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考える力、やり抜く力 私の方法 の商品レビュー

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2021/09/27

まずは、筆者の略歴です。 中村 修二(Shuji NAKAMURA、なかむら しゅうじ、1954年(昭和29年)5月22日- )は、電子工学を専門とする技術者、研究者。博士(工学)(徳島大学、1994年)。日亜化学工業在籍時の1989年から青色LEDの開発を開始、1993年、世...

まずは、筆者の略歴です。 中村 修二(Shuji NAKAMURA、なかむら しゅうじ、1954年(昭和29年)5月22日- )は、電子工学を専門とする技術者、研究者。博士(工学)(徳島大学、1994年)。日亜化学工業在籍時の1989年から青色LEDの開発を開始、1993年、世界に先駆けて高輝度青色LEDを開発、実用化した高輝度青色発光ダイオードの発明により、赤﨑勇・天野浩とともに2014年のノーベル物理学賞を受賞した。日亜化学との訴訟でも注目を集めた。2000年よりカリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)教授。 科学技術振興機構のERATO中村不均一結晶プロジェクトの研究統括を務めるとともに、大学発ベンチャー「SORAA」も立ち上げた。2005年までは日本国籍を持っていたが、その後アメリカ国籍を取得して日系アメリカ人となっている。中村を中心としたUCSBの研究グループは、2007年に世界発の無極性青紫半導体レーザーを実現している。2014年文化功労者、文化勲章受章。2017年、日本工業大学特別栄誉教授。(ウィキペディア) つまり、2014年にノーベル賞受賞時、彼の国籍は米国だったわけですね。 そして、日本でも騒がれた泥沼の訴訟合戦。 日亜化学工業との訴訟: 2000年12月にアメリカ・ノースカロライナ州東部地区連邦地方裁判所において、日亜化学工業はトレードシークレット(営業秘密)漏洩の疑いで中村を提訴した。裁判終結までの間、中村は米国訴訟におけるディスカバリー制度の対応のため、情報提供や反論の準備にかなりの時間を取られ、研究に支障が生じた。 その後2001年8月23日に、中村が日亜化学工業を提訴。中村は、日亜化学工業に対してツーフローMOCVD(通称404特許と呼ばれる)の特許権譲渡および特許の対価の増額を求めて争った。中村は、「サンタバーバラの自宅や大学の研究室を調べられ、心身ともに疲弊した。裁判を通して続けられる日亜化学の執拗な攻撃をやめさせるために、日本で裁判を起こした」と言う。 日亜化学工業が中村を訴えた米国での訴訟については、2002年10月10日に棄却となる。日本での訴訟では、2004年1月30日に404特許の発明の対価を604億円と認定した上で、その一部として、東京地裁は日亜化学工業に対して中村に200億円を支払うよう命じた。日亜化学工業側は控訴し、2005年1月11日、東京高等裁判所において、404特許を含む全関連特許などの対価などとして、日亜化学工業側が約8億4000万円を中村に支払うことで和解が成立する。 なお、日亜化学工業は同訴訟中に、量産化に不可欠な技術は、若手の研究員が発見した「アニール」技術であり、すでに存在していた平滑なGaNの膜を得るためのツーフローMOCVDは無価値だと述べており、訴訟終了後には特許権を中村に譲渡することなく放棄している。この控訴審において高裁から示された和解勧告に対し、中村は弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べた。(ウィキペディア) 会社にいながら、ほとんど自力で開発にこぎつけたLED技術ですが、会社からは開発予算3億円、米国留学1年という恵まれた境遇だったことも事実です。社内では浮いた存在で、社内での後ろ盾になる上司不在や日頃の言動などから、会社から訴えられることになります。 この経緯は、本書の出版以降の話ですので、こうした事情も知っておくと、また違った読後感になるかもしれませんね。

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2016/09/04

高い成果を出した人の考え方で、参考になる。印象的だったのは、職人的な勘と、規則正しい生活。こだわりの強さがよく分かる。

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2016/02/23

中村さんの半生を振り返りつつ、技術者かつ研究者としてどう生きるかをまとめた一冊。 本の題目にある通り、やり抜くことの大切さ。 そして、製品開発において見るべき視点などとともに積み上げていくことの大切さを学べる内容だった。

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2015/01/27

人生が変わる本に出会えました。 孤独な技術者をとても元気づける本です。 夢も持つことができました。

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2014/12/20

ノーベル賞を受賞した中村修二さんの著書。みんなが発光ダイオード作りのため試していた素材には手をつけず、みんなができないと研究もしていないからこそ、可能性が残されていると考えた素材をひたすら研究し、成功に繋がった。失敗しても決して諦めず、予算がないゆえ自分で試行錯誤で装置を作ったか...

