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クラッシュ の商品レビュー

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20件のお客様レビュー

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2024/11/28

ジャン・ボードリヤールが『クラッシュ』を「最初のシミュレーション・フィクション」と評したことは、現代文学史における重要な転換点として記憶されるべきだろう。彼のこの評価は、単なる賛辞を超えて、現代社会における文学の可能性そのものへの深い洞察を含んでいた。 ボードリヤールが『クラッシ...

ジャン・ボードリヤールが『クラッシュ』を「最初のシミュレーション・フィクション」と評したことは、現代文学史における重要な転換点として記憶されるべきだろう。彼のこの評価は、単なる賛辞を超えて、現代社会における文学の可能性そのものへの深い洞察を含んでいた。 ボードリヤールが『クラッシュ』に見出したものは、従来のSF的想像力の完全な転覆である。そこには未来への予言も、テクノロジーによる人間性の喪失という警告も存在しない。代わりに彼が読み取ったのは、現代社会における「現実」そのものの変容だった。『クラッシュ』における自動車事故は、もはや偶発的な出来事でも悲劇でもない。それは完璧なシミュレーションの達成、テクノロジーと人間の身体が交わる至高の瞬間として描かれる。 特筆すべきは、ボードリヤールがこの作品を「メタファーも寓意も持たない」テキストとして評価した点である。確かに『クラッシュ』には、従来の文学的な解釈を寄せ付けない異様な冷徹さがある。登場人物たちの行動は心理的に説明されることはなく、事故の描写は徹底的に表層的である。これは単なる文体的特徴ではない。それは現代社会における「意味」そのものの消失を体現している。 バラードが描く世界では、「記号」と「現実」の区別は完全に溶解している。自動車は単なる移動手段や社会的ステータスの象徴ではない。それは欲望そのものを生成する装置となる。事故による身体の損傷は、もはや「自然な」身体からの逸脱ではない。それは新たな性的可能性を開く契機となる。このような世界では、「本物」と「シミュレーション」、「正常」と「倒錯」といった二項対立は完全に意味を失う。 ボードリヤールの「象徴交換」の概念は、この作品の本質を理解する上で極めて重要である。『クラッシュ』における事故は、消費社会の記号的秩序からの完全な離脱を意味する。それは死との直接的な交換を求める試みであり、同時に意味のシステム全体を内破させる行為でもある。主人公とヴォーンが追求する「完璧な事故」は、このような象徴交換の究極的な形態として読むことができる。 さらに、「消尽」と「誘惑」の概念からもこの作品は興味深い解釈を可能にする。登場人物たちによる執拗な事故の再現は、有用性や価値の体系を完全に使い果たそうとする消尽の行為である。それは同時に、意味や真実への欲望を転覆させる誘惑の力としても機能する。ヴォーンという人物は、まさにこの誘惑を体現している。彼の存在は、理性的な説明や正当化を必要としない、純粋な誘惑の力として物語に作用する。 メディアの役割もまた重要である。作中で繰り返し言及される有名人の事故は、死がいかにメディアを通じて記号化され、消費可能なものとなっているかを示している。しかし登場人物たちは、その記号化された死を実体化しようとする。それは記号と現実の境界を意図的に攪乱する行為であり、シミュレーションの極限的な形態としても読むことができる。 『クラッシュ』の真の革新性は、このようなボードリヤール的主題を、理論的言説としてではなく、小説という形式で体現してみせた点にある。作品の冷徹な文体、執拗な技術的描写、心理的解釈の拒絶は、すべてシミュレーション社会の本質を表現するための必然的な選択だったと言える。 現代において『クラッシュ』を読むことの意義は、むしろ増大している。デジタル技術の発達により、現実とシミュレーションの境界は更に曖昧になり、人間の欲望はより複雑なテクノロジーとの関係性の中で形成されるようになった。バラードが描き、ボードリヤールが読み解いた世界は、もはや近未来の寓話ではない。それは私たちが既に生きている現実なのかもしれない。 『クラッシュ』は、その過激な表現で知られる作品だが、その本質は暴力や性的描写の過剰性にあるのではない。それは現代社会における「現実」そのものの変容を、極限的な形で描き出した作品として読まれるべきである。ボードリヤールの理論的洞察は、この作品の持つ預言的な力を明らかにすると同時に、文学における新たな可能性を示唆している。それは「意味」や「真実」の追求を超えた、シミュレーションの時代における文学の可能性である。

