が無いので、一般意味論を学ぶにはこれが入り口となるだろう。手元にある本は1985年第4版29刷のもの。本の序章を読むと1951年11月となっている。かなり古い文献になるが、なるほどこれが一般意味論かと当面の理解が進む良書。
Posted by
- 1
- 2