ノーベル賞を受賞した中村修二さんの著書。みんなが発光ダイオード作りのため試していた素材には手をつけず、みんなができないと研究もしていないからこそ、可能性が残されていると考えた素材をひたすら研究し、成功に繋がった。失敗しても決して諦めず、予算がないゆえ自分で試行錯誤で装置を作ったからこそ、職人の域に達して工夫を重ねた。論文や理論から入ると、従来の延長での考え方しかできず、大胆な発想ができない、頭が柔らかい時に好きなこともせず暗記だけの受験勉強に明け暮れる大学受験に警鐘を鳴らし、考えさせられるものがあった。会社から論文や学会発表を禁止されても怯まず、製品を作る指示を受けても無視するような破天荒なところがあるが、とにかく努力の人という感じ。何かを成し遂げた人の言葉は重みがある。

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2014/10/18

この2014年のノーベル物理学賞を取った中村さんの奮闘記である。この本が出たのは2001年。2月に出て、3月にはすでに8刷りが出ている。当時としてはベストセラーであったろう。今回受賞を機に再版されるだろうが、ぼくは早く読みたかったのでアマゾンの古書で買った。内容は、中村さんが徳島...

この2014年のノーベル物理学賞を取った中村さんの奮闘記である。この本が出たのは2001年。2月に出て、3月にはすでに8刷りが出ている。当時としてはベストセラーであったろう。今回受賞を機に再版されるだろうが、ぼくは早く読みたかったのでアマゾンの古書で買った。内容は、中村さんが徳島大の修士を出て、阿南市にある小さな会社に就職した後、なんども失敗しながら青色発光ダイオードと紫色半導体レーザーの開発に成功するまでの奮闘の記録である。この発明をささえたのは、その会社の社長の太っ腹の精神と、中村さんの「こん畜生精神」、ねばり、そして、ドグマにとらわれない、人と同じことはやらないという、研究者としての独創性である。こうした研究は大きな会社ならチームができるが、中村さんはそれを一人でやりあげた。そこで大事なことは、実験装置も手作りで一つ一つつくっていったことである。こういう装置を外注すると時間がかかるし、お金も要る。こうした職人精神が、ノーベル賞級の発明を生み出したのである。中村さんの発明は会社に多額の利益をもたらしたが、中村さんがもらったのはわずか2万円だったそうだ。中村さんは、こうした日本の風土がいやでアメリカの大学へ飛び出していく。本書が出た段階で、中村さんはノーベル賞に一番近い男と呼ばれている。しかし、本当にそれを手にするまでにはさらに14年という歳月を要した。

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2014/11/14

(2003.06.24読了)(2003.04.04購入) (「MARC」データベースより)amazon 20世紀中には絶対無理、と言われた夢の「高輝度青色発光ダイオード」を開発、世界の常識を破った「ナカムラ・マジック」。ノーベル賞に一番近いと評価される男が、夢を実現する人生哲学を...

(2003.06.24読了)(2003.04.04購入) (「MARC」データベースより)amazon 20世紀中には絶対無理、と言われた夢の「高輝度青色発光ダイオード」を開発、世界の常識を破った「ナカムラ・マジック」。ノーベル賞に一番近いと評価される男が、夢を実現する人生哲学を語る。

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2009/10/04

自分が昔勤めていた会社と知的財産権で争い、つい最近、和解した中村さんの本。 中村さんが実用化に成功した、青色発光ダイオードって、どんなものかがよく分かってなかったが、最近の薄くなった信号機で光っている青色のヤツのことだそうだ。 とりあえず、かなりの偏屈オヤジだということは分か...

自分が昔勤めていた会社と知的財産権で争い、つい最近、和解した中村さんの本。 中村さんが実用化に成功した、青色発光ダイオードって、どんなものかがよく分かってなかったが、最近の薄くなった信号機で光っている青色のヤツのことだそうだ。 とりあえず、かなりの偏屈オヤジだということは分かった。ここまで自分を押し通すことができるかどうかは、職種や環境によるところが大きいだろう。たぶんフツーの人にはなかなか難しいだろう。 こんな人生もあるんだぁ、とりあえず感想としてはそんな感じ。

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