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2024/04/03

序文のテクノロジー批判・資本主義批判は示唆に富んでいた。序文からこの小説がテクノロジー批判であることは分かるのだが、異常性癖開示みたいになっていてその印象しかない……。「疾走する車はサモトラケのニケより美しい」みたいなあれなんだろう。

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2022/02/16

バラードの代表作のひとつとして有名な作品であり、鴨も読む前からだいたいの内容は知識として持っていました。自動車事故に性的興奮を感じる男女が、乾いた現代社会の片隅でエクスタシーを求めて蠢く群像劇。いかにもバラードらしい、ビザールで劇的でスタイリッシュな問題作。 ・・・との前知識を...

バラードの代表作のひとつとして有名な作品であり、鴨も読む前からだいたいの内容は知識として持っていました。自動車事故に性的興奮を感じる男女が、乾いた現代社会の片隅でエクスタシーを求めて蠢く群像劇。いかにもバラードらしい、ビザールで劇的でスタイリッシュな問題作。 ・・・との前知識を持って、読み進めたんですけど。 特殊性癖のヘンタイがヤリまくるだけの作品でしたヽ( ´ー`)ノ いやまぁ、乱暴すぎるまとめだということは鴨もわかっているつもりです。が、煽情的で押出しの強い作品世界の中から、立ち上ってくる「美学」がないんだよなぁ・・・。 この作品をバラードが世に出した意図は、序文でバラード自身が明確に語っています。バラードが実際に日々感じていたであろう現代社会のテクノロジーの発展、その帰結としてバラードが幻視する、人間の制御を超えて暴走するテクノロジーのランドスケープ。そして、テクノロジーに飲み込まれて無意識のうちに変容していく、人間精神のあり方。そうした作品テーマをダイレクトに伝えんがために、敢えてポルノグラフィの体裁を取ったと、バラード自身が説明しています。 が。残念ながら、鴨にとっては、ただのポルノグラフィ以上のテーマ性が最後まで見えてきませんでした。異形の世界観ではあります。柳下毅一郎氏の翻訳らしい独特の癖のある文体が生み出す幻惑感もあって、読んでる最中は「なんだかスゴいもん読んでるなー」という実感はありました。でも、後に残るものは、鴨には残念ながらありませんでした。ポルノグラフィとして肝心な○○○シーンも、ただただ気持ち悪いだけで、全く盛り上がらず。 フィクションの世界観において、悪や背徳や変態性を描くことは、何ら問題ではないと鴨は思っています。ただ、そこで描かれる悪や背徳や変態性には、読者の平凡なモラルを圧倒的な力でねじ伏せる、他をもって代えがたい「美学」が必要です。何をもって「美」を感じるかは全く主観的な問題なので、たまたま鴨の基準には合わなかっただけ、ということだと思います。 異形の怪作であることは間違い無いので、その筋がお好きな方にはオススメです。かなり人を選びますねー、これは。

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2021/12/11

テレビCMプロデューのジェイムズ・バラード(!)40歳は、 六月の夕暮れ、雨上がりの高速道路を走行中、 車をスリップさせ、対向車と正面衝突。 相手側は女医とその夫で、夫が死亡したと知らされた。 結婚から一年で早くも倦怠期に入り、 互いに外で恋人と情事を愉しんでいたジェイムズと 妻...

