廃棄の文化誌 の商品レビュー
予想より哲学的な示唆に富む内容だった。基本的なところは現在も変わらないが、私たちの意識のうち一部は初版1994年当時とは変わっているのが感じられるのも趣深い。
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プロローグのカコトピアが面白い。その他の章も示唆に富んでいる。しかし、ではどうしたら?という肝心のところはもう一歩踏み込まないといけないようで、趣味として読むと不安感が残っていけない。そういう気分の時はちょうどいいな。読みやすくはあった。
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この本は、ケヴィン・リンチの遺稿をまとめつつ、写真をつけくわえたもので、読み物としてもよみやすい。 これもかばちゃんの推薦。 読み方は人によって様々だろう。自分は、人口減少、少子高齢化が進むなかで、どう廃棄される郊外の土地利用を考えるか、例えば、震災復興で集団移転し...
この本は、ケヴィン・リンチの遺稿をまとめつつ、写真をつけくわえたもので、読み物としてもよみやすい。 これもかばちゃんの推薦。 読み方は人によって様々だろう。自分は、人口減少、少子高齢化が進むなかで、どう廃棄される郊外の土地利用を考えるか、例えば、震災復興で集団移転したあとの土地の利用をどう考えるかなど、問題意識が喚起された。 もちろん、この本にそのダイレクトな答えがあるわけではない。 ①土地のリサイクルは経済性の計算によるばかりではなく、コミュニティの誇りによって動機づけることが多い。廃棄物の山を動かさずにそのまま歴史的なランドマークとして甦らせた方がよい場合もある。(p145) ②だが、人類という種を宇宙の中心からはずしてみれば、ものごとの意味は拡がるだろう。廃棄はすべて生命系の本質的な過程であり、廃棄が阻止されたり、吸収できない量ないしはタイプの物質を産出することにかぎって、望まれないものになる。(p202) ③国の政策としては、人や企業や資本の流動を直接管理することはせずに、成長や衰退を和らげ、利益の何割かを必要な地域に振り向ける。(p222) なんとなく、都市がシュリンクしていくなかでの復興対策については、放棄された土地、移転して公共の手元にのこった土地などは、地域共同体の管理にゆだねていくというイメージがあるのだが、どうだろうか。
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『都市のイメージ』(1960年)で有名な都市計画研究者,ケヴィン・リンチ。彼の遺稿が本書。1984年に彼が亡くなり,残された原稿をマイケル・サウスワースという同僚が編集して1990年に出版された『Wasting Away』という著作が『廃棄の文化誌』として翻訳された。地理学にとっ...
『都市のイメージ』(1960年)で有名な都市計画研究者,ケヴィン・リンチ。彼の遺稿が本書。1984年に彼が亡くなり,残された原稿をマイケル・サウスワースという同僚が編集して1990年に出版された『Wasting Away』という著作が『廃棄の文化誌』として翻訳された。地理学にとっても,認知や知覚の問題がテーマとして浮上してきた1970年代に,『都市のイメージ』は多く引用され,日本でもかの有名建築家,丹下健三の手によって1968年に翻訳されており,一時期は翻訳本が手に入りにくかったが,2007年に復刊されたくらい,今でも影響力のある著作である。が,私は読んでいない。ちなみに,本書の翻訳タイトル「廃棄の文化誌」はいかにも工作舎らしいタイトルだ。この出版社で唯一翻訳の出ている地理学者はイーフー・トゥアンだが,「landscape of fear」が『恐怖の博物誌』として,「dominance and affection」が『愛と支配の博物誌』として翻訳されている。これらは数あるトゥアンの著作のなかでも,彼の博学が十二分に活かされた素晴らしい作品だと思うが,リンチの著作も多くが建築に関わる出版社から翻訳が出ているのに対し,本書がこのタイトルで工作舎から出版された意味は大きい。 そんなことで,『都市のイメージ』が読まなくてはいけないけど,なかなか読もうとは思わないと思う存在である一方で,本書のことはいつも頭のなかにあった。なので,たまたま古書店で発見して購入し,早速読むことになったのだ。本書のことは私が在籍していた東京都立大学地理学科の人文地理学教授であった(今でもそうですが)杉浦芳夫氏を通して知っていたのだ。多分,当時月刊『地理』の書評担当をしていて,本書を取り上げたのだと記憶している。私とは違って,ほとんどの人は趣味で読んでいる本,ましてや翻訳本を,学術雑誌などでは紹介しないものだが,月刊『地理』ということで,このときばかりはあの杉浦氏もけっこう楽しんでいたように思う。他にもジャズの歴史に関する翻訳本や『サバービアの憂鬱』なんて本も紹介していたな。 さて,前置きが長くなりましたが,本書について書きましょう。本書はさすがに,遺稿ということもあって,きちんと構造化されている印象は薄い。どうしても廃棄にまつわる記述の断片の寄せ集めという印象を免れない。しかし,このテーマで1980年代にまとまった本を書くのは難しいということを踏まえると,書かれている個々の記述は今読んでもまったく色褪せることなく,われわれへの教訓として大きな意義を持っていると思う。リンチの本を読むのは初めてだが,彼がいかにプラグマティストかということを実感する。恐らく,本書を読んだ後に『都市のイメージ』を読めば,読み取る内容も随分異なることだろう。生物体が生命を維持すれば,必ず廃棄物は生じる。しかし,人間の場合はその廃棄の量が時代を追うごとにうなぎのぼりに増えてきて,しかも有害なまま悠久の時を耐え続けるようなものも多く生産してきてしまった。そういうものをこれからどうすべきか,悲観的なのはもちろんだが,その功罪を声高に訴えることよりも,現実的に何が出来るかの案をいくつも提示する。もちろん,廃棄にまつわる問題ばかりを指摘するのではない。廃棄する行為に対する人間の快楽。廃墟に代表されるような,廃棄物を美しいと思う人間の感情。そうした,廃棄物がもつ両面性というか,複雑性の認識も忘れていない。本書を読んで,以前同じ研究会でよく顔を合わせていた社会学者の下村恭広君のことを思い出した。彼はなぜか地理学の研究論文をよく読んでいて,親しみを感じていたのだが,なぜかある時期から日本の廃棄物処理業者の歴史的研究を始めて,イマイチその意図がつかみかねていたのだが,本書を読むとその研究テーマの重要性を理解できる。
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「都市のイメージ」でおなじみのケビン・リンチの遺作です。 「廃棄」という概念に関する世界各地での一般論や、美学的検証をしています。 僕が特に参考になったのが、「都市の廃棄」という考え方です。 日本でよく主張される、都市の間引き、都市をたたむ、という衰退地域の終了方法と考え方は似て...
「都市のイメージ」でおなじみのケビン・リンチの遺作です。 「廃棄」という概念に関する世界各地での一般論や、美学的検証をしています。 僕が特に参考になったのが、「都市の廃棄」という考え方です。 日本でよく主張される、都市の間引き、都市をたたむ、という衰退地域の終了方法と考え方は似ていますが、リンチの場合、「廃棄」が美学的に検証されている分、空間戦略として共感できる部分が多く、興味深かったです。
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