アメリカ下層教育現場 の商品レビュー
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読書の醍醐味の一つである、全く想像のつかない世界を仮想体験させてもらえる良書。著者の半生、アメリカでの体験と本書での体験、訴えたい事がきれいに一本の線となっていることで読みやすくかつ説得力のある文章に仕上がっている。日本もすでに同様の状況に陥っているわけだが、果たして日本人はアメ...
読書の醍醐味の一つである、全く想像のつかない世界を仮想体験させてもらえる良書。著者の半生、アメリカでの体験と本書での体験、訴えたい事がきれいに一本の線となっていることで読みやすくかつ説得力のある文章に仕上がっている。日本もすでに同様の状況に陥っているわけだが、果たして日本人はアメリカ人のように草の根運動を100年以上続けて社会を良くしていくという希望を持つことができるだろうか。
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アメリカ在住のノンフィクションライターであった著者が期せずしてチャーター・スクールの教壇に立つことになった。前任者が1ヵ月で匙を投げるほどの市内一学力が低く“荒れた”子供たちを相手にした教育現場の生の姿を綴ったルポルタージュ。 授業が始まったにも関わらず、音楽を聞く、ゲームでは...
アメリカ在住のノンフィクションライターであった著者が期せずしてチャーター・スクールの教壇に立つことになった。前任者が1ヵ月で匙を投げるほどの市内一学力が低く“荒れた”子供たちを相手にした教育現場の生の姿を綴ったルポルタージュ。 授業が始まったにも関わらず、音楽を聞く、ゲームではしゃぐ、眠りから覚めない等、学ぶ姿勢を取らないあまりのレベルの低さに、教師生活初日から洗礼を受けます。苦悩しながらも少しづつ生徒たちと向き合い、奮闘する著者。同時に生徒を知れば知るほど、その背景には家庭崩壊や貧困など、彼らだけの力ではどうすることもできない現実が浮き彫りになってきます。劣悪な環境から脱するためには、学ぶこと、夢を持つこと、強く生きることを著者は自身の経験から、そして教師として、彼らに強く、繰り返し訴えていきます。 この体験記を通して、読み手にはアメリカ下層教育の現状がストレートに伝わってきます。現実は明るいものばかりではありませんが、もがき続ける生徒たちにとって自身と真摯に向き合ってくれた大人の存在は、今後の人生の糧と成りうるように思います。
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA84475332
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ぇー、なんかめっちゃ読みやすかった。 新書って、難しくて読むのに時間がかかるイメージがあったんですが(笑)、これはさくっと読めたなー。 ていうか、すごい生の体験記だったので面白かった。 exciting storyっていう感じ。 アメリカの差別感、そして何より不平等の現れ方がこ...
ぇー、なんかめっちゃ読みやすかった。 新書って、難しくて読むのに時間がかかるイメージがあったんですが(笑)、これはさくっと読めたなー。 ていうか、すごい生の体験記だったので面白かった。 exciting storyっていう感じ。 アメリカの差別感、そして何より不平等の現れ方がこれまでとは。と思わされる本。日本は、なんて平和なんだ。どんなに学校が荒れようと、ここまでいかないっしょ。どっちかって言うと、日本の荒れ方は、ただの甘え。そんな感じすらする。(もちろん、個々で見ればいろいろなケースがあるのは理解していますが、全体として見て、の話です。) 正直、こんなアメリカの学校で教壇に立てる気がしないような。怖いような。自分なんかの人生経験では、良い先生になれないんだろうな。筆者だからこそできたのであろう。そんなことを思ってしまった。
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アメリカ在住の日本人ノンフィクションライターである著者は、恩師に頼み込まれ、ハイスクールで教鞭をとることになった。担当科目は「日本文化」。ところが、学級は始める前から「崩壊」していた……。 黒人ボクサーの光と影を描き、同時にアメリカ社会におけるマイノリティの生き様を浮き彫りに...