テレビCMプロデューのジェイムズ・バラード(!)40歳は、 六月の夕暮れ、雨上がりの高速道路を走行中、 車をスリップさせ、対向車と正面衝突。 相手側は女医とその夫で、夫が死亡したと知らされた。 結婚から一年で早くも倦怠期に入り、 互いに外で恋人と情事を愉しんでいたジェイムズと 妻キャサリンは、この事故をきっかけに 自動車そのものと運転することと、また、 それに付随する事故への不安・恐怖から 性的興奮を得るようになったが、 かつてジェイムズが関わった番組の出演者だった ロバート・ヴォーンに付きまとわれ始めた。 ロバートの目的は――。 下衆で汚らしいエピソードを、 あたかも高尚な事象であるかのように綴った、 作者と同名の人物が主人公のフィクション。 原著は1973年。 まだエアバッグもシートベルト着用義務も 一般化していなかった頃か。 先行する『残虐行為展覧会』収録短編「衝突!」(Crash!,1969)【*】の、 遙かにネチッコい拡張版といった趣き。 スピードに身を委ね、危険を感じると興奮する というのは理解できなくもないが、 庶民にも手が届くテクノロジーとfxxkして 昇天しようぜ、と言われても……なぁ(笑)。 【*】  自動車事故の衝撃が性欲亢進、及び、  そこから導き出される家庭の円満さと  結び付いていることが立証された――  と言わんばかりの“トンデモ”テクスト。 作者は主人公に自分の名前を与えたが、それは、 内容はまったくの作りごとであっても、 心情的には他人事ではなかったからこそ―― といったことが解説に書かれていた。 当時、仕事と子育てに邁進していた、 よき作家であり父親だった人物は、 自身の内面を覆う得体の知れない欲望を 外在化しようとしたのだろうか。 だとすると、主人公とその妻をストーキングする 自滅願望に取り憑かれた変態野郎(笑)とは、 ウィリアム・ウィルソンのような存在だったのか。 格調高いポルノグラフィというと、 ジョルジュ・バタイユの名が思い浮かぶのだが、 生から死へ、破滅に向かって加速する スピードの物語としては(知名度が低いけれども)、 モーリス・ポンス『マドモワゼルB(ベー)』を連想した。 https://booklog.jp/users/fukagawanatsumi/archives/1/B000J958HM

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2021/09/13

SF作家として著名なJ・G・バラードの名作、そして問題作。近々、クローネンバーグ監督による映画化作品(こちらも問題作)の4Kレストア無修正版Blu-rayが発売されるので、予習として手に取ってみた。 「テクノロジーが人間社会に浸食し、人々はテクノロジーに"歪まされてい...

SF作家として著名なJ・G・バラードの名作、そして問題作。近々、クローネンバーグ監督による映画化作品(こちらも問題作)の4Kレストア無修正版Blu-rayが発売されるので、予習として手に取ってみた。 「テクノロジーが人間社会に浸食し、人々はテクノロジーに"歪まされていく"」―――本書のテーマが何かと問われれば、(あくまで個人評として、)模範回答的にはこう答えるだろうが・・・まぁ率直に言ってしまうと「自動車事故に性的興奮を覚えてしまった男が、同じ特殊性癖を持つマニアと巡り会ってしまい、最高の"自動車(事故)オーガズム"を求めて、男女関係なしにヤリまくったり、事故ったりするお話」。 サスペンス小説の雰囲気はあるものの、テキストの大半は特殊性癖男の性衝動に関する描写なので、ゲンナリする人が大多数となること請け合い。選ばれしものだけが楽しめる名作。きっとそう。

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2021/06/22

世に放たれた怪作。 性的興奮とテクノロジーの融合と言われてもしっくりくるものかどうか。 はっきり言って作中人物というか作者の行き着くところがどこなのか最後まで分からなかった。字面で理解できてもイメージがわかないのである。映像という意味ではなく、感覚という意味で。フェティシズムの一...

世に放たれた怪作。 性的興奮とテクノロジーの融合と言われてもしっくりくるものかどうか。 はっきり言って作中人物というか作者の行き着くところがどこなのか最後まで分からなかった。字面で理解できてもイメージがわかないのである。映像という意味ではなく、感覚という意味で。フェティシズムの一種なのであろう。 こういった作品がSFというジャンルの出版物として扱われているのは不思議な感じである。 ちなみに文章はけっこう露骨な表現で官能小説のような気もする。でも、官能小説読んだことないんです。すみません。

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2020/04/19

 ピカソの絵に出てくる人の顔は、前から見た顔と横から見た顔を同じキャンパスの上に描いている、と聞いたころがある。正直、私にはそのよさがイマイチわからないのだが、バランスをとることが難しいだろうことは、何となく分かる。  それと同じというわけではないのだが、この本も、二つの相異な...

