こころの王国 の商品レビュー
小説風のノンフィクション、もとは2002-2003年「文學界」連載。主人公は、菊池寛の秘書で(プラトニックな)愛人でもあった佐藤碧子。彼女から見た菊池寛を描いている。佐藤碧子の著書『人間・菊池寛』を屋台骨に、菊池寛『半自叙伝』中のエピソードも採り込んでいる。90歳近い碧子本人にも...
小説風のノンフィクション、もとは2002-2003年「文學界」連載。主人公は、菊池寛の秘書で(プラトニックな)愛人でもあった佐藤碧子。彼女から見た菊池寛を描いている。佐藤碧子の著書『人間・菊池寛』を屋台骨に、菊池寛『半自叙伝』中のエピソードも採り込んでいる。90歳近い碧子本人にも取材。ただ、フィクショナルな部分が少ない分、深みが足りないような印象。 佐藤碧子は著書では小説風に自分のことを「みどり」と3人称で書いているのに対し、猪瀬のほうは「わたし」と1人称で、碧子になりきって書いている。この逆転が可笑しい。 巻末の猪瀬vs.井上ひさしの対談が読ませる(これは文庫版のみの特典)。井上ひさしは『菊池寛の仕事』などを著しているのに、猪瀬をたて、そのことをあまり前面に出していない。奥ゆかしいというべきか。 副題は「菊池寛と文藝春秋の誕生」。でも、文藝春秋の誕生のことはほとんど書いていない。私がタイトルをつけるなら、「菊池寛とわたし」かな。
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昭和五年ごろから、数年間の文春社と菊池寛の様子を描いた小説。 何より驚いたのは、菊池の秘書となった女性の一人称で描かれた小説だということ。 猪瀬さんの小説というより、何か菊池寛の女性誌に連載した小説を読んでいるかのようだった。 佐藤碧子さんというモデルに何度も取材しての創作である...
昭和五年ごろから、数年間の文春社と菊池寛の様子を描いた小説。 何より驚いたのは、菊池の秘書となった女性の一人称で描かれた小説だということ。 猪瀬さんの小説というより、何か菊池寛の女性誌に連載した小説を読んでいるかのようだった。 佐藤碧子さんというモデルに何度も取材しての創作であるらしい。 だからか、途中、モダン東京グルメ食べ歩き小説かと思った。 菊池は、一高ー東京帝大ー漱石山房という、大正文学のメインストリームから外れてしまったゆえに、その後の大正純文学の閉塞から抜け出ることができた。 漱石からも、京都で、上田敏からも引き立てられることはなかったけれど、アイルランド文学に触れ、当時の日本の外地と内地の格差、京都と東京の格差に気づき、批判精神を持つことができた、というのが、本書の菊池寛への評価である。 漱石の傑作の一つといわれる「こころ」。 それを菊池は好まず、初期の自分の単行本に『心の王国』と名付け、相対化しようとした。 すごく刺激的なアイディアだと思う。 主人公と一緒に、菊池の青年時代について謎解きをする馬海松という人も実在する人なのだろうか? ちょっと気になる。
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菊池寛の秘書という立ち場の女性の一人称で綴る、「先生(菊池寛)」と「わたし」 「わたし」は秘書であり、毎日、帰りに先生と食事を共にする愛人のようなものでもある。 そこへ、韓流イケメンの馬海松が絡んで… 先生の内面を知りたくて、過去の作品や関連する文献をひもとく「わたし」 その姿に嫉妬を覚えながらも、自分も菊池を尊敬する者として、彼女に助言をし、資料を与え、時に自らも語る、馬(マー)青年。 二人によって、菊池寛の人となりや、その精神を形作った来し方が解き明かされて行く。 文学者を語る本なのだが、昭和モダンの時代の空気や、偉大な上司と外国人のインテリ美青年の間で揺れ動く乙女心が生き生きと描写されていて、娯楽小説としても楽しく読めてしまう。 むしろ巻末の対談の方が、会話が専門家向けでむずかしかった。 今までよく知らなかった菊池寛だったが、つまり、私のような一般人が、こうして読書を楽しんでいる… そういう土壌を作り出すために、昭和の時代に奔走してくれた、文学者であり、経営者であり、マスコミのリーダーであった人、ということでいいのだろうか。 具体的には、当時はインテリ青年たちが偉い先生のもとに集って狭いサロンを形成し、その中で大事にこねくり回すのが「文学」だったわけだが、菊池はそれの形を捨てた。 雑誌の価格を下げ、発行部数を伸ばし、若い作家が筆で食べて行ける環境も整えた。 著作権の保護制度も整える。 市場をリサーチし、読者や時代の興味が向く先をとらえ、働く人たちが息抜きで読める本も多く世に出す。 文学を、一部のインテリから大衆に解放したのだ。 もちろん、品格を下げたという攻撃もあっただろう。 「生活第一、芸術第二」の発言も、むしろ挑発的ではあるが。 しかし、私の中の菊池寛像は、お腹ぽっこり、困っている人を見るとすぐにシワくちゃのお札を握らせる、なんだかかわいいオジさん…そんな感じになった。
