小説から遠く離れて の商品レビュー
昭和の終わりに出版されたいくつかの長編小説からは なぜか共通の構造が見いだされた それは、「宝探し」を「依頼」されて「代行」する物語だ なぜそういう現象が生じ あまつさえ売れてしまったのかといえば 要するに日本の文学が痩せ細っているからだ …という話です 上意下達の社会システムに...
昭和の終わりに出版されたいくつかの長編小説からは なぜか共通の構造が見いだされた それは、「宝探し」を「依頼」されて「代行」する物語だ なぜそういう現象が生じ あまつさえ売れてしまったのかといえば 要するに日本の文学が痩せ細っているからだ …という話です 上意下達の社会システムになんの疑問も持たない作家たちは 無意識のうちにそのような既存の物語をなぞっている けしからんことだ 小説というのはそんなもんじゃない システムではなく人間を書くのが小説である 自覚的な少数の作家たちは 「宝探し」を「自分探し」に置き換えて システムに左右されない人間を創造しようとした その中に生まれたのが 異化という名の言葉遊びで持続する長編スタイルだった それは真に自由な人間のありようなのだ これがニューアカ時代の文芸批評って感じですね まあ僕には異論アリアリで 著者が批判的に論じている「宝探し」すべて 徒労に終わっている点を もっと重視すべきでないかと思うんだけど
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俎上に挙げられているのは村上春樹、井上ひさし、丸谷才一、村上龍、大江健三郎、中上健次、石川淳の小説。 評論としては面白かったが、読み方に関しては首を傾げるところもあり。
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