やみくも の商品レビュー
翻訳というワンクッションおいた形で文章を綴っている人の文章だからかな。走り過ぎない、ちょっと距離感のある、抑制の効いたものを感じる。
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そうなのだ、出先で本を読んでいて何か気になってひっかかり、付箋を持っていないことに気付いた時の焦りと言ったら。 ほとんどパニックと言ってもいいほどなのだ。ページは折りたくないし、これといって挟むものも持っていないし…と、焦ってイライラして落ち着きがなくなる。 でもそこでキオスクに...
そうなのだ、出先で本を読んでいて何か気になってひっかかり、付箋を持っていないことに気付いた時の焦りと言ったら。 ほとんどパニックと言ってもいいほどなのだ。ページは折りたくないし、これといって挟むものも持っていないし…と、焦ってイライラして落ち着きがなくなる。 でもそこでキオスクに付箋があればいいのにって話ではなくて、久世さんの話が展開され、付箋で落としてくれる。 翻訳家とは、些細なことや余計なことにひっかかる体質なのだなあ、と思う。そうでないとやり遂げられないだろうし、それがまたきっと好きなのだなあ。合っているのだなあ。 日々の暮しでも、へんなところにひっかかっていて、それをまた展開していっちゃうものだから、面白い。 このエッセイにもいろいろ付箋を貼りたいところはあったのだけれど、なんといっても気になったのは「中野ブロードウェイ」で、私も思わずグーグルアースで見ちゃったのだった。 さげさかのりこさんの、装画、挿画がまたいいです。
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「緋色の記憶」読んだとき名前を覚えた人。 ひょっこり久世さんが出てきていたので驚いた。やっぱり格好いい人だったのか。 なんてことのない話の中にぎょっとするような怖さが入っていて心臓に悪い。好き。 「シフォンケーキ」「煙草」「スキー」「ぼくを探しに」あたり特に。 その目をのぞい...
「緋色の記憶」読んだとき名前を覚えた人。 ひょっこり久世さんが出てきていたので驚いた。やっぱり格好いい人だったのか。 なんてことのない話の中にぎょっとするような怖さが入っていて心臓に悪い。好き。 「シフォンケーキ」「煙草」「スキー」「ぼくを探しに」あたり特に。 その目をのぞいてみると、だれもいない家の中でひっそりと逆さまになっているシフォンケーキが映っていた。 「嵐が丘」「明治大正 翻訳ワンダーランド」河野多恵子の「魔」。
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もう2年くらい前ですけど、就活中に一年だけ日経新聞を読んでいたときに、 日替わりエッセイみたいな欄があって、そこで知った著者さん。 (たいがい経済欄や社会欄よりそういうやわらかい記事ばかり読んでいたので 就活に役立ったかどうかいまいち疑問。) 毎回話題が面白かったので、本にまと...
もう2年くらい前ですけど、就活中に一年だけ日経新聞を読んでいたときに、 日替わりエッセイみたいな欄があって、そこで知った著者さん。 (たいがい経済欄や社会欄よりそういうやわらかい記事ばかり読んでいたので 就活に役立ったかどうかいまいち疑問。) 毎回話題が面白かったので、本にまとまったとき手に入れました。 翻訳家さんなので、文学とか語学の話題がとても面白い。あとワインとか音楽とか、 それ以外の話もいろいろあります。 この本は鉛筆画のイラストが何ページかごとに入ってるデザインも好き。
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最近、本を読む時にはブックカバーを別に掛けている。本当は、元々付いているカバーを外して、頁の間に挟まっているものも全部取り出して、シンプルな形にしてから読むのが好きなのだが、そうすると持ち運んでいるときに徐々に汚れてしまうのが気になる。かといって、元々のカバーが本体から剥がれてく...
最近、本を読む時にはブックカバーを別に掛けている。本当は、元々付いているカバーを外して、頁の間に挟まっているものも全部取り出して、シンプルな形にしてから読むのが好きなのだが、そうすると持ち運んでいるときに徐々に汚れてしまうのが気になる。かといって、元々のカバーが本体から剥がれてくるのを気にしながら読むのもいやだ。今使っているブックカバーは単行本のサイズのカーキー色の布製のもので、帆布のような手触りがよい。しかもしっかり本体と密着するので、一体感がある。また、自分は元々の栞を、栞が挟まっているその頁まで読み進めるまでそのままにしておく(意味はなし)のが好きなのだが、このカバーには栞もあり、別途何か挿むものを用意する必要もない。 本書を読み終えて、そのブックカバーを外し次の本をくるもうとした時、ちょっとだけ、ぎくり、とした。この本は、元のカバーが白地で本体の表紙が黒地、という本だったのだが、次にブックカバーに収めようとした本は、カバーが黒地で本体の表紙が白地、だったのだ。ただそれだけ。因みに次の本の著者はポール・オースターである。なんとなく、このコントラストに意味があるように思えてくる。いやいや本書の鴻巣友季子が腹黒いなどというつもりはないのだけれども。 なんていうような全く本の中身と関係の無いことに思いが巡ってしまうのは、このエッセイがそういう調子で書かれているからなのだと思うのだが、なにも強烈に感化されたという訳でもない。むしろ、この本は、自分にとってはちょっとだけ受け止め損ねそうになる類の本であるような気がする。 著者はひたすら、横道、脇道へと話を振っていく。と、本人が言うので間違いない。そして話も面白いとは思うのだが、どうも本人の主張とは裏腹に、読んで受け取る感じが、立て板に水、という感じで脱線している感じがないのだ。そして猛スピードで駆け抜けていくような印象が残る。こういう風に話がまっすぐに流れていくのを目の前にすると、読書に限らず、自分は立ち止まりたくなるのである。そこでふと、この本をちゃんと読めているのかなあ、という気分になるのだ。(そういえば、ネットで言うところの「板」って、掲示板から来ているんだろうけれど、横書きだけれど上から下へどんどん話が流れていく、縦方向の動きを強制するような精神的作用があるよね。だからみな言いたい放題言ってしまうのかな。全て、立て板に水に流せ、ってね。) ああ、でも著者は「穴に落ちる」とも表現している。まさに、アリスの兎の穴を彷彿とさせるようなスピードだね。でもそれって全然脇に逸れようがない話だね。 ところで、お酒が好きな人の文章って、お酒の話が出てこなくてもなんとなくお酒がすきなのかな、って解るね。それと、同じくらいの歳の人も年齢を知らなくても文章からなんとなく解る。途中で、自分の小さい頃の話やお酒の話が出てきたときに、やっぱりなー、と思ったので。
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うーんと。自身の仕事(翻訳)に関わる際の高揚や愛情のこまやかさは素晴らしいし、しかもフットワークも軽い行動派なので話題は楽しませてもらえた。でも、きめの粗いエッセイだぬー。
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