アメリカ在住の日本人ノンフィクションライターである著者は、恩師に頼み込まれ、ハイスクールで教鞭をとることになった。担当科目は「日本文化」。ところが、学級は始める前から「崩壊」していた……。 黒人ボクサーの光と影を描き、同時にアメリカ社会におけるマイノリティの生き様を浮き彫りにした秀逸なノンフィクション『マイノリティーの拳』。その著者・林壮一がネヴァダ州・リノの底辺校で教鞭をとった4か月(+その後)を描いたのが、本書。 荒廃する公立校への対策として、1クラス20人程度の少人数にして、より深い絆をつくろうとはじまった「チャータースクール」。しかし、〈10年以上が経過した今、チャータースクールは一般の公立校より水準が低く、劣等生の集団に過ぎないのが現状だ〉。日本のアニメやゲームがアメリカの若者に絶大な人気を誇るようになった今日、生徒が関心のある科目で学習意欲を高めようということで、免状もない著者におはちが回ってきたというわけだ。 初日の授業から、授業中にUNOをやる女子、ハッキー・サック(小さな布の玉を地面に落とさないようにけり合う遊び)に夢中の男子5名、MP3プレイヤーを取り出すやら、クラスメイトの髪をとかすやら、黙って教室を出て行くやら……というカオスに愕然とする著者。プロボクサーライセンスを取得した過去がある著者、まさに体当たりで、なんとかひとりひとりを授業にひきつけていく悪戦苦闘ぶりが描かれる。 生徒たちがもちろん好きでこんな底辺校に流れ着いているわけではない。移民で英語が不自由だったり、親が片方しかいないうえに放任だったり……つまりは格差社会の行き着く先として、この学校があるのだ。これがアメリカの現実であり、そしてこの先、日本が直面する現実であるかもしれない。 目の前にあるのは厳しい現実だが、ある種の希望を持ってこの本は描かれている。アメリカにも能力と熱意のある教師はいるし、ボランティアとして若者を助ける大人たちもいる。アメリカの懐の深さを感じるところでもある。 『マイノリティーの拳』はもちろんだが、『プリズン・ボーイズ―奇跡の作文教室』(マーク・サルツマン/築地書館)と合わせて読むと、なおさら味わいが深くなるかも。
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格差、貧困、崩壊家庭 これは日本の将来の姿か? ― http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334034337
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筆者はアメリカに住む日本人ライター。 ちょうど会社を辞めて収入もなく途方に暮れていたとき、 リノ地区にあるいわゆる″最底辺学校”の臨時高校教員を以来される。 「日本文化」のクラスに集まった生徒たちの集中力は、ものの5分ともたない。UNOを始めたり、八ッキーサックを楽しんだり、...
筆者はアメリカに住む日本人ライター。 ちょうど会社を辞めて収入もなく途方に暮れていたとき、 リノ地区にあるいわゆる″最底辺学校”の臨時高校教員を以来される。 「日本文化」のクラスに集まった生徒たちの集中力は、ものの5分ともたない。UNOを始めたり、八ッキーサックを楽しんだり、トイレに行ったきり戻ってこない生徒もざらにいる。 そんな生徒たちを目の前にして奮闘する彼の姿に共感しながらも、家庭的環境に恵まれない子どもたちをなかなか責めることもできない。 将来に希望がない。やる気がない。単位さえ取れればいい。 そりゃ、そう思って当然だよね。 生徒の親のほとんどはシングルで、理由は離婚から犯罪から病気から多岐にわたる。 まず勉強するより、今日食べるものを買うために働かなきゃならない。 家にも町にも居場所がない。 社会の階層を越えてホワイトカラーの職に就くなど、夢のまた夢。 そんな非現実的なことのために勉強するくらいなら、今日働いて遊んで生きていく方が現実的かもしれない。 そして、彼らが社会に出て自分たちの無知さを思い知ったときに、彼らにセカンド・チャンスを与えられる者はいない。 それが今のアメリカ社会。 ソーイチセンセイの授業のなかで、だんだんと心を開いていく生徒の言葉一つ一つに隠された影のあまりの深さに、何もしてやれないという先生の無力感が痛いほど伝わってくる。 もともと子どもに何の罪もないのだけど、 産まれてくる家は選べない。 産まれた家庭によって、既に将来の階層まで決まってしまっているというのが現実でもある。 先生の考えや授業に疑問を抱く点は多々あるものの、 素直で優しい生徒たちの姿が見えれば見えるほど、悲しくなる。 先生が学校をやめるとき、何とかお礼をしようと「先生が家族と寿司を食べにいくのなら、その食事代を俺が払うよ」なんて言い出てきた奴。