偽りの明治維新 の商品レビュー
感慨深い
明治維新は”歴史は勝者が想像する”といったことが行われた象徴的な事件だと感じています。現在の財閥の出発点を見れば明治維新の時に関東のものを略奪して成り上がった輩であることはよくわかりますし、信義を悪者扱いにされた会津藩の無念は地元の出身でなくても感じます。
tomo
合図戊辰戦争に空いて、会津藩士の立場から描いた一冊。 会津藩士が戊辰戦争で負けたことは当然知ってたが、その後の苦難の歴史については知らなかったので、勉強になった。
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大河ドラマ「八重の桜」がきっかけで、今まで史実として聞いたことしかなかった会津戊辰戦争や白虎隊について少し興味を持って読みました。 「勝てば官軍」「歴史は勝者が書き換える」ことによる偏った歴史認識の怖さをあたらめて感じることができました。 教育の重要性と教育者の公平、客観的な...
大河ドラマ「八重の桜」がきっかけで、今まで史実として聞いたことしかなかった会津戊辰戦争や白虎隊について少し興味を持って読みました。 「勝てば官軍」「歴史は勝者が書き換える」ことによる偏った歴史認識の怖さをあたらめて感じることができました。 教育の重要性と教育者の公平、客観的な考え方に立った教育方針の重要性を強く感じます。 考え方の多様性と、それを享受する社会の成熟を願ってます。
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敗者から見た会津戦争。薩長の残虐非道は想像以上。現代まで、会津と薩長の怨念は続いているとか。でも、8割ぐらいは普通の歴史解説で2割ぐらいが裏話。内容的には目新しいものはあまりなかったかな。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
賊軍とされた側からの明治維新。 「勝てば官軍、負ければ賊軍」という人類が繰り返してきた暗黙の掟が残酷なまでに会津に降りかかる。 会津の人々のたくましさには驚嘆せずにはいられません。 読んで良かったです。 しかし 最終章の最後数頁と、あとがきでの体験談は非常に不愉快極まりないものがあります。 結果的に会津の立派な精神等の感動が薄れてしまい、 会津と現在の日本のお隣の国が同じにうつりました。
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タイトルにある「偽り」とは一体何をもって「偽り」と言うのか?と言う最大の疑問は溶けないまま、まぁ著者の他の本に書かれている内容を基本的に踏襲。ただ単に会津礼賛ではなく、籠城前に逃げた武士も大勢いた点に言及するなどの点は評価できる。ただし、薩長の分捕り、強奪などの悪行をメインに取り...
タイトルにある「偽り」とは一体何をもって「偽り」と言うのか?と言う最大の疑問は溶けないまま、まぁ著者の他の本に書かれている内容を基本的に踏襲。ただ単に会津礼賛ではなく、籠城前に逃げた武士も大勢いた点に言及するなどの点は評価できる。ただし、薩長の分捕り、強奪などの悪行をメインに取り上げてしまうと、そっちに目が行ってしまい他藩(会津も含めて)も似たようなことはやっていたのではないかとも考えるのが妥当。官軍/賊軍という視点から離れていない点が残念。元々長州の会津憎しの喧嘩から始まったと考えれば、ある程度は納得できる(善し悪しば別次元として)。
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普通に何回も泣いた。半分くらいまでは幕末から明治維新にかけての歴史の流れがわかりやすくて、高校生が読んだら教科書に出てくる人物がすごく覚えやすいと思う。そしてその先もぜひ読んでもらいたい。
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八重の桜を見ていて、幕末の事に興味が湧いて手にとった本。 学生時代歴史が苦手だったから、幕末に登場した人々のこと、ちゃんと知らなかったとよーく分かった。
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kitanoの歴史観通りの本です 会津戊辰戦争で官軍に蹂躙された東北人も 心鎮められればよろしいのですが・・・
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自分は会津の家系なので薩長、特に長州憎しの感情の高ぶりのままレビューを書いている。なので長州の方が読むと気分を害されることをあらかじめお断りしておく。 この本は鶴ヶ城落城後に会津藩が舐めた辛酸を中心に綴り、いかに新政府軍が人にあるまじき残虐行為をしたかを明らかにしている。 ...
自分は会津の家系なので薩長、特に長州憎しの感情の高ぶりのままレビューを書いている。なので長州の方が読むと気分を害されることをあらかじめお断りしておく。 この本は鶴ヶ城落城後に会津藩が舐めた辛酸を中心に綴り、いかに新政府軍が人にあるまじき残虐行為をしたかを明らかにしている。 城下の戦いでは略奪を欲しいままにし、婦女を暴行したあげく惨殺し、戦闘で死んだ者の埋葬を禁止し、腐敗するまま、カラスに啄ばまれるままにした。酷いの一言に尽きる。もともと士分ではないものが新政府軍には参戦しているから横暴に歯止めが効かなかったこともあろうが、それでも首脳陣がそれを許容したからこんな非道がまかり通ったのだ。 会津藩はその後、斗南の地へ流される。現在の青森県だが、当時はまったくの不毛の地で米もろくに採れず、病死者、餓死者が続出する。そのまま藩ごと消滅してしまえと考えていたとしか思えない。これを指示したのは長州の木戸孝允だ。 そもそも恭順を示していた会津に無理難題を押し付けたのも長州だ。孝明天皇の御所に発砲して朝敵と名指しされたのも長州。岩倉具視と謀って孝明天皇を毒殺したのも長州。倒幕の密勅を偽造したのも長州。やくざと同じ。いいがかりをつけ、意に添わなければ排除する。 いくら京都で攘夷派の志士を殺された恨み、禁門の変で敗北した恨みがあったとしても、それは自らが撒いた種だ。会津は勅命と幕命に従ったまでで、報復はお門違いだ。長州の悪行はけして許せるものではない。 会津は賊軍ではない。賊は長州だ。これだけははっきりしている。 会津藩主・松平容保が死ぬまで大事にした孝明天皇の御宸翰が厳然たる証拠だ。 これはぜひ教科書に載せたい。 またこの本では一橋慶喜という臆病で卑怯者を断罪している。 維新というが、別に長州と薩摩が主導でなく幕府主導でも、それなりの開国になったはずだといつも思う(でも廃藩置県と国民皆兵は長州じゃなきゃできなかったと認める)たまたま慶喜という暗愚な将軍が立ってしまったから、迷走したが、こんな小者でなければ、幕府が勝つことも十分あった。江戸も勝じゃなくて小栗に任せるべきだった。慶喜を英邁な君主とする説を唱える学者もいるが、何を曲解したらそんなことになるのか。ほんとに馬鹿じゃないだろうか。そんな説は抹殺したい。 牙を抜かれ冠も奪われた会津藩は、臥薪嘗胆の思いで武力以外のところで奮励努力し大成する人が多くなった。とくに教育界での大成が目立つ。 長州は「国」をつくったかもしれないが、会津も「人」をつくった。 会津は誇りを失わない。
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