 ピカソの絵に出てくる人の顔は、前から見た顔と横から見た顔を同じキャンパスの上に描いている、と聞いたころがある。正直、私にはそのよさがイマイチわからないのだが、バランスをとることが難しいだろうことは、何となく分かる。  それと同じというわけではないのだが、この本も、二つの相異なるものを同一線上に並べているという点で、何か共通するものを感じた。  本の帯には、「テクノロジーと人間の悪夢的婚姻 衝突事故における性的可能性の追求」とある。車等の乗り物のテクノロジーと、人間のもつ性的なイメージを、登場人物の中にある偏執を利用して、あたかも同一であるかのように印象付ける。  ここまで極端ではないにしても、いわゆるフェチと呼ばれるものの延長にある一つの物の見方なのかもしれない。そう言えば、車やオートバイの雑誌やモーターショーには、ある種の美女がセットになっているが、何か、男性の深層心理には、そういうつながりがあるのだろうか。  とにかく、読み始めると、その世界観に慣れるまで読み進めるのがつらい。果たして単なる場面設定なのか、何らかの形でストーリーが進んでいるのか、それさえ判然としないまま、漠然とページを進める自分に嫌気がさしてくる。この作者は何が言いたいのだろうか。この文字の羅列に何か意味があるのだろうか。そんな疑心暗鬼を感じながら、50ページだか、60ページくらいまで読み進めると、急に、この小説が提示している世界の中に、自分が足を踏み入れたような感覚に落ちる。  それからは、理解できるかどうかは別として、最後まで一気に読み上げた。  この本がそのまま楽しめる人は、多分、作者と同じ趣向の持ち主であろう。しかし、多くの読者は、作者と同じ趣向を持っているとは限らないので、そのままでは楽しめないかもしれない。それでもなおこの本を楽しむには、私が最初に書いたような視点の転換をして、自分が理解できる趣向と置き換えて読むといいのかもしれない。  それにしても、この訳がすばらしいなあ。原作がどういう表現で書かれているのか分からないけれども、借り物の言葉ではなく、まるでオリジナルのメッセージのように、力強い言葉がびしびし伝わってくる。所詮、翻訳ものは、手袋をした上から手で触るように、本物には触れられないもどかしさがあるけれども、少なくとも、この本に関して言えば、本物と同じ感触が味わえているような気がする。それほど、訳が完成されているというか、この本に合っているように思う。  きっと、本屋に並んでいるだけでは決して手に取ることはなかったであろう作品を、こうして読む機会を得て、今回は貴重な体験をさせていただいたことを、感謝したい。

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2020/02/10

70年代らしく、LSDと車への偏愛による怪作。胸が悪くなるような描写が続く。自動車事故の愛好、という状況がキモチワルイ。

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2019/12/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

文体が読みにくくて何度か挫折して積読していたが、今回やっと読了。自動車というのは人間にとって一番身近な暴力であり、他人を簡単に傷つけることができるが、一方で自分自身も車に簡単に傷つけられる脆い人間である…という、加虐と被虐の感覚と、人体の体液が無機物と交じり合う気持ち悪さが逆に快感、みたいな感じか。 退廃的だが納得感はあっておもしろかったものの、体臭がにおってきそうな生々しい文章で気分が悪くなってしまった。 一方で、車以外の場面(家や病院、職場など)やキャサリンのキャラクター等、乾いて清潔感のある雰囲気でほっとする部分もあった。この感覚はハイ・ライズ等の他作品の建物の印象にも共通している気がして、これが自分のバラード作品の好きな部分かも。 主人公とヴォーンの絡みにはびっくりしたが…ヴォーンが主人公を振り回しているように見えて実は主人公の欲望を体現しているという関係性は、「ファイト・クラブ」と似ていたな。

Posted byブクログ

2019/07/20

バラード初読。代表作だと思ったので。これはSFなんでしょうか。科学の発展と人間の関係という新たな面を見せてくれてはいますが。 P25「心の中で、ヴォーンは全世界が同時多発する自動車災害によって死んでゆくのを、エンジン冷却材と射精する下腹部との最終的結合の中で、無数の車が同時に発...

バラード初読。代表作だと思ったので。これはSFなんでしょうか。科学の発展と人間の関係という新たな面を見せてくれてはいますが。 P25「心の中で、ヴォーンは全世界が同時多発する自動車災害によって死んでゆくのを、エンジン冷却材と射精する下腹部との最終的結合の中で、無数の車が同時に発車してゆくのを見つめていた。」 翻訳が直訳なのかな、単語の羅列のようで読みづらい。イメージが、雰囲気が頭に入ってこない。車の部品、衝突と、それによって破壊される人体への恍惚。 かなりの性的な単語が並び、なかなか電車の中では読めないです。車の中でしか性行為ができず、自動車事故に惹かれる狂った科学者。不倫、レズビアン的資質がノーマルに感じるくらい、歪んだ性癖。 ずっっと同じ、自動車のパーツ、蹂躙され破壊される性器、無残な死というモチーフが延々と続くので、展開に盛り上がりがなく、ただ圧倒されただけで終わった。

Posted byブクログ