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副題に”菊池寛と文藝春秋の誕生”とあります。 菊池寛は小説家ですが、これを読むと芥川賞や直木賞を創設した文藝春秋社という出版業を始めた社長の顔や私生活の部分など人間くささが前面に出ていて愛すべき人と成りがよく分かります。 「わたし」という菊池寛の秘書的な役目をしていた 若い女性...
副題に”菊池寛と文藝春秋の誕生”とあります。 菊池寛は小説家ですが、これを読むと芥川賞や直木賞を創設した文藝春秋社という出版業を始めた社長の顔や私生活の部分など人間くささが前面に出ていて愛すべき人と成りがよく分かります。 「わたし」という菊池寛の秘書的な役目をしていた 若い女性の眼を通して「先生」の姿、内面が語られます。 先生と雑誌「モダン日本」の編集者の朝鮮人の 青年との三角関係も底流にあります。 昭和初期の頃のお話なので、その頃のモダンな世相が登場します。また文壇の小説家の力関係や菊池寛が何故夏目漱石が好きでなかったのかが次第に明かされます。 漱石の「こころ」の世界とは異なる、”心の王国” すなわち自由奔放で解放感に溢れた世界を作りあげようとしたのだという作者の仮設がこの物語の根幹を成しています。次第に戦争に向かってゆく日本の国の行方が背景にあるだけに痛ましい気持ちになりました。 戦後間もなく、夫と3人の子供と静かに暮らす ”私”が先生の訃報を耳にした時の様子は 目の前に浮かぶような光景で印象に残ります。 巻末に猪瀬直樹と井上ひさし、またこれとは別に 久世光彦との対談も載っているので、この小説が よく理解出来るようになっています。
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女性一人称で入るのちとつらかった。 序盤食べ歩きの描写が多く、腹が減る。 どんなに賑々しくても、人は淋しいものだという、楽観論。 巻末に解説の代わりに対談二つ。
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大正の終わりから昭和のはじめ頃の菊地寛と文芸春秋社にまつわる物語なのだが、時代の雰囲気があまり感じられないし、菊地寛への洞察も弱い。評伝にも成りえていないし、小説としても退屈であった。
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センシティヴすぎる。だがね、作家はすべからくセンシティヴであるべきです。センシティヴでありながらも、強い。これが作家の条件だよ。 芸術的価値は表現力です。ただし表現力があっても、内容的価値がなければ仕方がない。表現力がなくても芸術的価値があるように見える類似の作品もあります。内容...
センシティヴすぎる。だがね、作家はすべからくセンシティヴであるべきです。センシティヴでありながらも、強い。これが作家の条件だよ。 芸術的価値は表現力です。ただし表現力があっても、内容的価値がなければ仕方がない。表現力がなくても芸術的価値があるように見える類似の作品もあります。内容的価値というのは、便宜的な言葉で、われわれの生活そのものに、響いてくる力として、生活的価値と言ってもよい。 文芸春秋という雑誌は、芸術的価値だけでなく、内容的価値、生活的価値をも等しく同じ世界に共存させてみたのではないのかな。
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「ピカレスク」「マガジン青春譜」が面白かったので読んだ。が、語り口が、菊池寛の秘書の女性で、一人称。この人の目からみた世界で読んでしまい、あまり入り込めなかった。
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