文禄・慶長の役 の商品レビュー
中学・高校の日本史では朝鮮出兵という名称でサラリと習った戦争。朝鮮南部で多少戦闘したくらいと思い込んでいたが、戦役序盤に連戦連勝で漢城陥落どころか平壌まで攻め入る、加藤清正においては女真族と戦いに北上したとは知らなかった。100年続いた戦国時代で武士団が戦争に慣れている、世界一の...
中学・高校の日本史では朝鮮出兵という名称でサラリと習った戦争。朝鮮南部で多少戦闘したくらいと思い込んでいたが、戦役序盤に連戦連勝で漢城陥落どころか平壌まで攻め入る、加藤清正においては女真族と戦いに北上したとは知らなかった。100年続いた戦国時代で武士団が戦争に慣れている、世界一の鉄砲を持っているなど日本軍の強さもあるが、序盤の朝鮮の弱さは危機管理の欠如と悪政により人心が離れていた事が要因であろう。最近は耳にしないが「秀吉の侵略で朝鮮の古文書が喪失した」という話も日本に責任転嫁しているだけだと思っていたが、民衆が都城を襲って略奪した事実から少なくともトリガー弾いたのは秀吉であろう。圧倒的な兵員数の明軍に少数で勝利した泗川の戦いなどは単純にエモい。
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秀吉による対外戦争について、その起こりから戦後処理までの経過を主に日本側の視点から丹念に追跡した内容。諸将の動静、政治情勢との関連、国内外にもたらした影響など、戦乱の全体像が分かりやすい。
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豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争の歴史。16世紀末に日本を統一した豊臣秀吉が、中国の唐、明の征服を目指して起こした戦争。 佐賀の名護屋城を見学したのがきっかけで、もう少し知りたくなって読んでみた。表向きは朝鮮との戦争になっているが、秀吉の本当の目的は明の征服であり、朝鮮はその通路を確...
豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争の歴史。16世紀末に日本を統一した豊臣秀吉が、中国の唐、明の征服を目指して起こした戦争。 佐賀の名護屋城を見学したのがきっかけで、もう少し知りたくなって読んでみた。表向きは朝鮮との戦争になっているが、秀吉の本当の目的は明の征服であり、朝鮮はその通路を確保するために必要なルートだった。 事前の使節との交渉で秀吉に大きな誤解があり(朝鮮が秀吉に服従したと考えていた)、それが戦争に繋がってしまった。 日本軍は名護屋城に集結し、朝鮮半島に渡り連戦連勝で奥深くまで進撃したが(加藤清正は北朝鮮まで進撃した)、明の参戦と共に押し戻されて撤退するが、講和が進まず再度戦争になる。 結局、秀吉の死でこの戦役は終了となる。 10年以上にわたる戦役だが、日本での認識は薄い。学校では、歴史年表で年号を覚える程度で、ほとんど学習することはない。日本にとっては汚点と言うべき戦争だが、それを知らずに朝鮮のことを語っていた自分が恥ずかしくなった。 捕虜となった朝鮮人たちは人身売買され、日本に連れて来られ奴隷として使われたらしい。彼らには 忘れられない屈辱の歴史がある。戦争は勝ち負けだけが問題ではない。そこで何をしたかが問題なのだ。日本には学校で教えない歴史がまだまだあると思う。自分で歴史を掘り起こして学ぶしかない。
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結局、何故秀吉がこの無謀な戦争を初めたのかよくわからん。年取ってボケてたって話(単なる伝説か)もあるが、計画自体は北条攻めより前の九州制圧くらいにはあったようだし、ちょっとそれは違うだろう。戦争のそれぞれの局面でとった戦略はかなり的を射たものだったし。 著者は、元々信長が持ってい...
結局、何故秀吉がこの無謀な戦争を初めたのかよくわからん。年取ってボケてたって話(単なる伝説か)もあるが、計画自体は北条攻めより前の九州制圧くらいにはあったようだし、ちょっとそれは違うだろう。戦争のそれぞれの局面でとった戦略はかなり的を射たものだったし。 著者は、元々信長が持っていた構想を秀吉が引き継いだという説を述べているけど、それもすぐには信じがたい。物凄い労力を払って明の内陸部まで制圧するよりも、南蛮貿易の拠点になるような港湾を占領していくほうがよっぽどオイシイと思うんだが。 戦術的には、鉄砲を大量に導入した日本が、明・朝鮮に対して圧倒的な強さを見せていることがわかる。ただ、補給線の脆弱さと大局での戦略の欠如により、どんどん守勢に追い込まれる感じ、って50年ちょっと前にあったような話だなぁ。
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戦闘だけではなく、現地での両班と民衆の離反を狙った施策や、小西と明との外交交渉、戦争後の顛末など、あまりよく知らなかった内容が盛り込まれていて参考になった
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