1,800円以上の注文で送料無料

脱学校の社会 の商品レビュー

3.7

21件のお客様レビュー

  1. 5つ

    4

  2. 4つ

    9

  3. 3つ

    4

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    2

レビューを投稿

2013/01/26

「貧困者とは、何か重要な点において一般的に考えられている消費の理想的水準に追いつかなくなった人々のことをいうようになった。」(p.16/17) 「貧困者はいつの時代にも社会的に無力だったのであるが、制度的な世話に依存する度合がしだいに高まってくると、彼らの無力さに新しい要素が加わ...

「貧困者とは、何か重要な点において一般的に考えられている消費の理想的水準に追いつかなくなった人々のことをいうようになった。」(p.16/17) 「貧困者はいつの時代にも社会的に無力だったのであるが、制度的な世話に依存する度合がしだいに高まってくると、彼らの無力さに新しい要素が加わった。それは、心理的な不能とか、独力で何とかやりぬく能力を欠くとかいうことである。」(p.17)

Posted byブクログ

2013/01/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「生徒は教授されることと学習されることとを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと取り違えるようになる」  上記のような現象を「学校化」とし、それを批判する書。特に、経済格差によってそれがはなはだしくなると筆者は指摘する。 その対策として、資料の自由利用や学習仲間のコミュニティの提案をする。  訳者のいうようにこれは現実的でないかもしれない。しかし、原点に帰って「学校制度を通じてわれわれは何をしているのか」と、日本の教育を考える上でも大切なことだと思う。  実際今日、国際教養大をはじめ、受験生から人気を集めている新学部形態はこういったもので、的を射ているかもしれない。

Posted byブクログ

2013/01/03

読みにくいが、読み終わったあとの達成感はすごい。“脱学校”と聴くと、学校廃止のようなニュアンスでとらえてしまうが、決してそうではなく“学校化された社会”から脱するコトを指摘している。一度は読むべき。

Posted byブクログ

2012/12/30

学校化された現代社会・現代文化への痛烈な批判。的を得ているように感じる。 「学校教育の自己目的化」という状況は起こっていると思う。学校に行くことが義務であり、学習は教えられないと出来ないと感じる学生のどれだけ多いことか。 一方で、具体例には欠けているように思った。学習者同士の...

学校化された現代社会・現代文化への痛烈な批判。的を得ているように感じる。 「学校教育の自己目的化」という状況は起こっていると思う。学校に行くことが義務であり、学習は教えられないと出来ないと感じる学生のどれだけ多いことか。 一方で、具体例には欠けているように思った。学習者同士のネットワークづくりを補助するシステムをつくれば、学習者が自発的に学習するようになると主張しているようだったが、本当に人々は自発的に学習するものなのだろうか?余暇が与えられたところで、時間の潰し方は他にいくらでもある。 また、解説で述べられている通り、「脱学校化」は学校をまったく無くすことを指しているのではなく、学校制度に毒された社会から脱却することを指す、ということを忘れてはいけない。 本書の原著が出版されたのは1971年と古く、当時のアメリカはスプートニク・ショック、キューバ危機から約10年、ベトナム戦争終結から約5年と、厳しい時代にある。日本と比べた場合の相違点はあまりにも多く、適用できるかと言われると、それは違うのではないの、という論説もところどころあった。 脱学校論を読むのはこれがはじめてだったので、他の本にも当たってみたい。 非常に刺激的な本だった。