かわいかった・・・・ 社会的階層がこれほど顕著に表れている社会における 最底辺の学校の実情が垣間見える本。 【以下メモ】 p148 「一方で、チャーター・スクールで悶々とする日々を送った生徒たちは、社会に出て初めて自らの無知を思い知らされるのだ。学を得たいという気持ちになっても、食っていくためには日銭が必要だ。だから大抵の場合、再び学問をやり直すこともできず、社会の底辺で踠くほかない。 チャーター・スクールの学生たちは、「根はいい子」が多い。が、教師も、社会も、彼らを再生させる術を持たないのだ。今後も、教育の差はますます広がっていくであろう。」 p174 「生きるためには、学業どころではない。明日の朝食のパンを買うには、今、働かなければならない。 10代にして、そんな現実を受け入れねばならない彼らに対して、私は為す術がなかった。こうした生徒は間違いなく、シングル・ペアレントと暮らしていた。子供が労働せざるを得ないのだから、親をもっと逼迫した状況に追い込まれている筈である。心の底では、子供に教育を授けてやりたいが、どうにもならない。そして若者は若者で、学問よりも目先の楽しさのみを覚えてしまう例も少なくない。」 →最近はシングルファザー・マザーも増えつつあるし、特に特別な話ではない。シングルだからといって愛情が足りないなんて言えない。けれど、そのぶん子どもを気にかけることが大切だということ。 p197 「「中流家庭に育つ子供には、音楽のレッスンやアスレティック・クラブ、サマー・キャンプなど学校外のプログラムがあり、大人から正しい言葉で社会性を学ぶことができます。でも、崩壊家庭、貧困家庭の子供にはチャンスが無いのです。こうして、どんどん差が出てしまいます」」 →義務教育の段階で私立公立で生徒が分けられる。もうそこから、身に着けるもの、ふるまい、言葉や態度・考え方に階層差が産まれてくる。 p258 「家族の団欒を経験せずに育った子供は、自身が成人しても「家庭」や「親子の絆」の意味を把握しないまま生きるという。親になる責任感、倫理観を身に付けられないのだ。 めんたーリングの専門家たちは、幼児期に虐待されて育った人間は、自分の子供にも同じように接するを口を揃える。正しく輪廻である。アメリカ合衆国において、崩壊家庭や未婚の母、日本で言うところの新生児の数が減らないのは、このような背景に起因する。」 →まえ読んだ精神科医の本でも同じこと言ってた。虐待されて育てられた子どもは、その虐待自体を親の愛情であると理解しようとするため、自分の子どもへの愛情表現もそういった形でしかできない傾向がある。輪廻。貧困の世代的再生産。
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アメリカのチャータースクール(下層高校)で教鞭を取ることになったライターが、引き受けてから去り、別の現場で別のボランティアをする話。 教育の専門家どころか教育関係者ですらない筆者が、アメリカの教育現場で体験したことの記録。 アメリカと言えど、日本とさして変わりない状況であるよ...
アメリカのチャータースクール(下層高校)で教鞭を取ることになったライターが、引き受けてから去り、別の現場で別のボランティアをする話。 教育の専門家どころか教育関係者ですらない筆者が、アメリカの教育現場で体験したことの記録。 アメリカと言えど、日本とさして変わりない状況であるようだった。 僕が今まで見てきた日本の定時制高校と大きな違いは無い。 そういうタイプの現実があるということを知らない人は、カタリバの定時制高校企画に行ってみるか、この本を読んでみるかをオススメする。
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公立学校とは別枠で作られたチャータースクール。自治体設置で、民間運営の契約に基づいた、手作り、オリジナルな学校作りができるものなんだが、超エリート校、黒人締め出し校から、最低層の学校まで、その様子はピンきりなんだけど、この本では、その一番最低レベルの学校の中で、さらに足きりが行わ...
公立学校とは別枠で作られたチャータースクール。自治体設置で、民間運営の契約に基づいた、手作り、オリジナルな学校作りができるものなんだが、超エリート校、黒人締め出し校から、最低層の学校まで、その様子はピンきりなんだけど、この本では、その一番最低レベルの学校の中で、さらに足きりが行われている現実を、非常勤身分で教師体験をした、スポーツジャーナリストのできュメントで報告。生々しい、ちよっとほろ苦いレポート。
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