Posted byブクログ

2012/08/20

オススメの理由 様々な教育問題がおきている現代社会で、学校の有無を問われるような本なので紹介したいと思いました。 推薦者のページ ⇒

Posted byブクログ

2012/07/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 先日、某有名哲学者・内〇樹氏のブログで気になった記事を見つけた。「大学統廃合について(久しぶりに)」と題された記事で、おおよそ次のような主張だ。  今、財界・政界からは「大学が増えすぎたせいで学生の質が低下している」という声が上がっている。国の予算配分にメリハリをつけて大学の統廃合を進めよ、と。だが大学の数が減って得をするのは誰か。他でもない、低学歴労働力を安価に雇用できる財界ではないか。たしかに大学の数が増えて学生の質が落ちたのは事実だ。しかし、それは「大学が増えすぎて日本の若者の知的な質が下がった」ということとは違う。大学が増えたことによって、日本の若者たちの高等教育を受けるチャンスは明らかに増え、全体の学力は(わずかなりとはいえ)底上げされたのだ、と。  この人はよく根拠があやふやなまま議論を進めるところがあるが、今回も然りで「大学が増えて若者全体の学力は向上した」という主張の根拠は示されていない。おそらく根拠なんてないんだろうし、仮に大学入学後に若者の「学力」がいかに向上したかなんて統計があったとしても、「知性」(これは「学力」とイコールではない)そのものが本来数値化できる代物ではないんだから、どこまでも眉唾ものだ。  このように無邪気に学校の効用を語ってしまう〇田樹氏とは反対に、本書は学校なる装置がむしろ生徒の知力育成を「阻害」しているということを、執拗に主張している。そもそも、本当に知識や技能を得たいと思う人は、学校がパッケージ(カリキュラム)にして供給する教育商品には頼らずに、自分なりの学びの仕方で身につけていくものだ。たとえば外国語ひとつをとっても、学校の語学授業で習得できたと自信満々に言える人は果たしてどれだけいることか。外国語を身につけるには、家庭環境、あるいは留学先の友人や恋人との触れ合いなど、学校外での経験を通じた方がはるかに効率的なのは、多分誰も否定しないだろう。  しかし学校は、こうした学校外の経験を知力の形成要件として認めない。というより、あくまで学校自身が提供する教育商品を経由したものでなければ、これらの経験を生徒の知力として承認しない(できない)。卒業証書とはいわば、当該生徒がこうした学校のカリキュラムを通過したことで望ましい技能・知識を身につけていると保証する免状だが、こうした「教育の学校化」によって「教えられること」が「学ぶこと」と混同され、免状を得ることが能力を得ることと混同される。その結果、より長く学校に通っている者に対して人はあらぬ劣等感を抱かざるをえない。私たちが身につける知識・技能の大半は、学校の外で習得されるというのに。これが、著者のいう「想像力の学校化」という事態である。  してみれば、内田〇氏の「大学は若者の学力向上に貢献している」という主張は根拠がないどころか、「学校化された想像力」の賜物であるようだ。そこにはどうも、学歴が高ければ高いほど人の知力・技能は高まるのだ、という発想が見え隠れする。ただ、それも理解できないわけではない。大学が潰れて真っ先に阿鼻叫喚が起こるのは、若者ではなく大学関係者なのだから、その(元)一員たる氏の立場からすれば、多かれ少なかれこんな主張になってしまうんだろうな。

Posted byブクログ

2011/04/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

社会や文明全体が「制度化」していくことを批判し、各人のうちにある様々な、いうなれば「動力」「エネルギー」を再生させるための提言を行っている。昨今言われる『教師の専門性の向上・専門職的地位の向上』とは一見真逆にも思える主張も入っている。ただし、自分としてはやはりこのイリイチの主張は生涯大切にしておきたいものではある。教育に携わる職にある程度の専門性が認められた後に出てくる、そうした職への依存の問題を見据えようとしたとき、この書が再びヒントを与えてくれることは間違いない。

Posted byブクログ

2010/06/20

[ 内容 ] 現行の学校制度は、学歴偏重社会を生み、いまや社会全体が学校化されるに至っている。 公教育の荒廃を根本から見つめなおし、人間的なみずみずしい作用を社会に及ぼす真の自主的な教育の在り方を問い直した問題の書。 [ 目次 ] [ POP ] [ おすすめ度 ] ...

[ 内容 ] 現行の学校制度は、学歴偏重社会を生み、いまや社会全体が学校化されるに至っている。 公教育の荒廃を根本から見つめなおし、人間的なみずみずしい作用を社会に及ぼす真の自主的な教育の在り方を問い直した問題の書。 [ 目次 ] [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

Posted byブクログ

2010/05/17

学校という制度を中心として、文明社会に生きる人間の自立的な能力がいかに衰退してしまうかを解明しようと試みる著作。(もちろん原著が書かれた1970年という時代背景も考慮に入れるべきだ) この本を「今更、学校制度はなくせない」「現実的ではない」と一蹴してしまうなら、それは甚だ誤った...

学校という制度を中心として、文明社会に生きる人間の自立的な能力がいかに衰退してしまうかを解明しようと試みる著作。(もちろん原著が書かれた1970年という時代背景も考慮に入れるべきだ) この本を「今更、学校制度はなくせない」「現実的ではない」と一蹴してしまうなら、それは甚だ誤った読み方だと思う。 先入観なく読み込めば、著者の真の主張は“学校制度”批判ということでは決してなく、産業社会の発展に基づく“価値の制度化”批判だということは容易に読み取れるし、事実著者もそう述べている。 既存の制度に対して、常に一定の距離をおいて見つめる精神を学べると思う。

Posted byブクログ

2009/10/04

卒論時に読了。 学校絶対視から離れる点で良書ですが、主張自体は日本で受け入れられることはありえないでしょう。現実離れをしすぎています。

Posted byブクログ